今週の刃牙道/第92話 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第92話/責任感






武蔵の次の相手にはジャック・ハンマーが名乗りをあげた。

たしかに、烈海王がすべてを出し切って死亡してしまうような相手であるし、バキはいまなにをしてるのかわからず、渋川剛気が実質降参してしまったいま、最大トーナメントベスト4ではもうジャックしか残っていない。そこから先となるともう、かつてのボス級のキャラたち・・・オリバ、ゲバル、郭海皇、ピクルといったあたりしか残っていない。このなかでは、気持ちというか覚悟的な意味でゲバルがかなりがんばりそうな気もするが、とりあえずはジャックである。


光成とジャックが徳川邸の庭で鯉に餌をやっている。これから光成は、じぶんたちが本部の強さの質を見誤っていたことをジャックに伝えなければならない。そして、できれば納得させねばならない。おそらく多少芝居がかった表現が必要になる。そんなふうに考えて、光成は部屋からジャックを連れ出し、池の前まできたのかもしれない。ジャックもいちおう餌を手にもってはいるが、撒いてはいない。終始出てきた名前に驚いているばかりで、それどころではないのだ。

ジャックが武蔵とたたかうことを望まぬもの、それは本部以蔵だった。ジャックは「モトベ・・・・・・ッテ、アノ・・・・」というリアクションである。よかった、知ってた。勇次郎への復讐を胸に最大トーナメントにやってきたジャックからすれば、一回戦で横綱に負けたような男など眼中になかっただろうし、それ以後も本部がジャックの目にするところで活躍したことはなかった。方向性としても、肉体の強さを追求するジャックだから、会ったことはなくてもオリバなどを知っている可能性はあるが、本部みたいなありようは興味がなさそう。知らなかったとしてもなんの不思議もない。それどころか、光成は「あの本部」としかいっていないのに、ジャックは「何故アノ本部以蔵(イゾウ モトベ)ガ 俺ヲ許サナイト・・・?」というふうに、純粋な驚き顔で応じている。フルネームを知っているのだ。まあ、本部も刃牙道に入る前からいちおう強者枠であったことはまちがいないし、勇次郎に挑戦したことも何度かある。勇次郎について調べる過程で覚えたのかもしれない。

「あの本部」ということばをくりかえしつかうジャックに、光成は彼と立ち合ってみろという。好戦的なジャックも、意図がわからないというふうに困惑してしまう。ジャックとしては弱いものいじめのような感覚なのかもしれない。そしてまた「あの本部」と呼ぶ。

光成もその感覚は知っている。じぶんも、「あの本部」と、心の中では呼んでいた。あの、弱く、冴えない、年老いた、よくわからない本部以蔵。自分も含めて、そんなふうに呼ぶのは、まさしく本部を理解していない証拠なのだと。

光成はジャックに対武器の心得はあるかと訊ねる。そういう技術を修得しているかどうかというはなしなら、ない。しかし経験はある。どういう状況だか不明だが、鉄パイプやら鎖やらもったチンピラとたたかっている描写だ。もちろん、苦戦などありえない。武器があっても手こずったことなどない。この一連の表現には、相手が武器を持つ理由がその弱さにあるからだ、ということが含まれているように感じられる。できたらシコルスキーのことも思い出してほしかった・・・。


そうして、ジャックと本部の試合が組まれることになる。だが場所は試合場ではない。夜の公園である。試合場は非日常の空間であり、生きることが実戦であるような本部の流儀には馴染まない。そしてその流儀こそが武蔵に通じる道なのであるから、ジャックはこれに応じなければならない。

ルールというか取り決め的には、前田光世がレスリングの世界チャンピオンに他流試合を申し込んだときに提案したものにするという。普段着のまま出会うまで公園を散歩し、相手を見つけたときが試合開始と。これは、死刑囚が一斉に来日してバキらと対面したときに光成が提案したルールと同一だろうか。あのときは公園というしばりはなく、たんに時間だけが決めてあって、出会ったら開始みたいなことだったとおもう。結局は、そんな約束さえ必要ない、いつだってはじめたいときにはじめればいい、というような双方の意見というか意識の波動のようなものがあり、この提案は流れたが、それなりに徳川側が状況を管理でき、なおかつきわめて実戦に近いこのルールを、光成はやってみたくて仕方なかったのかもしれない。

