日本が見える日本語 | ふーちゃんのブログ

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私のブログは、離れて暮らす子どもたちと孫たちに向けて書いています。

  こんばんわ

今日の朝ドラをご覧になった方にしかわかりませんが、
あの人とあの人の会話で、
「卵を返すには、卵を温める親鳥が必要や。」
ってなことを言っていたあのシーンの向こうの庭に、
竹が美しい姿を見せていました。

・・・で、我が家のボウボウの黒竹を、散髪しました

ふふ~ん、ええ感じやわ

撮り方が、下手ですけど・・・えへへ…




以上、今日の小さな幸せの報告でございます嬉



さて今日は、
わたしたちは、ごくごく当たり前のように日本語を
話していますが、
案外、外国語にはない日本語の特徴については、
気づいていないものですね。

「日本語には、英語ではなかなか表現できない言葉が
数多くあります。
そこには、日本人特有の文化や習慣が含まれているため、
文章構造的には訳せても、
日本人の発想や、捉え方とは違うニュアンスになってしまうのです。」

という清 ルミさんのお話を読みました。

外国に何度か行かれた経験のあるかたは、
英語には表現できない日本語について、
気づいておられるかたも多いかと思います。

「たとえば『お茶が入りました』 『お布団が敷けました』という表現。

英語では、『私はお茶を用意しました』や、
『お茶の用意ができました』
という言い方になります。

日本人はそれをやった人物の存在を消して、
まるで自然にそうなったかのように、
『お茶が』 『お布団が』と言います。

これは恩着せがましさを排除した言い方なのです。」

・・・と清さん。

日本人は「わざわざお出でいただいて」というように、
相手がしてくれた行為に対しては、
十分なねぎらいを示しますね。

しかし、自分がしたことは「やってあげた」ことを
あえて見せないところがあるといいます。

そこには、人に嫌われたくない心理面と、
相手を気遣う美徳精神があるためだそうです。

日本とは逆に、韓国や中国では、
「してあげます」の表現をよく使うそうですね。

彼らが、「これを買ってきてあげました」というのは、
『わざわざ買ってきてあげるほど、あなたは特別な人なのよ』
との意味合いなのだそうです。

しかし、わたしたち日本人はそういう言い方に
違和感を覚えますね。

日本には、韓国や中国から伝わってきた文化が数多くあるにも
かかわらず、
言葉に関しては日本独特の表現が根付きました。

その背景には、
狭い国土の中で密集して暮らしてきた歴史が
あるからだそうでございます。

他者との摩擦をできるだけ避け、
控えめに振る舞うことが生活の知恵でもあったのでしょう。

翻訳しにくい、「お互いさま」 や、「お疲れさま」という日本語も、
ムラの共同体で助け合いながら生きてきた日本人の
相手を大事に扱い、
相手と自分を同化させる精神が表れている言葉だといいます。



以下、清さんの著書から・・・。

英語には訳しきれない「日本」が見える日本語

・気働き、気がきく
英語では「すばやく適切な行動をとる」 「頭が鋭い」 「察しがいい」
と訳されるが、日本語の「周囲や相手のために、労をいとわず働く」
基本姿勢は表現できない。



・がんばって
外国人にとっては「期待に背かないで」 「最善を尽くせ」と
不愉快になる言葉。
日本語では「私も陰ながら応援している」と、
相手を心理的に支える意味がこめられている。



・ちょっと
日本人が「明日はちょっと・・・・・」と言葉を濁して断りの意思表示を
するのは、相手に配慮して摩擦を避けるため。
英語にすると「明日は無理です」となる。




・よろしくお願いします
日本語特有の締めくくりのあいさつも、
外国人には何を頼んでいるのかがわからない。
今後もご縁が続きますようにという日本人の思いは、
的確な言葉で表すことができない。



へへへ・・・、
我が家の宇宙人とスムーズに交信するために
このようなことを学習してみたりなんかしてみた次第でございます苦笑

ま、別の意味で、全く役には立ちませんでしたニヤリ

地球人の皆さんには、本当の意味で役に立ったと
思っていただけましたら、嬉しゅうございます(*^.^*)

次回は、改めて美しい日本語を使う意味について
いろいろと考えてみたいと思います。


では、楽しい週末をお過ごしくださいね







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これまでに90か国以上の外国人に日本語や、
日本文化を教えてこられた清ルミさんの著書。
日本語の中には、日本人ならではの精神が
息づいているとおっしゃっています。