ネットD:ネットと現実の不思議な関係 | クラスタ民主主義システム研究室

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☆学習とディベート☆ ☆ネットワークデモクラシーを夢みて☆ 
☆教育ディベートを推進しよう☆ ☆「complex system」で思考してみよう☆「ネットワークデモクラシー(Demoex)研究室」からタイトル改題しました。 

私はネットワークデモクラシーフォーラム(FNETD)で参加者の議論に耳を傾けるうちに、日本政治への不満や改善策を語り合うために集まった人々各々が、実は、ネットワーク上にできたFNETDという組織に人々が集まりデモクラシーを実践している事に気付きました。しかし、国会での議論もネット上での議論も生産性に欠け、内容に大差なかったのです「国会もネット上も双方が未熟だから、どちらも混乱する」これが結論でした。

そして、国会の議論もネット上の議論も混迷するわけは、何処かに共通の問題点があるに違いないと考えるようになります。

そこで民主主義(デモクラシー)の基本に立ち返り、日本において政治が成り立たない理由を考察してみました。

そうすると、結局は、国会議員も国民も、私も含めた多くの日本人各自における民主主義に対する、「対話と理解」「自律と責任」「博愛と勇気」「義務と権利」といった理念や論理についての認識不足が原因ではないのか?という疑問に到達しました。

この疑問は、世の中における「人の道(道徳)」に通じ、デモクラシーによって世の中に秩序をもたらすという事は、人類一人一人の自覚であって、倫理や宗教と同等の内容だったのです。

ネットワークデモクラシーが機能して混沌から秩序を生み出す方法論には、人類における宗教的、哲学的な論理が不可欠だったのです。これには参りました。私は普通の人間ですから難題でしたし、考察する資格があるのかさえ疑わしかったのです。さらに、議論し争う人々の中に解決策を見い出す試みは、苦悩に学ぶ連続でした。

一方で、電子ネットワーク社会を観察すると、起きている事象は現実社会と何ら変わりありません。人と人が出会い、語り合い、情報交換し、様々な事が起こります。他人を陥れ詐欺を働き、徒党を組んで罪を犯し、快楽で人生を楽しみ、互いに助け合い、そして、互いに勉強し学習しています。それが人の世であり、おそらく未来永劫変わることはないでしょう。

しかし、電子ネットワークには現実社会には無い不思議な力があります。アバターとして精神と理念で語り合うことができ、時間と空間を超えて出会うことができるのです。

電子ネットワークを介して、悪意を持つ人々が集まり犯罪を犯し、無防備な人々が特定の思想主義に取り込まれて洗脳されているのであれば、同様に電子ネットワークを介して、世のために政治に関与して社会を変革していこうという人々が集まり、行動を起こすことが可能なはずです。


人、一人一人の自覚によってのみ、ネットワークデモクラシーは機能し、自覚した人々が集まって政府や政治家に働きかけることができる門戸を開く時が来ていると思うのです。


その結論はと言うと、志ある人々、つまり心ある人々が、不思議と自然に集まる、電子ネットワークシステムの存在に気付くことが出来ればよいだけだったのです。