他流試合ではルールをどうするかというところから、すでにたたかいははじまっているのかもしれない。空手家はグローブをしたがらないだろうし、キックボクサーはそれがなければ始まらない。柔道は着衣が原則だが、レスリングは裸である。互いに公平たろうとした結果の、前田光世の提案だったのかもしれない。厳密にいえば、服を着ているぶん柔道に近いような気もするが。


ここまであおられてジャックが見誤るとも思えないが、いちおう光成は、普段の本部は丸腰ではないと伝える。剣から爆薬まで、なにが出てくるかはわからない。

ジャックはけっこういい表情だ。口だけ見るとお父さんそっくりだな。やがてジャックは、道の真ん中にタバコを吸いながら突っ立っている本部を見つけ、自慢の歯を打ち鳴らし、正面に立ってバキボキと拳をかためる。

まず本部はジャックがデカくなっていることを認める。光成からはなしを聴いていたのだろう。ジャックも、本部が丸腰ではないということを聴いているわけだから、そのくらいは伝えていないとフェアではないもんな。

ジャックはもうやる気満々、額に何本もの血管を浮かび上がらせながら、色々使うらしいが、むしろフェアだ、などと煽る。それに対して、なぜか本部は、愛煙家の不遇を嘆くのだった。




つづく。




愛煙家も最近は肩身がせまくて・・・といいつつ、本部はタバコをポイ捨てする。いやいや、そうした行為がだな、愛煙家の肩身を狭くしてるんだよね・・・などとおもったが、しかしこのやりとりはどういう意味だろう。どうして急に「愛煙家」が出てきたんだろうか。ひとつすぐに思いつくのは、メタ的な表現である。するするとそうした場面が出てはこないが、今回のことがなくても本部が愛煙家だというイメージがある。いちばん印象的なのはグラップラー刃牙の完全版表紙においての本部である。今回ちょうど、読者投票による最強ランキングが発表されており、本部は13位という、以前と比べればかなり健闘を見せているが、この写真が完全版のそれである。


(ちなみにこの最強ランキングだが、死刑囚ではシコルスキー、ドイル、スペックが20位以内に食い込んでいるにも関わらず、むしろあの5人のなかでは強者であったとおもわれるドリアンと柳がそれぞれ24位、25位という結果になっているのもおもしろい。そして、彼らをさしおいて19位に夜叉猿が入っている。バキワールドは不等号で強さをはかることができないので、この強さランキングは読者各自の印象によっている。それだけ夜叉猿のインパクトが強かったと同時に、おそらくドリアンと柳はその卑劣さのようなものが印象深く、このような結果になっているのかもしれない。僕も13歳のバキと夜叉猿のたたかいは大好きだし、安藤さんが殺されかけたときの絶望感はふつうではなかった。ついでに書けば、いうまでもなく1位は勇次郎であり、2位はバキである。勇次郎はバキに最強の座をゆずったのだけど、読者の皮膚感覚としてはとてもそうはおもえないということなのだろう。たしかに、現実的にいって、あれは勇次郎以外の誰も認めないような主観でしかないわけである。武蔵は3位。まだ強さの価値が不安定であることもあって、期待もこめてということだろう。以下4位がピクルで5位が範馬勇一郎、6位が花山薫という結果となった。しかし、冷静に考えれば、これだけ強さのアピールがなされている本部が、独歩や克巳、渋川剛気や烈よりも下であるというのは、なんだか悲しい。そしていまからたたかおうとしているジャック・ハンマーは、最大トーナメント準優勝であるにもかかわらず、本部よりしたの14位である。活躍の場があるかどうかというのは大事なことなのだ・・・)


