今週の闇金ウシジマくん/第437話 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第437話/ウシジマくん23

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海老名に命じられて本部に荷物を届けにきている丑嶋。監視カメラの位置を気にしながら、ポストに書類のようなものを入れている。海老名は、丑嶋をこれから行う強盗の犯人に仕立て上げるためにこうしてカメラにうつる場所へ丑嶋を向かわせたのである。説明がないのでわからないのだが、丑嶋が本部にいる時間と犯行時刻は異なるはずである。人数もちがう。そのあたり海老名はどう考えているのだろうか。

 

 

いま犯行時刻が異なると書いたばかりだが、ひょっとしてそうでもないのだろうか、海老名と鯖野はすでに車にスタンバった状態でいる。海老名はもう、覚悟を決めたというか、やるしかないという気持ちなのか、迷いもなさそうだが、鯖野はビビっている。まず二人で可能なのかということがある。彼らが襲うのはエレベーターを待つ警備員二人だ。海老名は、不意をつけばぜったいに大丈夫だという。例のスタンガンみたいなやつと、たぶんスラッパーも持っているだろう。いざとなったら殺す気で叩けというが、鯖野は不安そうだ。1億円の重さはどれくらいかというと、1万円札が約1グラムなので、1億円だと10キロになるらしい。だから、推定20億は200キロにもなるわけで、全額を奪うことは難しい。ひとり50キロ、計100キロの10億が限度だと。ダッシュもしなければならないことを考えると50キロでもけっこう欲張りすぎな気がするが、金をおさめたケースの単位がちょうどそんなもんなのかもしれない。警備のものは、地下駐車場に移動するだけの短い距離でも、かばんと手首を手錠でつないでいる。だから海老名は斧をもってきたという。手錠かトランクを破壊し、万が一壊せないときは、警備員の腕をぶった切るのだ。はなしがどんどんリアリティを帯び、なおかつひどいものになっていくにつれて、鯖野はさらに不安になっていく。警備といっても警備会社のものではなくて、たぶんシシックの社員だろう。知っているものである可能性が高い。覆面していてもバレるかもしれない。しかし海老名は、どの道そいつらも拷問されて死ぬという。海老名的には、分け前でもめるから人数は少なくしたいところだが、鯖野は、警備員が知り合いかもしれない可能性も含めて、彼らも抱きこんだほうがいいのではないかという。が、それはできない。前例があるのだ。1年前、池袋で売り上げ5000万円が盗まれたのだという。犯人は池袋店長の地元の先輩だった。「安いキャバクラで馬鹿みたいに自慢話してるから目をつけられた」とあるが、これが、池袋店長のことなのか、その先輩のことなのか、よくわからない。が、たぶん店長のことだろう。店長が、稼ぎのよいことをアピールしまくっていたから、先輩に目をつけられ、売り上げを盗まれたと、こういうシナリオだ。先輩がどうなったかは不明である。獅子谷は社員の目の前で店長の足を刺したらしい。なに盗まれてんだよと、こういうことだろう。ところが、これは池袋の店長の自作自演だったということだ。じぶんで金を盗んでおきながら、豪遊のせいで先輩に目をつけられて盗まれたと、こういうふうにシナリオを描いたのだろう。これはどうやら獅子谷が拷問で自供させたらしい。はなしの流れからすると、足を刺されるくらいは、店長も想定内だったようだ。でも、それで済むのであれば、5000万円はオトクだと、彼は判断したのだろう。しかし獅子谷は足を刺した程度で出てくる言葉を信用しはしなかった。さらに拷問を続け、ついに自作自演だといわせたのである。だから、強盗があればまず警備のもの、また店舗であればその責任者が疑われる。そして拷問が行われるのだから、今回も警備員を抱き込んだりしたらあっさりじぶんたちの名前を吐かれてしまうと、こういうはなしだ。「無実の人間だろーが絶対自供する酷い拷問だ」と海老名はいう。だとすれば、池袋店長が吐いたという自作自演のシナリオも、ほんとうかどうかわからない。

目だし帽をかぶっていよいよ本番に入るふたり。鯖野は正直に獅子谷がこわいという。それは海老名も同じだ。彼らは、獅子谷の恐怖を乗り切ったうえで行動にでているのだろうか、それとも、恐怖こそが、彼らにこの行動をとらせているのだろうか。

 

 

 

そして獅子谷兄の描写だ。ちょっと前にハブから入手していた覚醒剤だかコカインだかが、スプーンで炙られ、注射された形跡がある。部屋のベッドで獅子谷は小さく体育座りをしている。なかなか信じられない光景だ。獅子谷はほんとうに中毒で、じぶんのためにハブからクスリを購入していたようだ。

