青の歴史 | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

まだテレビが普及してなかった少年時代、子供の楽しみは学校から家に帰ると畳に寝そべって夕食を待ちながら子供向けラジオ番組を聴くことだった。「赤胴鈴之助」、「イガグリ君」、「笛吹童子」、「怪人二十面相」…など。そのひとつに「少年探偵団」があってよく聴いた。その連続番組は、「ぼ、ぼ、ぼくらは少年探偵団~~」と歌で始まるのだった。主題歌は「勇気りんりん、瑠璃のいろ……」と続く。子供には「るりの色」って意味が分からないまま真似て口ずさんでいたが、心の隅に「はて、どんな色なんだろう」と不思議な思いもあった。長い間、ルリとかハリとかは青か紫系の色かな、とぼんやり思ってきた。

今頃になって調べて「ルリ=瑠璃」の意味がやっと判った。 「瑠璃」は「ラピスラズリ(lapis lazuli)」と呼ばれる宝石(貴石)のひとつなんだって。 「るり」という和名はサンスクリット語の「ヴァイドウーリャ」またはパーリ語の「ヴュルーリャ」の 音訳なんだそうな。子供にゃ判らん筈だよな。

ラピスラズリは人類に認知され利用された最古の「色の原料」で、エジプト、シュメール、バビロニアなど古代から宝石として珍重された。ラピスラズリを精製して顔料ウルトラマリンを作った。

 

              

 

19世紀に人工顔料としてウルトラマリンが合成されるまで天然ウルトラマリンは非常に高価な色だった。この青を使った有名な画家は17世紀オランダのフェルメール。この色はあまりに高価なので15世紀のフランドルの画家ファン・エイクなどは使えなかった。青を使ってくれと所望する客は富豪か王室に限られ、その場合、画家は特別料金を請求した。時にこの青は黄金と同じほど高価だったといわれる。

ウルトラマリンという呼称はラピスラズリの産地がヨーロッパから遠く、中東などから「地中海を渡ってきた」という意味なんだそうな。

画家たちはラピスラズリに代わるもっと安価な代替顔料を探し求め、ようやく鉱物顔料(アズライト)と有機顔料(インデイゴ)が誕生した。

最初の青の合成顔料は1704年に鉄を化学反応させた「紺青」と日本で呼ばれる青で 1704年にドイツのベルリンで開発に成功した。

 

19世紀の初めには、合成ウルトラマリン、コバルトブルー、セルリアンブルーが登場する。
さらに1856年には、初のアニリン染料「モーブ」(薄紫色)が発見された。発見者は弱冠18歳の化学者ウイリアム・パーキン。彼はこの発明を事業化し富を築いた。

ウルトラマリンに戻ると、かつてはラピスラズリから作られていたがカオリナイトや硫黄から合成ウルトラマリンが作られ天然ウルトラマリンにとって代わるようになった。1990年にはウルトラマリンの別名だったフレンチブルーが色名として業界の注目を浴び、本来のウルトラマリンとはまったく異なる青色の名称として使われるようになった。

また、ネットによる情報では、最近のブルーには、「インミンブルー」というのがあり、米国の研究所で発見された。イットリウム(Yttrium)、インジウム( Indium )、マンガン( Manganese)から合成して作るんだそうな。