本部といえばタバコというイメージはたしかにある。そして、喫煙描写というのはなかなか難しいものがあるとも聞く。ウシジマくんなんかほとんどのキャラが常にすっているようなものだが、いま検索をかけて調べたところだと、たとえばワンピースのサンジなんかは、海外でくわえタバコがキャンディにさしかえられたりということもあるらしい。つまり、本部のいっている「愛煙家」は、「愛煙家キャラ」という可能性である。そういうわけで、とっとポイ捨てしないといけないのだと、本部はそのように発言しているのである。


唐突な愛煙家発言の理由は、まだいくつか可能性があるが、気になる点としては本部が道の真ん中に突っ立っていたということである。うろうろ散歩して、ばったり遭遇するという、このルールならではの偶発性がここにはないのである。もし「愛煙家発言」がメタ的なものだとしたら、ただ吸ってるだけでも問題がある可能性もあるなかで、散歩しながらのタバコ、つまり歩きタバコなど、未成年の喫煙同様、まずあってはならない描写だろう。ということはこれは歩きタバコではない。本部は歩いていない。散歩をしていないのである。おそらく本部は、ずっとここに立って、タバコを吸ってジャックが通りかかるのを待っていたのである。しかしそうすると、よくある描写だが、足元に吸殻がたくさん落ちていたりしそうなものである。それがないとなると、本部はジャックに対してはあくまで「散歩をしていた」という身振りを通すつもりなのだ。

こういうことを考えて、ジャックの足元になにか爆発物や可燃物があるのではないかと考えたひとは多いのではないだろうか。この距離では爆薬だと本部じしんも危ないので、やはり可燃物だろうか。本部ならやりかねない。ふつうのひとなら危ないけど、たぶんジャックなら丸焼けになっても死にはしないだろう。そんなふうに考えて、さもいまきたかのように装いつつ、ずっとそこに待っていて、タバコを投げて着火するのではないかと。しかし、しっかり足元まで描かれているふたりの対面にそのようなものは見当たらない。本部のタバコのポイ捨てにはなんの意味もないのかもしれない。


愛煙家発言はとりあえず保留したとして、この勝負はどうなるだろう。靴もはいていることだし、体感的にはほとんど2.5メートルといってもいいような男、しかももともと強者であったジャックを前にして、本部はあの余裕である。もちろん、これは芝居である可能性もある。勇次郎から逃げ出した直後そうなったように、実は内心ガクガクブルブルしているのかもしれない。しかし内心どうであるかはたいして重要ではない。そう考えれば、タバコは本部の余裕を表現する装置であるのかもしれない。ふつう、タバコは喫煙者をリラックスさせる。余裕の表情や余裕のふるまいは、相手に上下関係のようなものを伝えるだろう。おもえば勇次郎もこの手の笑みを絶やすことがない。よほど怒っているのでないかぎり、白目になって髪が浮いても、口は笑っていることが多いのだ。これは、彼の闘争への欲求がいままさに満たされようとしているという喜びとともに、事実としての勇次郎の余裕もあらわしていただろう。前回記事の文脈でいえば、勇次郎は既知のひと、それも世界をおおいつくすような究極の既知のひとである。いまから相手がやろうとしていることをじぶんは知り尽くしている、または同じように実現できる、勇次郎はこの手のふるまいをこれまで幾度もしてきた。独歩のくりだす空手に奥義に対しては、それとほぼ等価であるとおもわれる秘技で応え、当時は実戦性の象徴でもあった噛み付きを敢行するジャックには、そんなのは常識だという説明くさいセリフとともに自身も噛み付きを実行した。消力を見せ付ける郭海皇には、最初から修得していたのか、いま覚えたのか、けっきょく不明なままだったが、勇次郎もまた消力をやってみせた。「知らないことなどない」というのが、勇次郎の最強性の源泉だったのだ。もちろん、ここでいう「知」というのは比喩的な表現である。これは要するに、「お前にできて俺にできないことはない」という勇次郎の宣言だったわけである。だから、通常、不等号を添えることができない、流動的な最強戦線において、勇次郎は彼らにその無価値を宣告する。愚地克巳と渋川剛気では「できること/できないこと」がちがうので、価値の形状、面積ともに異なり、それはいわゆる「個性」として顕現していたはずである。このふたつの価値を比べても意味はないし、だいたい答えはでない。そのとき、その場所において、あらわれている価値の大きさによって、たまたま勝敗が決まるだけである。しかし勇次郎はそのどれをもみずからの、「世界」と等価の価値で覆ってしまう。彼の前では、どんなファイターも等しく無価値、無個性化してしまうのである。

