今週の闇金ウシジマくん/第430話 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第430話/ウシジマくん⑯

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鰐戸三蔵を中学生の段階で葬った丑嶋を獅子谷兄はほしい。その真意はじっさいのところよくわからない。そうまでして丑嶋にこだわるほどのことかといわれれば、たしかになんでだろうという感じもないではない。このあたりは、戌亥が鰐戸三兄弟が廃れて、いまは獅子谷兄弟なのだろう、といっていたことと関係して、たんにじぶんたちは鰐戸を上回るものなのだということを示したい無意識があったかもしれない。数年前までは、街の不良は鰐戸兄弟が仕切っていた。しかしじぶんらはそれを大きく超えて、ヤクザさえ飲み込もうとする勢いである。仮に同世代だったとしても鰐戸なんか目じゃないと、そういうことを考えているのかもしれない。だから、彼らが廃れる原因をつくった丑嶋をゲットしたいのだ。

しかし丑嶋にはその気はない。端的に興味がないと。柄崎の顔を立ててくれといっても通用しない。そういうわけで丑嶋は呼び出せなかったので、獅子谷じしんが丑嶋の家におもむくことになった。獅子谷の威圧に対して丑嶋は特にリアクションをとらないが、いちおうおとなしくしたがってどこか広いところに移動する。そして、まだしたがうともしたがわないともいっていないのに、なぜか入社テストが始まる。柄崎の耳をカッターで落とせと。丑嶋は獅子谷の命令にしたがうという身振りではなく、じぶんの住所を獅子谷に教え、実質彼らに丑嶋を売った柄崎をとがめ、その罰として耳を落とそうとするのだった。

 

 

獅子谷兄弟はニヤニヤふたりを見ている。柄崎がどうするか見ものだ、などとはなしているが、どちらかというとどうするかなのは丑嶋な気もする。つまり、丑嶋がマジで柄崎の耳を切ろうとしているらしいということは、彼らは受け容れているのだ。逃げようとするか、土下座でもするか、柄崎がどういう反応をするのかを、彼らは見ているのだ。ヘタレには興味がないと。

柄崎は覚悟を決める。たしかに、結果としてじぶんは丑嶋を売ったことになるのかもしれないと、そういうふうに考えたのだろう。お前を巻き込んだことを許してくれと、震えながら耳を出す。それを見て、丑嶋はわずかに笑っているようだ。柄崎が男を見せたことがうれしいのだ。

これを見て獅子谷兄が爆笑する。もういい、その耳は来月までのお預けだと。獅子谷がどこまで本気だったかはわからないし、どこに爆笑してるのかもよくわからん。からかっていただけなのか、ほんとうに彼らを試していたのか、いずれにせよ柄崎は丑嶋を使ってもてあそばれたようだ。

 

 

と、なぜか急に獅子谷甲児()が丑嶋に殴りかかる。1頁読み飛ばしたかとおもって何回も確認してしまったが、まちがいなく兄の爆笑からいきなり殴りかかっている。丑嶋はいきなりの打撃でもわずかによけたようで、パンチは鼻をかすめただけだ。しかしシャープな一撃で鼻血が出てしまう。生意気な目つきだと、甲児はいう。逆らったら殺すぞと。現時点での甲児の役回りはシシックの矛のようである。

殴られたのに丑嶋はなぜかキョトンと獅子谷を見ている。いちいちカッとなるタイプではないし、甲児のパンチからしてちょっとふつうではないということを感じ取っていたのかもしれない。兄は弟のジャブをよけたことを感心している・・・。しかしこれはどうみてもジャブではない。右足でしっかり地面を蹴り込んで体重をのせた、フック気味の右ストレートである。空手やボクシングなどの打撃格闘技では、通常利き手側の足をうしろにして立つ。そうすることで、利き手で強力な逆突きやストレートを放つことができ、また急所の集中する正中線を守るように半身を切ることで、相手に面するぶぶんを大きく減らすこともできる。前の足をやや内股にしぼるだけで金的だって守れるのだ。右利きのひとの場合左足が前になるわけだが、このとき左手であまり体重を乗せず、素早くぽんぽん打ち込んで距離を調整したり相手の呼吸を呼んだりするときに用いるのがジャブである。甲児はみるからに大振りしているし、その意味ではジャブではないだろう。だいたい、ジャブは絶対もらってしまうパンチだってバキでやってたし。

