「私はシャルリ」の意味 | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

11日のフランスの国民的デモについて追加を。

「私はシャルリ」というプラカードを掲げ、鉛筆やペンをかざして、パリで150万、フランス全土では350万から400万人の市民が「言論の自由」を守るために街頭へ出てデモを繰り広げた、この事実に関して思うことを。

「私はシャルリ」という合言葉はなにも週刊誌シャルリ・エブドを擁護しようという意味じゃぜんぜんないことが、日本ではあまり理解されていないようなので。

「シャルリ・エブド」は確かに、ときに下品な、人が大切にしている権威をことさらに汚辱したり、揶揄したり。決して愉快な楽しいマンガを掲載していた雑誌ではなく、むしろ攻撃的な、あらゆる権威を揶揄する風刺雑誌であり、正直めのおはこの雑誌を買って読もうと思ったことは一度もありません。

ここ10年来田舎に引っ越してからは地理的に行きやすいこともあって、パリのアールゼメチエの傍の第三の中華街へ行くことが多かったのですが、中華レストランと食品店が並んでいる路地へ入る角に「シャルリーエブド」があったのです。しかし、数年後そのオフィスは空き家になってました。あれ? シャルリー・エブド、倒産したのかな? と思いました。そこから、今回襲撃に遭った場所へ引っ越したのですね。それでもこの雑誌社が恒常的な財政難に陥っていたことは、今回、シャルリーの生き残りの社員を自社の部屋に引き取って編集業務を継続できる支援を与えた、ジャンポール・サルトルから続いている左翼紙「リベラシオン」がやはり財政難を抱えている事と変わりはありません。

第三中華街へ入る時に、空き家になったシャルリーのオフィスを見た時も「やっぱりな」とかんじた程度で、惜しいことをした、とかの感情は湧きませんでした。けれども、フランスには、少数ながら、シャルリーの「サチール」と呼ばれている戯画、風刺画を愛好する人たちが居て、さらにシャルリーの前身の雑誌「ハラキリ」も、過激な風刺画を売り物にしていた雑誌でした。

シャルリーはなにもイスラムのモハメッドだけを戯画の対象としただけではないので、あらゆる権威、そこには無論カトリックやプロテスタント、ユダヤ教から、エリザベス女王、中国共産党の指導者、北朝鮮、そして時に日本の相撲までもがカリカチュアの対象となったのでした。そう、彼等は「アナーキスト(無政府主義者)」だったんですね。

イスラムの預言者をカリカチュアに取り上げてから、「シャルリー」はイスラム過激派の明確な攻撃にさらされました。暗殺の脅迫を繰り返し受けました。それでも、彼等が天職と心得る「サチール」漫画を止めなかったのです。「シャルリー」がいつかは攻撃される、とフランスの多くの人は感じていました。シャルリーにレギュラー作家として顔を出す漫画家も会社へ行くたびに怖がっていた、と肉親は証言しています。

そうなんです。「シャルリー」はフランス人にとっては「表現の自由」の過激な形での象徴だったのです。そして、ついに、自動小銃を持ったテロリストが編集会議に最中に飛び込み銃を乱射し12人を殺害した。

「私はシャルリー( Je suis Charlie )」という標語は、「私も、シャルリーの作家たちが死を恐れず表現を続けた自由の価値を守るために命を張る」という意味なのです。

「人権」の中でも「表現の自由」を最も基本的な権利と認めている事。これはめのおにとっても新しい発見でした。それは、フランスという国の歴史、近くはナチスに占領され、ゲシュタポに監視、迫害、時に射殺の危険を冒しながらレジスタンスを続けた、共和国原理への誇りと、パリ解放から70年経った今、その原理が子供から孫へ確実に伝えられている事を目の当たりにしました。

「イスラム国」をフランスが攻撃した、そのことへの報復だ、とシャルリーを襲ったテロリストは言明しました。また、ヴァンセンヌの食品店での人質殺害犯はマリの出身でした。「私はシャルリ」の標語を掲げてデモをした市民たちは、このことを充分心得ていたでしょう。「イスラム国」「マリ」さらにはナイジェリアの「ボコ・ハラム」での暴力はヨーロッパの人々には「人権」に係わる問題なのです。「人権」は理念的には普遍性をもつもので、自国だけに限られるべきではない、という、まあ、このへんは理想論と現実論の別れるところではありますが、そういう人権を甚だしく侵害する暴力沙汰が、シリアやイラク、アルジェリアやマリやナイジェリアで起こっている。
「私たちは、こうした中世に行われたような斬首や暴力による支配を許さない。彼等が攻撃してくるなら、一致団結して戦うぞ」
「私はシャルリ」の標語には、こうした意味すら籠められていた、とめのおは思います。この辺は、日本とはずいぶん違うと思います。
もう90年以上も昔の事で、現在は変わっているかもしれませんが、「無政府主義者・大杉栄」を憲兵隊が逮捕して、裁判にも掛けず、殴る蹴るの暴行の上、絞殺して古井戸に投げ捨ててしまった。甘粕正彦大尉は逮捕はしたけれど、軍の上層部に嫌疑が上るのを庇うため「自分の一存でやった」と軍法会議で証言しました。実際に手を下したのはM軍曹でした。伊藤野枝と7歳の男の子も道連れにされたのでした。イスラク過激派のテロリストたちは、日本のかつての軍部の権力と違って、まだ権力を握っていない。権力を握ることを目指した、悪くいえば「野盗の集団」といえましょう。

