今週のバキ道/第115話 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第115話/不可解な立ち合い

 

 

前回↓

 

 

 

バキ道年始一発目、嚙道を極めたジャック・ハンマーと古代相撲、野見宿禰の対決だ!

 

 

ジャックが拳をゆるく突き出した。前回はチャンピオンを電子で読んで、今回は紙版を買ったのだが、電子でみる前回のジャックの顔はきれいだが、本誌でみる今回のジャックの顔には汚れというか、たぶん日中に接触した痕跡がみられる。

そもそもこのゆっくりとした拳にかんしては、動機がよくわからない。ジャックがどういうつもりでそうしているのか不明なのである。ともあれ宿禰は発進した。手はついていないが、突進しやすい前傾姿勢から、ジャックの様子をみるまでもなく、即反応したのである。先ほどの短いたたかいで彼は小指を奪われてもいる。試合の前には改めてジャックを讃えていた。いっさいの遊びを排除して叩きのめしにいったというところだろうか。

 

角度的になにが起きたのかはよくわからない。両者がすれちがうのとともに、血がふきあがる。宿禰の左肩、というか僧帽筋のところだ。実況や観客は驚き、不可解な出血であるとする。なかには「噛んだ!!?」といっているものもいるが、その驚きかたがよくわからない。ジャックの試合はむかしからこうだし、彼が相手のいちぶをかみちぎることはぜんぜん想定できることのようにおもえるのだが・・・。

だが、これは要するに、動きが見えなかったということのようだ。小指にかんしては食べてしまったが、今回のジャックは肉片を吐き出す。それを見て、実況たちは嚙みつきが行われたことを理解する。まあ、たしかに、試合がはじまっていきなり噛み付くなんてことはこれまでのジャックでもなかったことではある。薬物による身体強化、ひとを回転させるアッパー、などを経たあとで、誰も思いつきもしないような必殺の攻撃として嚙みつきが出てきていたようなところは、たしかにあった。そこに加えて動作が見えなかったのだから、驚きがあっても不自然ではないかもしれない。

 

歯を剥きながら、ジャックが上体を倒していく。獣の臨戦態勢だ。歯を見せているのもそうだが、これは「これから嚙みます」という表明になっている。その意味では、これは花山の構えと似てもいる。花山の構えも、「これから殴ります」というメッセージを含み、またげんにそうするものだからだ。しかし嚙道は格闘技術であるから、おそらくこれはそう単純なものではないとおもわれる。つまり、対戦者は、これはメッセージそのままなのか、それともフェイクなのか、ここで揺さぶられるのである。

だがそれは宿禰にもあるものだ。つまり、その体型と、力士であるという事実が見落とさせる古代相撲の「蹴り」である。これは初代と当麻蹴速の対戦でも使用されていたらしい。ふたたびほぼ同時に前に出たところで、ほとんど前蹴上げのようにして、宿禰がジャックの顎を真上に打ち抜くのだ。腹が出ているぶん、仮に蹴りをするのだとしても、四股とも動作が近い横蹴りが多いのだろうとおもわれたが、前にもふつうに上がるようだ。柔軟性は言及するまでもない。この体重を支える脚なので、威力もそうとう期待できる。

しかし蹴った宿禰は驚いている。その足の踵が裂けているのである。たぶん、踵で顎を蹴り上げる感じの攻撃だったんだろうけど、ジャックはそこに歯を引っ掛けるようにして切ったのだ。

ジャックに蹴りのダメージはあるのかどうか、いずれにせよ、いきなり血まみれになる宿禰なのだった。

 

 

 

 

つづく。

 

 

 

ちゃんとジャックが強くてよかった。シコルスキー戦を最後にあまりいいところなかったから・・・(ピクル戦はわりと好きだけど)

 

今回は「獣の臨戦態勢」という、バキ界では慣用句のようにもなっている表現が見られた。ジャックやピクルのように嚙みつきをじっさいに行うものでなくても、ちょっといま具体例が出てこないけど、獣のような獰猛さや俊敏さでいままさにおそいかからんとするような場面では使われがちである。

しかしながらジャックがげんに嚙みつきを実行するものであることと、今回の構えは、実は直線では結ばれないのである。これが成立するのは通常、圧倒的実力差があるとき、またその局面がかまえをとるものにとって有利であるときなどに限られる。浦飯幽助の「右ストレートでぶっとばす」だ。花山が「いまから殴ります」ということがまるわかりの構えをとるのは、ぼこぼこに殴られても問題なく反撃できる体力と耐久力があり、なおかつ、その構えによる打撃によって一瞬で勝負がひっくり返ることが確約されているからである。

げんにジャックと宿禰にはそれだけの実力差があるのだ、ということならはなしは別だが、たぶんそういうことはない。ジャックもまた宿禰を警戒しているはずだ。そのうえで実行されるこうした構えは、撒き餌にほかならない、というはなしなのだ。というより、宿禰はそこで「撒き餌かもしれない」ということを考えないわけにはいかないということなのだ。直前の肩をえぐった攻撃によって、宿禰のなかでジャックはさらに油断ならない相手になった。こののちでは、この構えがほんとうにただの「いまから嚙みます」なのか、「いまから嚙みます、と見せかけています」なのか、迷わずにはいられないのである。豊富な技術を備えているということを相手に痛感させることそれじたいが、相手を惑わす補助的な攻撃になっているのだ。