そこに弟の甲児から電話がかかってくる。ボクシングのインターハイで関東大会出場が決まったというのだ。ということは、アマチュアボクシングということなのだろう。そしてどうやら甲児は高校生のようである。なんか一気にいろいろなことがわかってきたな。

獅子谷兄はそのことをふつうに喜ぶ。弟のことは心底かわいがっているのだ。お前ならオリンピックいけるんじゃというのも、いかにも身内を買っている大人の反応だ。それにそんな甘くないと応じる甲児も、金と欲の界隈の人間とはおもえぬ謙虚さである。そして、ここまでこれたのは兄貴のおかげだとまでいう。兄は、甲児の努力の結果だというが、彼らには複雑な事情があるようだ。甲児のしゃべっているところは実家のようだが、壁には父親「獅子谷成」への感謝賞がかかっており、それからこの人物が「足立第百八中学校」の校長だということがわかる。獅子谷兄弟は、よくあるヤンキー一家みたいな出自ではないのだ。が、彼らはその父親を「頭のおかしいクソ親父」という。兄は、そんな父親や、近所のクズから守ってくれたと。かつて甲児が父親の財布から1万円を盗んでゲーセンで使い込んだとき、父親はすぐ兄を疑って折檻したのだが、兄はなにもいわなかった。父親はそのときに、百草(タバコ?)で、獅子谷の手の甲を焼いたのである。いまでも痛むらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも、まーいいさ。

甲児が表舞台で活躍してる話

聞くと嫌な思い出も全てふっとぶぜ」

 

 

 

 

 

 

 

 

そこで緊急連絡用の携帯が鳴る。よっちゃんの件かと、ゆるい表情で獅子谷が電話に出るが、むろん本部の強盗の件である。髪が逆立ち、かつてウシジマくんに登場したどのようなヤクザも見せたことのないようなおそろしい表情で獅子谷が街に立つのであった。

 

 

 

 

 

 

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

 

 

次号休載。再開は7月3日発売の31号。

 

最後のページで切断されたふたつの左手と血まみれの斧が描かれている。ひとつには、海老名たちが計画について話しているときにイメージ図で描かれていた警備員の腕と同じ数珠がついているので、警備員の腕ということでまちがいなさそうだ。スタンガン等で相手を倒しはしたが、やはり手錠は破壊できず、焦ってすぐに腕を切る方向に切り替えた感じだろう。しかし、ということはどうやら奪うことじたいは成功したみたいだ。コンクリートブロックふたつに橋渡しでもしない限り腕なんてそうかんたんに切れるものじゃないだろうから、かなり焦ったことだろう。

 

 

今回は獅子谷兄弟の兄弟愛というか絆がしっかり描かれていた。と同時に、獅子谷兄自身にも受け継がれている父の残虐性と、それに耐え切れないとでもいうかのようにクスリにたよる姿も描かれ、情報量が多すぎて軽くパニックである。でも、パニックのままとりあえず考えてみる。

獅子谷甲児のやっている格闘技はボクシングだったようだ。とはいえ、現在の獅子谷が運営している大会は総合だろうし、じぶんもその道は極めているっぽい。あくまで当時はということになるだろう。ボクシングのグローブにかんしては、獅子谷兄は実はその殴り方をしていた。海老名だか鯖野だかにアッパーをしていたときである。あのとき獅子谷兄は、拳ではなく、グローブをつけた状態ですくうようにアッパーを行う軌道で殴っていたのだ。獅子谷じしんもかなりからだを鍛えている様子がある。このようなことからなにが導かれるだろう。印象的なのは「表舞台」という語である。獅子谷兄は、あくまで弟を表舞台の強者として育てているのである。インターハイというのも示唆的である。ふつう(といっていいかわからないが)不良がボクシングをやるとなったら、ろくでなしブルースがそうだったが、プロのライセンスをとろうとするだろう。もしこの甲児の電話報告が、ライセンスがとれたというものだったら、まったくなんの新味もない。しかし、インターハイというからには、アマチュアボクシングで、プロではなく、ヘッドギアを着用してポイント制で行うアレである。わたしたちが通常テレビとかで見る「ボクシング」というのは当然プロボクシングで、相手をノックアウトすることが公平にみてもっともいい勝ち方である。オリンピックにも採用されている種目はアマチュアのほうだ。くわしくは知らないが、こちらはポイント制なので、ノックアウトよりも技術的にどれだけいいパンチを打って、どれだけ回避するかというところに主眼がおかれる。だから、一般論としてアマチュアボクシング出身のボクサーは非常に技術力が高いということがたしかにあるようである。

