論理と摂理の間で・・・ | KozZou (コツ僧)随喜

KozZou (コツ僧)随喜

・・・生かされている喜びの日々・・・

どうも論理的な領域には抵抗がある・・・


トラウマがあるのかもしれないが・・・



拙著「動く骨」は表面的には論理的に見えるので


論理的な人間に見られがちだが


実は「動く骨」は論理の皮をかぶった摂理・・・



それを感じ取っていただいている方も多々居られる・・・



しかしながら


論理を蔑ろにしているわけではない・・・



志村けん氏が「非常識なことをするために常識を学んでいる・・・」


といったニュアンスのコメントを耳にしたことがある・・・



常識を知ることによって


非常識な笑い処がつかめるということであろう・・・



そうでなくては、


単なる馬鹿騒ぎになるだけ・・・



基本的な論理の領域には目を向けるが


あるところで歩みが止まる・・・


・・・そこまでは目と耳を傾ける・・・


そこが適当な踏み込み領域・・・



かといって、


摂理的な領域に偏っているわけでもない・・・



論理と同じように


摂理領域にも歩みが止まるまでは目と耳を傾ける・・・



歩みが止まるというのは、


自分の中の気が向く領域のような感じ・・・



言葉では表現しづらいが、


自らの気が、論理と摂理の両側からの引力で


両者の真ん中に浮いている感じ・・・



片側に引かれそうになると


反対側が引き戻す



空間のヤジロベーのような感じ・・・



この空間中庸の居心地が良い・・・



論理と摂理の真ん中で


具体的に生きて生きたい・・・



動くことを主眼に置くことによって


具体的な領域から零れ落ちることは無い・・・



論理と摂理の真ん中で


身体操作を探究し


楽しき人生を歩んで生きたい・・・


・・・と思った、45歳の誕生日でした・・・



・・・今から、家族が祝ってくれるそうですニコニコ音譜