ついでだから、いうと、今回のテロ、特にヴァンセンヌの人質殺害は「アンチ・セミチスム(反ユダヤ主義)」の色彩を帯びていました。イスラム過激派のテロがアメリカによるイラク介入に始まり、フランスも当時のシラク大統領は、反対を表明した。友達として友人の過ちを指摘するのだ、と言ってました。古い国には長年受け継がれてきた政治のやり方があるので、いきなり民主主義を導入するなんて不可能だ、と。しかし、様々な思惑、石油とかも絡んでたでしょう、自由主義国の一員としてアメリカに追随しイラクに派兵した。

フランスは石油が出ないこともあって、アラブ産油国寄りの政治をしていました。イラクに原発を輸出したのはフランスでした。
その原発をイスラエルが空爆で破壊した。最近になって、パレスチナにイスラエルの住宅建設が侵攻し始めた。これは、いかにユダヤびいきだっても、残念なことです。

ただ、フランスは歴史的にユダヤ支持を続ける理由がある。1789年のフランス大革命により、それまで「エタ・非人」扱いを受けてゲットーに隔離されていたユダヤ人を、普通の市民と同様、つまりフランス人と同じ権利を与えた。ユダヤ人のとっては、これはこれで「フランス化」しなければならないという問題を生じるわけですが、その後も、フランスは「ユダヤ人を蔑視、非難することを禁止する」法律を作って保護して来た。この法律が第二次大戦時、ナチス・ドイツに占領され、ヴィシー対独協力政権が出来て廃止され、フランス警察はナチスが期待する以上にユダヤ人狩を積極的に進め、ユダヤ人というだけで路上で逮捕し、家畜輸送用貨車に乗せアウシュヴィッツへ運んだのでした。その数約4万人です。

戦後永らく、この事実は明かされてきませんでした。シラク大統領が、フランスがユダヤ人大量虐殺に関与した過去を公式に認めたのは、90年代に入ってからのことだったと思います。シラク氏は保守ですし、その後のサルコジ氏は、シラク率いる保守党を引き継いだ形で新しい保守党UMPを作りました。サルコジ氏もユダヤの血を引いているといわれています。現大統領のオランド氏は社会党出身ですが、やはりユダヤ系といわれています。ですから、フランスがユダヤ寄りであることはある意味仕方のないことなのです。

共和国とは、理念を共有する人々によって作られる国のことであり、この理念を肯定し積極的に支持してゆく人ならば、先祖がどのような血統であっても構わないのです。国籍は日本のように血統主義ではなく出生地主義です。少し前までは、フランスで生まれた子供には自動的にフランス国籍が与えられました。

今回のヴァンセンヌのテロ事件でユダヤ人経営の食品店に社員として働いていた青年の一人がマリ出身でした。彼は同じ国出身のテロリストが侵入した時、人質になるはずの大勢の客を地下の低温室に導いて匿い、命を救ったのでした。

テロリストのことを考えると日本人のめのおは、フランス人と同じようには考えることができません。
少し前までイスラム過激派のテロは「自爆テロ」が主体でした。自動車に爆弾を積んだり、自分の身体に爆弾を巻いたり、酷い場合は子供の身体に爆弾を仕掛けてリモコンで起爆させていた。

数年前から、フランスでも銃を持ち、攻撃を仕掛けて来る形が目立ち始めた。銃撃戦が自爆よりもかっこよく保安部隊と撃ちあいの末、全身に銃弾を浴びて死ぬ。こういった姿が、英雄的に映るのでしょうか? あるいは、映画やバトルゲームの影響でしょうか?