インターハイの出場権利はどのように獲得されるのか、学校の代表としてなのか、個人として可能なのか、そのあたりは不明だが、ともかく、ここには、たんなる強者を生み出そうとするかのような、これまで僕が勘違いしてきた獅子谷兄の像とは異なる、なにか、学のない親が子を私立中学に進ませようとするような愛が感じられるのである。たんに、裏稼業とはまた別の文脈で弟に強くなってもらいたいということでも、プロのライセンスという選択肢のほうが、一般の不良像としては自然である。しかしそうではなく、兄は甲児を、あくまで正統的な路線で、表舞台で、強者に、また成功者にさせようとしている。甲児は、結果としてはそうなっているとしても、もともとはシシックの矛ではなかったのである。

では、すでに存在している獅子谷道場と、兄が見せたグローブの軌道はなにを意味するだろう。以前甲児が戯れに丑嶋を殴ろうとしたとき、彼のストレートを、兄はジャブといっていた。ごく一般的にいって、ジャブというのは、相手との距離をとったり、タイミングをはかったりするために使用されるほとんど威力のないパンチだ。通常右利きのものは左足を前に構えるが、このとき後ろ足になる右足で強く地面を蹴り込み、体重を載せることで、右手のストレートは強力なものになる。ボクシング業界では「ちょっとしたパンチ」をすべてジャブと呼ぶとか、そういう可能性もあるが、ここからは獅子谷兄の「学のなさ」を見て取りたい。といってもじっさいの教養のことではなくて、先に述べた「学のない親が子を私立中学に進ませようとする」という比喩の文脈においてのことだ。甲児のボクシングのためか、あるいは兵隊を増やすためか、どちらが動機として先なのかはわからないが、ともかく獅子谷道場というものが建設された。が、正統的な格闘技の訓練を受けていない獅子谷は、ジャブとストレートの区別もつかない。ある程度の筋トレは行うし、グローブをつけてサンドバッグを殴りもするし、社員をポカスカ殴ったりもしたかもしれないが、それはボクシングのテクニックとは無関係だ。そういう状況で、甲児がめきめきと頭角をあらわしていく。兄のいう「表舞台」とは、その正統性に価値がある。自己評価ではなく、外部から下される評価に支えられた、地道な回路なのだ。

こうしたことが明らかになった途端、シシックというのがなんなのかということも自然と(ある種の物語として)浮かんでくる。もちろん、悪党としての野心は強くある。時代もあって、獅子谷にはヤクザ越えという明確なビジョンまであるようだった。が、それと同時的に、「弟を表舞台で一流にしたい」ということがあるのだ。そのための金であり、獅子谷道場なのである。兄は弟を小さい頃から守ってきた。父親は中学校の校長で、権威の象徴のような人物である。が、この人物は「クソ親父」であって、証拠もないのにタバコを骨まで強くじぶんの息子に押し付けるような男だ。で、実はこの面は兄に受け継がれている。兄もまた、ランキングシステムがもともともっている暴力性(最下位は地面で正座)ということとは別に、遊び半分で海老名たちの耳を落としたりしていたし、今回明かされた池袋のエピソードが示すものも、父親とまったく同じである。獅子谷兄には、池袋の件の犯人が誰かなどどうでもいい。徹底的に問い詰めて、つい相手が認めてしまうのであれば、それでいい。父親と同じなのである。

このことを、たぶん獅子谷兄は自覚している(兄の名前は明かされずじまいなのだろうか・・・)。自覚しているが、たぶんとめられない。父親のとっていた方法がげんに有効であることを身を持って知っているからなのか、無自覚な遺伝的なものなのか、それはわからないが、じぶんではおそらく制御することのできないものなのではないかとおもわれる。このことが、たぶん獅子谷をクスリに走らせている。薬物常用者の感覚はわからないが、もしこのことで気がまぎれ、ほんとうはいやでたまらない、必要悪である父親的ふるまいを持続することができるのであれば、いつか考えた、ハブサンの好意が獅子谷に対して持続しうるか、という疑問も解消する。ハブは獅子谷にけっこう好感をもっているような感じがあった。ヤクザ的には獅子谷が(ハブの売っていたものを、なのかどうかはわからないが)クスリをビジネスに使っていることを知ったら、たぶん分け前をよこせというはなしになるので、最初から最後まで彼を薬物常用者としてあつかっているはずである。もしハブと出会った当初から獅子谷がヤク中だったとしたら問題はないのだが、やりとりをするうちに中毒になっていったとすると、途中から様子が変わるわけだから、ハブがなにかを勘付く可能性は高い。今回みると、タバコに入っていたぶんはいかにもひとりぶんだし、獅子谷は仕事用のクスリは別で仕入れているっぽい。とすると獅子谷は当初からヤク中であった可能性が高くなる。しかし、もしハブとのやりとりの途中からそうなったのだとしても、そもそもその行為は自己嫌悪を打ち消すためのもののわけである。獅子谷は、クスリをつかって、いやでたまらない行動をとるじぶんを持続させることができる。だとすれば、ハブの前に立つ獅子谷には(精神的には)変化は起こらないのである。