以前海老名を殴っていたときの描写から、獅子谷兄は大きいグローブをつけたボクシングやキックボクシングの経験者なのかもしれないと推測したが、こういう言い方を見るとそれもちょっとあやしくなってくる。いや、あるいはプロレベルの会話では、こういうちょっとしたパンチは一括してジャブと呼ぶ、などということもあるのかもしれないが、それならたんじゅんにパンチと呼びそうなものである。ひょっとすると兄は格闘技はぜんぜんやってないのかもしれない。弟をモンスターに育てるために道場をつくったついでに、じぶんも筋トレしてるとか、そんなところかも。だからあの殴り方は、グローブありきのものではなく、たんに素人のパンチだったのだ。

 

 

丑嶋はシシックに入るとも入らないともいっていないが、獅子谷は最初から丑嶋の意志などたずねていない。丑嶋は合格だそうだ。来月から海老名のところで働けと、強制的に決まってしまうのだった。

 

 

いつもの勤務先で黙々と働いている丑嶋だが、出てきてから面倒を見てくれていたおじさんにはそこを辞めることをもういってあるようだ。おじさんは「結局悪の道か」と呆れたようにいっている。丑嶋がどう説明したかわからないが、細かいことは聞かされなくても、たとえば「友達の紹介で金融屋に」などという説明からなにもかも理解したのかもしれない。

もう丑嶋が捕まろうが死のうがうちは関係ないと、しかたのないことだが、おじさんは冷たく言い放つ。だが最後に忠告も付け加えられる。

 

 

 

 

 

 

 

「他人様に悪いことしたら

全部自分に返って来るからな」

 

 

 

 

 

 

 

 

丑嶋はいままでの礼をいって、職場を去っていくのだった。

工場から出てきた丑嶋を柄崎が拾う。別にどこかに向かうというわけではないようだが、迎えにきたと。で、また、ウシジマくんでよく出てくるなんか広場みたいなところで、ふたりでコーヒーを飲みながら雑談。柄崎は丑嶋がじぶんの耳を切ろうとした件について訊く。丑嶋は、柄崎を試したのだという。柄崎がもしあそこでゴネていたら耳を切ったのだそうだ。しかし柄崎は決断した。だから切らなかった。もし柄崎の耳を落とすことになったら、そのあと獅子谷兄弟の耳をひきちぎるつもりだったという。引きちぎるって・・・。でもこのひとはやるときはやるからな・・・。三蔵のあたまも豆腐みたいに砕いたし。

獅子谷兄弟に襲いかかってどうなったかは丑嶋もわからない。うまく耳を引きちぎれてもまた刑務所だし、さっきの様子だと失敗して甲児に殺されていたかもしれないと、丑嶋は語る。やはりパンチ一発で実力を見て取ったようだ。

柄崎は丑嶋のタバコに火をつけながら、甲児は丑嶋より強いのかと訊ねる。柄崎は丑嶋の「ありよう」に男として惚れていたとおもうが、同時に彼はそこそこ腕に自信があったであろう中学時代に、まだチビだった丑嶋に負けている。強さにかんしても丑嶋は柄崎のなかで大きな存在なのだ。しかし丑嶋は、たぶんそうだと応える。丑嶋は吸うかと聴いて、柄崎にタバコを渡したようである。ライターをもってるってことは、柄崎もふつうにタバコ吸うんだよね。こんなことってあるかな・・・。

タバコを渡されたせいなのか、柄崎はちょっと赤くなっている。柄崎は人間として丑嶋のことが好きなのだ。人間として好きな男から、吸いさしの、タバコを、渡されたら、どうなるだろう。

柄崎はじぶんのせいでシシックに入ることになってしまって悪かったという。たぶん、こんなことになるとは柄崎もおもってなかった。まず丑嶋がシシックのような強い不良の組織に入ることは、柄崎目線では自然なことだった。それが断られても、それならしかたないとなるべきところだった。しかし結果としては獅子谷のような危険なものを案内することになってしまったのだ。柄崎は申し訳ない気持ちでいっぱいだろう。

しかし丑嶋は応える。柄崎は関係ないと。退屈だったからはなしを受けたのだと。

丑嶋は金融屋のテッペンを目指すぞと柄崎にいう。いったん柄崎はそれに同意したが、テッペンというのはどういうことか、獅子谷を超えるということなのかと、問い直す。丑嶋は応えず、わずかに笑うだけなのであった。

 

 

 

 

 

 

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

 

 