これに対抗するために、宿禰もまた「意外性」を持ち出した。つまり蹴りのことだ。力士の体型を前にしたならば、彼がじっさい「蹴る」ファイターなのだということを理解したあとでも、うっかり忘れてしまいそうな気もする。ここですぐに宿禰が「蹴り」を出したのは、ジャックの豊かの技術の海に対抗したものであると考えられるのだ。けれども、ジャックの撒いたこの構えは罠でもあったわけだ。ジャックが蹴りを予想していたとはいわないが、低い姿勢で嚙みにくるものを下から打ち上げる、もしくは上から打ち落とすタイプの打撃がくるとは考えていたのではないだろうか。宿禰はジャックのメッセージ性豊かな構えに揺さぶられている。次にくるのが「嚙みつき」ではない可能性はじゅうぶんにある。こういう状況では、宿禰はこれをよけようとはしないかもしれない。ロングフックのような、嚙みつきがくると思い込んで回避したところを狙う別の攻撃がくると、宿禰が予想しているとジャックは予想しているかもしれない、宿禰はそう考える。だから、ひとまずは、接近してくるものをストップさせる方向に動きをとるのではないか。ジャックはそこに歯をひっかければよいのだ。

 

このような複雑系のなかに宿禰をつきおとしたのは、日中のやりとりと、最初の接触だ。日中の喧嘩では、不用意に張り手をして小指をとられてしまったと、宿禰は反省しているかもしれない。それにしても、当たり判定が雑なむかしのゲームばりに、接触した瞬間にその部位を嚙みとるというのはふつうではない。そのことを通じて、宿禰はジャックの背後にひかえる「技術体系」を痛感した。それが前回の述懐である。そして試合開始、ゆるく突き出された拳に即座に反応する宿禰。このスタートもじゃっかん謎ではあるが、宿禰としてはおそらく、感じとしては「空気を読まない」方向に舵を切ったものとおもわれる。どういうつもりだかわからないがジャックがのんびり拳を出してきた。だが「拳が突き出ていること」や、それが「ゆっくりであること」をすべて無視して、ぶちかましたわけだ。しかしそれを、ジャックはふたたび嚙みつきで迎えたのだ。ここまでで起こったことは、それがどのような種類の動きであれ、接近即嚙みつきということなのである。張り手は、不用意だったかもしれないうえに、顔に開いた手を預けるという、ある意味嚙みつきやすい状況でもあった。だとしても瞬間的に指をもぎとるというのは並大抵ではないわけだが、さらに試合では、空気を読まず、得意な正面からの激突という位置関係で、同じことをやられたのである。

この二度の経験が、宿禰に、ただ期待だけするものとしてのジャックの「技術体系」を、うす気味わるいものにもしたのである。そこでさらに警戒度を高めた宿禰は、書いたように意外性をもつ蹴りでもって対応した。だがそれすらも嚙みつきによって捕捉されてしまったのだ。

 

ここまでくると、ジャックのもっている「技術」が、なにかちょっと、ふつうにいわれているものとはちがうのかもしれないというふうに、宿禰は考え始めるかもしれない。

一般に、技術体系とは、ある静止した状況からいくつも枝分かれしていくパターンのようなものをいうだろう。「構え」というのがそもそも、その技術体系が抱える無数のパターンのそれぞれから等距離にある、零度の姿勢である。空手の左自然体は、左下突きからも、右上段廻し蹴りからも、等距離の位置にあるのだ。むろん嚙道にもそういう面はあるだろう。だが、特に攻撃というばあいにかんしていえば、事態はむしろ逆なのである。ジャックがすべきことはただひとつ、「嚙む」だけだ。無数にあるパターンは嚙道を行うものの側にあるのではなく、相手にあるのである。ふつうの「技術体系」は、標準的な構えから、無数にあるパターンのどこにも移動することができる、そういうものであるところ、嚙道の「技術体系」は、相手のくりだす無数のパターンのどれがやってきてもただ「嚙む」に収束させてしまう、そういうものなのである。

「嚙む」という動作にも複数のパターンはあるだろう。今回の踵を切ったのなんかは、けっこう斬新でもある。だが、たとえば手わざなんかと比べると、やはりバリエーションには乏しいのではないかとおもわれる。そうしたところでこれを体系的に極めようとした結果、ジャックはたたかいの流動的な展開、つまり「無数のパターン」を、相手に預けることになったのではないだろうか。ひとことでいえば、カウンターに徹するのである。徹しないまでも、それをメインにするのである。ひょっとするとそれが、冒頭のゆるい拳にあらわれているものかもしれない。もはやジャックは「攻撃」をする必要がないのだ。ただやってきたものを噛み砕けば、それでよいのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

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