こんどのテロリストも初めから死を覚悟していたでしょう。シャルリを襲撃した兄弟は、あるいは逃げられると思っていなかった形跡がある。攻撃の周到さに比べ、逃走のずさんさが目立つからです。犯人確定が異常に早かったのは、乗り捨てた車に身分証明書を忘れていったからでした。

ある教義や信仰、イデオロギーのために命を捧げる。いわゆる殉教者になる、といった死に方は洋の東西、極端な死に方として昔からあった。そうしてテロリストはその行為を犯せば間違いなく捉われ極刑かその場で殺されるのを覚悟で殺人を犯す。フランスでは、アンリ3世、アンリ4世と国王がテロで殺されている。フランスでは暗殺者を「アササン」と呼びますが、これは中世の十字軍の時代にシリアにあった暗殺集団から発し、語源は「ハッシシ」にある、という説があります。ハッシシを吸って死を恐れない妄想状態で殺人を犯す、と西洋人は理解してるようです。

「自爆テロ」の時代、フランスでは「KAMIKAZE」と呼んでいた。日本の「神風特別攻撃隊」からとった呼称です。僕が生まれた年まで神風特攻隊が日本にあった。それがあるので、僕はテロリストたちを、今回デモ行進をした400万人の人達と同じレベルでは考えられないのです。

日本の特攻隊は、国と国との戦争の最後の手段として、追い詰められた軍が考え出した。イデオロギー的には超国家主義、国家神道があったろうけども、「きけわだつみの声」を読むと、特攻で死んでいった若者たちが家族や国民の為と思ってはいても、神道ではなかった。
日本の総理が「靖国」に詣でることを、諸外国が嫌悪し警戒するのも、この国家神道があったからということを忘れてはならない。祖国のために貴い命を犠牲にした若者たち、数百万の兵士、市民、その人たちの霊を慰めたい気持ちは自然のものです。フランスでもアメリカでも数百万の戦争犠牲者の慰霊碑がある。そこを墓参しても非難などされはしない。でも「靖国」という国家神道が造った機構を肯定するような参拝は一国の指導者はするべきでない、とめのおは思います。死者の霊はなにも神社という場所にいるわけではない。自分の部屋で静かに落ち着いた時に祈りを捧げればいい。

「共和国の原理」「表現の自由」。こうした理念を作り上げ、血肉化して、教育し子供たちに伝えてゆく。そうした共和国に住む人々を讃嘆したい気持ちはあります。でも、自分がその一員になりたいとは思わない。なろうと思えば簡単です。でも、世界はそうでない、共和国でない国の方が多い。

パリ郊外に亡命生活を送った後、祖国イランへ帰り、シャー国王を追い出し、革命を実現させたホメイニ師。イスラム原理派という言葉が、パリで出会ったアラブ人の口から聞こえるようになったのは、あの頃からだったと思います。西洋の退廃、理想に掲げることと違い、現実は人種差別が横行してるじゃないか。先進工業国の消費社会の非人間性。西洋文明そのものへの挑戦を、イスラム原理派は当初から秘めていたと思います。

40年フランスに住まわせてもらって、日本に帰ろうとしているめのお。カトリックに惹かれた時期もあった。でも、基本はフランスのライシテ(無宗教主義)が良かったのだと思います。信仰の入り口の敷居のところで立ちどまり、知性が邪魔をしてついに、信仰には入れなかったロマンロラン。高校の同級生でカトリックの詩人クローデルが、死期が近づいたロマンを信仰に導こうと何度かヴェズレイの住居を訪ねますが、ついに無宗教のまま逝ったロマン。僕はロマンと同じ姿勢で満足です。敬虔なカトリックの家庭に育ったロマンが高校時代に信仰を捨て、「大洋」という、すべての生命の根源に共通した「大海原」があると発見した。この生命の根源に僕も帰ろうと思います。
これは冗談だが、頑固ジジイそのものといったクローデルの顔を好きません。彼の詩や劇のセリフには素晴らしいものがあることを認めますが。
「多神教を私は嫌悪する」とクローデルはロマンに書き送っています。いま、僕は、その多神教の原点である熊野に移住しようとしています。広葉樹と針葉樹が入り混じる熊野の森。木々や岩や滝や山への信仰。南方熊楠が採集した生命の原型ともいえる「粘菌」の森。そうした土地へ移り住もうとしています。

今回は一時帰国。約6週間の滞在です。明後日成田へ向けて出発です。
その間、ブログはお休みします。通信手段を日本で手に入れられれば、途中、投稿ができるかもしれません。
そうでなければ、ペタ返しもコメントも出来ないので、ご容赦ください。こんど再開する時は、ハンドル・ネームは変えるかもしれません。
3月に帰ったら家を売ります。家を売って日本帰還が実現するよう全力を挙げます。日本へ帰還後もブログは続ける積りです。その時は、またのご交流をお願いします。今日までのご支援に深く感謝します。ありがとうございました。

あがた めのお拝

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