オレンジ色のユニフォーム | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

こんにちは! 前回の記事の終わりに昔投稿した記事「黒いチューリップ」のリブログを 貼っておきました。これは、ユニフォームの色の続きとして次はオランダのオレンジにしようと の下心があったからでもありました。

オランダがバイアスロンW杯に出場したのを見たことがありません。英国も無いと思います。これは運河が凍っても雪はあまり積もらずしかも土地がまっ平らでノルデイックスキーで斜面を滑降できない国土の自然条件によるのかな?と考えています。

オレンジ色のユニフォームはサッカーのオランダナショナルチームの色でW杯で活躍しますよね。サッカーじゃオランダはヨーロッパの強豪国の一つです。隣のベルギーはこれまた鮮やかな真っ赤なユニフォーム。数年前のサッカーW杯で日本が念願の8強入りをして、ベルギーと対戦した。リードしていた日本が勝った!と期待に胸を躍らせた。でも、試合終了前それも1分を切ったぎりぎり、ベルギーの電撃的反撃に日本は負けてしまった。ゴールにほぼ全員が攻め寄せていた日本チームは反撃への配備を考えていなかった。強豪の強さを知らない経験不足でしたね。リューカクと彼のサポーター数人がゴールの零れ球を捉えるや怖ろしいスピードで反撃に走りゴールに蹴り込んだ。「赤い悪魔のチーム」の異名を持つベルギーを甘く見た苦い敗北でした。

オランダのサッカーチームがなぜオレンジ色なのか? オランダの歴史を少し知ってる人なら、それが国王の名、現在はウイレム・アレクサンダー・オラニエ・ナッソーからきてると推測できるでしょう。オラニエの英語読みがオレンジですもんね。

ところでオランダ(ネーデルランド)の国旗も赤白青の三色ですよね。ただしこちらは横向きで、下が青、上に赤、中が白。

 

 

 

オランダという呼称は日本での通称で、正式にはネーデルランドが国名ですね。退屈を覚悟の上で以下すこし近代史をおさらいしてみましょう。まずは、「黒いチューリップ」にも触れられているヨハン・デ・ウイット兄弟の虐殺から。

 

1653年以来共和政の指導者だったウイットは、1672年にイングランドがオランダに宣戦を布告し、またフランスも陸から戦争を仕掛け、陸海両面からの侵攻という国家的危機に陥りました。悪化するばかりの戦況に打つ手も見出せないウイットを見た民衆は怒りに駆られて兄弟を家から引きずり出し悪鬼にも勝るやり方で虐殺した。結果、共和政は廃止され、オラニエ家のウイレム3世が総督職に就き戦闘指揮を取ることになった。

1688年ウイレム3世はイングランドに侵攻し、ジェームス2世を国外に追い出し名誉革命を成就させた。ウイレム3世は1702年までの20余年をイングランドとネーデルランドの2国(スコットランドとアイルランドも含む)の共同統治者となった。少しとんで1810年にはナポレオンが王国を廃止してネーデルランドをフランス帝国の直轄領とした。

1813年イギリスからオラニエ・ナッサウ家一族がネザーランドに帰国。ウイレム1世が即位し現在のベルギー、ルクセンブルグを含むネザーランド連合王国を樹立。ここに現在のネーデルランド王国が始まった。ベルギーは1830年に独立。1890年にはルクセンブルグが独立した。

ウイルヘルミナ女王は1898年に18歳で親政を開始し50年間統治した。第二次世界大戦でナチスドイツに占領されウイルヘルミナ女王はイギリスに亡命した。1941年に太平洋戦争が勃発すると日本に宣戦を布告し、植民地だったインドネシアで日本軍と戦火を交えた。
1948年にウイルヘルミナ女王は退位しユリアナ女王が即位。1980年にはユリアナ女王が譲位し、ベアトリクス女王が即位した。

こうして123年続いた女系王室も2013年に男性の王位継承者ウイレム・アレクサンダーが即位した。それまでも「女王の日 Queens Day」といって女王の誕生日を国を挙げて祝っていたが、これからは「国王の日 Kings Day」と名も改めで祝うことになった。2021年4月27日がその日。この日は沢山の人がオレンジ色の衣装を着てフリーマーケットを覗き歩き、街はオレンジ一色に染まる。

 

 (写真はネットからお借りしました


このオレンジ色の起原が「人参」だって説があるらしいけど、黄色や紫色をして細く不味かったニンジンがオランダで品種改良されて太く甘く美味しい野菜として親しまれるようになった。そして色もオレンジ色になったと……。でも王室の色の起原がニンジンてのはちょっと寂しいよな。それに正確にはニンジンの色はオレンジ色じゃない。王室の名オレンジ公が先で、それにあやかって茶色や黄色や紫色のニンジンを改良してオレンジに近い色にしたと言うんなら頷けるけどね。