これは意外な展開となった。10年前の丑嶋と現在の丑嶋の思考法はまったく異なっている。現在の丑嶋は、なにもかも、暴力も感情も(カウカウ以外の)人間関係も、文字通りなにもかもを金に換算することで管理・支配している。欲望を満たすためには金が必要であり、そうして訪れる債務者に金を貸すことで、彼は間接的に債務者の欲望まで支配してきた。それが、丑嶋にある種の全能感をもたらしてきた。丑嶋がいつでも無敵に見えたのはそのためだ。もちろん、現実として、強い肉体と優れた頭脳を備えた人物であることはまちがいない。しかしそれを搭載して働かせる回路は、まちがいなくそれだった。なにもかも見透かしたかのような洞察力は、相手が欲望に、つまり金に支配されている限りにおいてのものであり、金に関心のないものは実質的に丑嶋とは無関係の人間である。これからも関係してくることはないだろう。だから、丑嶋は、なにもかもを手にして、金主のような立ち位置を目指すために、金の量それじたいよりも、それをいかに管理していくかという方法論のほうに比重を傾けていったはずである。丑嶋が父子の関係を忌避しているかもしれない可能性についてはヤクザくんのときにしつこいほど見てきた。それはおそらく、彼にとっては奪う/奪われるの関係にほかならなかった。そうした関係性がこの世にあるということそれじたいは変えられない。だったらじぶんは奪う側に立つと、これが、1巻の時点で示されていた丑嶋の初期衝動であった。これを満たすのが闇金という仕事である。なぜなら、闇金業は、関わるものの欲望を管理するからである。これがただの金融であったら、そこまで深く人間の欲望にコミットしはしない。しかし闇金にやってくる客は、もうほかのところでは借りることのできなくなったものたちだ。それでもなお金を借りようとするひとたちなのである。もちろん、同情すべき事情がある可能性もある。そういうとき、丑嶋は悪人の筆致で描かれることが多い。しかし基本的にはそうではない。そうした関係性のなかで奪う側に立つ。また、金のかかわらない領域では奪う/奪われるのやりとりは成立しにくいということもある。

だが、10年前の丑嶋にはそういう思想はまったく見受けられなかった。むしろそういう、生き馬の目をぬく世界には背を向け、コツコツと静かに暮らしていこうとしているかのようだった。だから僕は、おそらくこのあと絶望がやってくるのだろうと予測した。世界を金で解釈しなければならない、あるいはけっきょくのところそうなのだと確信せざるを得ないなんらかの出来事があって転向したのではないかと想像したのである。それが今回、「退屈だったから」と語られたのだった。

むろんこれをそのままに受け取るのも短絡的すぎるかもしれない。たしかに丑嶋は、うーたんがもそもそ葉っぱを食べている幸せな午後を過ごしながら、退屈を感じていた。18歳から20歳くらいの年かとおもうが、そのくらいの年齢で毎日こういう質実剛健な過ごし方をするというのもちょっと早すぎる可能性がある。もっと遊びたい、なんていうチャラい理由は丑嶋には似合わないが、可能性に満ちたそのくらいの年齢で落ち着いてしまうことには、丑嶋もどことなく物足りなさを感じていたのかもしれない。そういう感想があったことはまちがいない。だが、それがシシックに入る動機そのままではないだろう。丑嶋は、獅子谷にしたがう気などない。それは、意志を確認しない獅子谷に対して、なんの返答もしないことからもわかる。たんに状況として不利であるからなんの反応も見せなかっただけで、柄崎に語っていたことが本当だとすれば、最悪あそこで殺し合いが起きていたかもしれないのだ。しかし、柄崎がいる。あそこで入社を拒否したり、さっさと帰ろうとしたら、じぶんだけでなく、柄崎もひどい目にあう可能性がかなり高かった。丑嶋のなかではたぶんそのふたつが重なったのである。このまま獅子谷のいうことを拒否することはどうもできそうにない。拒否してもいいけど、そうすると、じぶんはともかくあとで柄崎が痛めつけられる、最悪殺される可能性さえありそうだ、そしていまじぶんは退屈を感じており、金融という仕事にはなにか見るべきものがありそうであると、そんなふうに考えて、丑嶋は(返事なしに)シシックに入ったのではないだろうか。しかしそれでも、この丑嶋の判断のなかに獅子谷はほとんど含まれてはいない。獅子谷甲児はかなりの腕っ節のようだが、しかし暴れてみてどうなるかはやってみないとわからない。中2の丑嶋がいくらからだを鍛えたって、いくつだがわからないがすでに成人男性の肉体であり、おまけにかなり狂っている三蔵は、まちがいなく丑嶋より強かっただろう。しかし結果はそうではなかった。甲児の腕っ節は関係ない。やるときはやる、ということは、やるべきところではないときには、丑嶋はやらないのである。シシック入社はあくまで丑嶋の意志なのだ。獅子谷の脅しに屈したわけでも、柄崎をおもう気持ちからでもなく、そうすべきだとじぶんが考えたからなのである。

 

 