そして、さらに深読みをすれば、兄が弟を正統的な表舞台で一人前にしようとしているところにも、父親の影響が見て取れる。父であり校長である父親はまさしく権威そのもの、ものごとの正統性を定める側の人物である。獅子谷は父親の残虐性を受け継いでいる。それに気づいたときになにを感じたのかはわからない。じぶんがどうあがいてもあの父親の息子であるという運命を呪ったかもしれない。が、いずれにせよ父はクソ親父である。だから兄は、弟の制度の側における父超えを願ったのではないか。兄弟として父親を克服するという意味でもそうだし、兄としては、みずからの運命を正当化することもできる。彼は、父から受け継いだ残虐性をもってシシックを支えている。そしてそのシシックが、弟を守り、支えている。先天的なじぶんの呪わしい素質に正当性が確認できることがあるとすれば、それはそのことによって呪いを断ち切ることができたときである。獅子谷兄は、受け継いだ呪いを活用することによって、弟を経由し、呪いを下した父を克服しようとしているのである。

 

 

なにか感傷的になってしまったが、そうはいっても彼らはおそろしい兄弟である。今回の、真実とは無関係に自供させる、という点には、獅子谷兄のシシック運営にあたってとられている通奏的なものが見えているようにおもう。獅子谷の拷問は、「真実」を求めて行われるものではない。ただ徹底的に行うことによってのみ、意味が見出されている感じだ。本来であれば、池袋の店長は、どういう経緯かよくわからないが、犯人が先輩であるとわかった時点で、「要領の悪さ」の代償として足を刺されるだけで済むべきである。しかしなぜか獅子谷は拷問を続ける。このあとに吐き出された「自作自演」という真相が、真実なのかどうかはもはやわからない。ではなぜそこまでやらなければならないのかというと、例の転倒した金主との関係性である。彼は、闇金の真の客は金主だという。だとするなら、獅子谷の雇う海老名たちの客は、債務者ではなく獅子谷であり、債務者にとっての客は海老名たちである。この発言にかんしては第428話でくわしくみたのでそちらを見てもらうとして、獅子谷は客として海老名たちに対する。いってみれば店長たちは、客である獅子谷の好感を求めて競争している状況なわけだ。ある販売店を訪れたお客は、それが仮にかなりの善人であったとしても、入店するなり従業員の精神状態がまともかどうか、私生活はうまくいっているのか、体調はどうなのか気にしたりはしない。彼ら固有の、個人的事情は、ふつう考慮されないまま、わたしたちは客として買い物をすることになる。ファーストフード店にいって、彼氏と別れたばかりの女の子にひどい接客をされたとして、それがお客になんの関係があるだろう。もちろん、そういう事情があると知れば、善人であれば容れて、優しいことばもかけるだろうが、それは一般化できる行動ではないし、最初からエスパーのようにそのことを感知できるはずもない。同様にして、客である獅子谷は海老名たちの事情を顧みない。従業員がバカであろうと、競合店が近所にできてたいへんであろうと、彼には知ったことではない。だから、海老名たちが他責的に「お前らが悪いのだ」という言葉遣いで柄崎を責めたとき、ランキングシステムの暴力性は発動し、耳が切り落とされることになった。おそらく同様の理屈が、強盗にかんしても働いている。つまり、強盗に際して重要なことは、もちろん奪われた額もそうなのだが、まずはそこの店長、あるいは警備のものの「要領の悪さ」なのである。女の子の店員が彼氏と別れたことでひどい接客をしたのだとしても、それはけっきょく店の責任のもとに回収される。同じく、どんな事情があれ、また不可抗力的な外部からの攻撃があったのであれ、いずれにしても彼らが強盗にあったという事実だけは変わらない。だから獅子谷は拷問をする。それどころか、「それはじぶんの責任だ」と、なんなら「犯人はじぶんだ」と認めるところまでいかなければ、拷問は終わらないのである。そうすることで、シシックの暴力支配と売り上げは維持されているのだ。

そしてこれは父親が獅子谷兄にくだした罰と同形のものだ。父もまた、証拠もなしに兄に罰を与えていた。しかし、だとするなら、奇妙なことに、この父親は家庭内において客であるということになる。その立場の恩恵に浴し、よりよいサービスを息子たちに求めるものが、父であるということになる。しかも、権威の象徴のような学校の校長である父が、それを体現するのである。獅子谷兄の抱えている闇は想像を絶する深さがありそうだ。