対する宮本武蔵は、前回の文脈でいえば、未知を未知のままにあつかうことのできる人物である。村上春樹の小説に登場する人物が口癖とする「やれやれ」というのが、世界の他者性のようなものに対する諦念をあらわしているとすれば、武蔵では「ふむ」という頷きが、これに対応する。武蔵の「武芸百般」は、勇次郎的な意味で「なんでもできる」ということを意味しない。身もふたもないことをいえば、それだと武蔵が出てきた意味がないからである。武蔵の最強性は勇次郎と異なったものでなければならない。そう考えたとき、ぼこぼこにされながらも相手(現状では烈に限られるが)の技に対応し、学び、けっきょく勝つ、そういう武蔵のありようの意味が見えてくる。武蔵は、たくさんの技術を身につけた果てに、「知らないもの」に触れたときにもある程度対応できる術を身につけているのだ。未知を未知のままにして接する、これが武蔵の流儀の要諦であるとおもわれるのである。

このようにして考えたとき、余裕を表現する本部は、どちらかというと勇次郎側なのである。彼は、タバコで余裕を演出することによって、「量的に」ジャックに勝っている、ということを表現しつつあるのである。これはあまりよい流れではないかもしれない。それでは本部が武蔵に勝つことは難しいとおもわれるからだ。よく考えると、本部が勝っても、ジャックが勝っても、これはけっこうな事件である。範馬の血をひく、最大トーナメント準優勝のジャック・ハンマーが、一回戦負けの本部に負けるなんてことがあれば、せっかく催された本誌の最強ランキングがいよいよ意味不明になるし、かといってジャックが勝ったら、これまでの展開がアライジュニア状態になってしまう。だから、逆にいえばなにが起きても不思議はない。この対決じたいが、事件なのである。


ジャックは、武器への心得について訊ねられたとき、どういう状況だか、明らかに素人のチンピラとの喧嘩を思い返していた。いくら刃物をもっていたって、素人三人でジャックにかなうはずがない。そして、「武器」といわれてジャックがまずこの状況を思い出したのも気になる。シコルスキーを思い出さなかったことを根に持っているわけではない・・・。ジャックにとって、「武器」といえば、こういう、素人でも玄人でも、じぶんに比べれば「持たざるもの」にすぎないものたちが手にするものなのである。弱者が、現実的には強者であるじぶんとの距離を少しでも縮めるために、手に取るもの、それが武器なのである。たしかに、素手のままでは、本部がジャックに勝つことなどとうていありえない。その意味では、たしかに本部に武器は必要かもしれない。しかしそれは結果そうであるというはなしで、本部は「素手のままでは勝てないから武器を手にした」わけではない。本部の主観としては、武器をもっているじぶんが本体であり、素手はハンデのようなものではないだろうか。なにが本体であるかというのは、ひとによってことなるだろう。ジャックが刀もったって逆に弱くなりそうだし、人間は道具をつかってこそ人間なのだ、というような理屈でいえば、武器をもってはじめて闘うものとしてのファイターは完成するともいえそうだ。ともあれ、ジャックはおそらく「武器」を弱者のもつものととらえているようなところがある。しかし本部ではそうではない。この見誤りが、あとで響いてくるかもしれない。





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