ここから金融のノウハウを学び、全能感につながる思考法を身につけていくのだとしても、しかしその(1巻の時点での)野心はどこからきたのだろうということは、まだ不明である。しかし、今回の最後のコマを見ると、それはすでに芽生えかけているようである。それはどういうものなのだろうか。丑嶋は、金融のテッペンをとるという。獅子谷は別に金融のテッペンということではないだろうが、現状見渡してシシック以上の闇金組織はないだろうから、これは要するに獅子谷を超えるということだ。これはひょっとすると、中2の時点から成長した丑嶋が、例の「なめられたらおわり」という理屈を、現状の肉体に反映させたものかもしれない。最近思いついたことだが、丑嶋が三蔵を砕いたのは、その身振りを周囲に示すためだ。通常、暴力の経済のなかでは、砕かれた暴力は砕いたほうに移動する。だから、おそらく無意識に鰐戸三兄弟を超えたい獅子谷兄弟は、三蔵のもっていた暴力を宿している丑嶋を欲している。だが丑嶋はもともとそういうものに興味がない。結果として三蔵の暴力を宿してしまっている、というだけのことであり、彼の目的はそこではなく、誰もとることのできない身振りをとってみせる、というところだった。ではいまの、18歳くらいの丑嶋はどうなのだろう。丑嶋は、むしろそうした経済的なものに戻りつつあるのかもしれない。なにもかもこれからの描写待ちで、憶測だが、丑嶋は行為それじたいによってなめられないようにしたつもりが、周囲は暴力の経済に任せて、丑嶋を強大なものと認めているわけである。丑嶋はこれを学習したのかもしれない。中2の丑嶋が求めた「身振り」の孕む価値は、貨幣のように交換のできるものではない。だから、獅子谷に対したときに、三蔵のときと同様、出会いがしらに耳を引きちぎる、なんてことをすることには、あまり意味はない。その「身振り」はすでに達成されているからである。もし再びそうした「身振り」をとらなくてはならないのだとしたら、それは「身振り」としては価値をもっていないことになる。だが、獅子谷は暴力の経済でそれを解釈し、それを買おうとしている。身振りを正しい価値のまま受け止め、それでいて丑嶋を従わせようとするものがいるということだ。このとき丑嶋ははじめて、暴力にせよ金にせよ、交換可能な貨幣を用いたパワーゲームのようなものの仕組みを理解したのではないか。「身振り」は、のちに愛沢が語り、多くの不良たちが「バカ、あれ丑嶋さんだぞ・・・」と恐れていたことが示しているように、それじたいでは非常に有効だった。が、それが通用しないばかりか、利用しようとする世界がある。「なめられたらおわり」はまだ丑嶋のなかに生きている思想だろう。それが、獅子谷を前にして、貨幣の経済で廻る領域に今回はじめて及んだのである。そんな世界でテッペンをとるとはどういうことかというと、むろん「奪う側に立つ」ということなのだ。

 

 

今回は丑嶋が取り出したタバコに柄崎が火をつけ、それが柄崎の手にわたるという奇妙な描写があった。ライターをもっているからといって柄崎も喫煙者であると決め付けるわけにはいかないが(エライひとに火をつけなきゃいけないので)、ふつうに考えて柄崎も日常的なスモーカーだろう。この描写は実に象徴的である。だいたい、横でしゃべっているひとがタバコに火をつけると、喫煙者は無意識にじぶんのタバコも取り出してしまうものである。しかし柄崎はじぶんのタバコは出さない。しかもそこで丑嶋がじぶんのタバコをすすめるというのは、はっきりいってかなり不自然である。つまり、丑嶋はタバコをもっているが、なぜかライターをもっていない、あるいは出さない。柄崎はライターをもっているが、なぜかタバコをもっていない、あるいは出さない。そして火のついたタバコを、ふたりでまわし喫みしている。もちろんこれは、10年後、なにからなにまでともに行動することになる、ふたりの不思議な友情関係を示しているのだ。しかも、ここで共有されているのは、一本のタバコという物体ではない。タバコをめぐる動作それじたいを、ふたりがかりで行っているのである。タバコを吸うためには、タバコと火が必要なのであり、それを、ふたりで用意し、その煙をふたりで分かち合っているのだ。これは作品からのメッセージであると同時に、丑嶋から柄崎への信用の証でもあるだろう。柄崎はみずからの非を認めて、耳をさしだす覚悟をした。柄崎とならやっていける、テッペンをとれると、丑嶋は確信したのである。だから、タバコを吸うための動作に柄崎を参加させる。ふつう火をつける行為はむしろ主従関係をあらわしてしまうだろう。しかし丑嶋はこれを柄崎にわたすことで、そうではなく、この動作をふたりで行い、完了させたのだということを伝えているのだ。