比賣神社 (奈良市) | ハニーちゃんがゆく!

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【御朱印なし】

平成28年10月18日参拝
比賣神(ひめがみ)社は南都鏡神社の摂社です。
かつては新薬師寺境内の一角にあり、
里びとは比賣塚(秘め塚)と称し「高貴な姫君の墓」と語り継いできました。
ずっと祭祀もなく荒廃していたところ、
かねてより信仰篤いTさんに祭祀を求める霊示が降りました!
里びとは直ちに比賣神講を結び皇女の神霊を祀ることにしました。
当時 比賣塚は国有墳墓地として奈良財務局が管理していたためTさんが中心となり墳墓の払下げ許可申請を出し一年かけて御鎮座奉祝祭を迎えることになったそうです。

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こうして現在地に昭和56年5月に十市皇女(とおちのひめみこ)がお祀りされるようになりました。
脇座には市寸嶋姫命が祀られています
十市皇女とは大海人皇子(のちの第40代天武天皇)の皇女にあたり、
第38代天智天皇の第1皇子の大友皇子(のちの第39代弘文天皇)の妃です。ん?( ˘ω˘ )

要するに‥( ノД`)
皇位継承を巡る激戦「壬申の乱」は、
十市皇女の父と夫の争いだったのです。
乱に勝利した父の大海人皇子は第40代天武天皇を即位します。
敗北した夫の大友皇子は自害します。
先帝の第一皇子を滅ぼした先帝の弟が自ら御即位なさるとゆーものすごい抗争‥
*大友皇子に「弘文」が追号され歴代天皇に数えられるようになったのは明治3年です。
記紀の編纂を命じたのは乱に勝利した天武天皇なので当然ともいえます( ´︵` )

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比売神社の祠の脇の立て札は奥から‥
・弘文天皇 十市皇女(祭神)
・葛野王 王妃(祭神の子の妃)
・池辺王 王妃(祭神の孫の妃)
・淡海三船公 公妃(祭神のひ孫妃)
まさに高貴なお姫さまたちの秘め塚!

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この御由緒書きは御鎮座二周年に作られたもので第一刷は昭和58年発行、
頒価は100円です。
御鎮座に至るまでの比賣神講の皆さまの取組みが古文で書かれていてなかなか読み応えあります!

比売神講の活動は初代講長Tさんの子孫により現在も維持・存続しているそうです。


◆比売神社(南都鏡神社摂社)
奈良県奈良市高畑町468