第五回・外山恒一賞 受賞者発表 | 我々少数派

第五回・外山恒一賞 受賞者発表

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   外山恒一賞

 主に反体制的な右翼運動、左翼運動、前衛芸術運動などの諸分野から、「いま最も注目すべき活動家(もしくはグループ)」を、外山恒一が独断で選んで一方的に授与する。辞退はできない。

 外山恒一のファシストとしての再臨(2004年5月5日・ファシズムへの獄中転向を経て福岡刑務所を満期出所)を記念して、2011年より毎年5月5日に受賞者の発表をおこなう。

 授賞は、外山恒一が受賞者の活動に「全面的に賛同している」ことを意味するものではなく、あくまで「いま最も注目している」ことを意味するものである。多くの場合、授賞は好意的評価の表明であるが、時にはイヤガラセである場合もありうる。

 外山恒一が創設した革命党「我々団」の公然党員は授与の対象とならない。

 賞状・賞金・賞品はない。「外山恒一と我々団」や「我々少数派」などの外山恒一関連サイトで授賞が発表されるだけで、受賞者への通知もないが、受賞を知った受賞者は「外山賞活動家」であることを周囲に吹聴してまわって存分に自慢することが許される。外山賞受賞は活動家として最高の栄誉であり、いくら自慢しても自慢しすぎるということはない。


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 私は、かつて云われた“学生運動10年周期説”を今でも通用するものと考えている。
 68~69年に、かつての60年安保闘争を上回る学生運動の一大高揚が起き、そういえば48年にも全学連が結成されるなどしてそれなりに盛り上がっていたことが想起され、70年代に入って以来、連合赤軍事件や“中核vs革マル”といった陰惨な展開によって沈滞していく一方の状況下で、「いや、48年、60年、68年と、およそ10年おきに学生運動は高揚したのだから、70年代も終わる頃になれば再び高揚の季節はやってくるはずだ」と、半ば以上は希望的観測として唱えられた説である。
 結果としては80年前後にそれらしきことは何も起きなかったということで、今やこの説が顧みられることはまずないと云ってよい。
 サブカルチャー史に詳しい人は知っているとおり、80年代初頭に「80年安保」という言葉が橋本治や中森明夫ら一部論客によって提唱されたことがある。70年代後半から80年代初頭に隆盛したさまざまのサブカルチャーを、“学生運動”という形ではない(そしてもちろん“日米安保条約”とも何の関係もない)にせよ当時のラジカルな若者たちの感性が顕在化したものとして捉えたのである。詳しくは浅羽通明『天使の王国 平成の精神史的起源』(幻冬舎文庫)所収「『現代思想』はいかに消費されたか」などを読めば分かる。
 そして私は、この“80年安保”以降も、やはり主役は“学生”ではないものの、主に“若者”たちによって担われる諸運動の高揚が、現在までほぼ10年おきに起きていると主張している。大雑把に云って、“X年代後半”を高揚期、“X年代前半”を停滞期とする学生運動(or若者の運動)の“10年サイクル”は今日まで続いている。
 “80年安保”=サブカルチャー隆盛(と衰弱)までということになる、40年代後半から80年代前半についてはいいだろう。
 80年代後半は、土井社会党や久米宏の「ニュース・ステーション」などに象徴される社会全体のリベラルな雰囲気を追い風として、穏健なものから過激なものまで、若者たちのさまざまな政治・文化の諸運動が活性化した高揚期である。見やすいところでは、88年の“反原発ニューウェーブ”などがある。“ブルー”ハーツと、保坂展人の反管理教育グループ「“青”生舎」とに代表させ、私が「青いムーブメント」と呼んでいる諸運動である。これも詳しくは(89年内までしか記述が進んでいないが)私の『青いムーブメント』(彩流社)を読めばおおよそのことは分かる。あるいは2013年3月13日付のブログ記事「去る2月1日、京大シンポジウムでの私の(会場からの)発言」でも概略は掴めよう。
 90年代後半は、「だめ連」や松本哉の「法政の貧乏くささを守る会」に代表される“脱力”系社会運動の高揚期であり、00年代後半は、やはり松本哉の「素人の乱」や人格的には雨宮処凛に象徴されるのかもしれない“プレカリアート”のフリーター労働運動などが高揚していた。
 対して、90年代前半、00年代前半は停滞期である。表層的にはむしろ高揚しているかのように状況を見誤る者たちも多い。あちこちで書いているから繰り返さないが、90年代前半の湾岸戦争反対運動や反PKO運動、00年代前半のイラク反戦などの“高揚”は、80年代前半の反核運動の“高揚”がそうであったのと同様、無意味な空騒ぎである。
 “3・11”以降の反原発運動の“高揚”、つまり“10年代前半”についても私は当初からそのように見ている。反原発運動など少しも(本質的には)盛り上がってなどいない。問題は量ではなく質で、お行儀の良い運動がいくら量的に盛り上がったところで、真の変革とは無縁なのである。
 高揚期の諸運動の特徴は、誰も問題にしていなかった日常的な事象が唐突に“問題”視されるところにある。原発(88年にはまだ日本で重大事故は起きていなかった)も管理教育も、“だめ問題”も“大学のコギレイ化”も、“フリーター労働環境”も、要するに“こっち”の主導で争点化したものである。“あっち”が起こした戦争や不祥事に後手後手で対処するような運動はそもそも無力なのだ、とも云える。
 今年は2015年。いよいよ「10年代後半」に突入した。
 この数十年の歴史を仔細に見ていくと、たいてい“X年代末”にピークを迎える高揚の起点は、やはりたいてい“X年代半ば”にある。
 創設以来、今回も含め、停滞期の中でラジカリズムを維持するような諸々の試みを拾い上げることに実は主眼を置いていた外山賞だが、そろそろもっと積極的な“何か”が起きると思う。それを見逃さないようにしたい。


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 〈授賞発表の前に、授賞の検討対象とした人・物・事〉
 

 ノミネート1 小倉北警察署突入闘争

 昨年7月、北九州市の小倉北警察署に軽自動車が突入し、ガラスを割って署内まで乗り上げるという楽しい事件があった。報道によれば、決起したこの54歳の人民英雄は「警察が嫌いだった」などと至極まっとうな動機を述べたとのことで、徹頭徹尾明るいニュースであった。
 小倉北警察署に車突っ込む「警察嫌いだった」(ニュース速報Japan 2014.7.22)
 ちょうど翌日に現場を通りかかる機会があったし、私は喜び勇んでtwitterでこのように書いた。
 【よくやった】早くも来年の外山恒一賞・最有力候補の呼び声も高い、名も無き人民の偉大なヤケッパチ決起に胸を熱くする。【小倉北警察署前なう】(2014.7.23 AM1:20:22)
 負けてはならじ、すべり込みセーフで外山賞はオレのものだ、という心意気か、今年度の受賞者発表も秒読みに入っていた5月1日、またも53歳の人民英雄が、今度は武装の水準をいきなり思い切りエスカレートさせて大型トレーラーで、やっぱりなぜか小倉北警察署に突入した。署内にまでは到達しえなかったとはいえ、立ち番の警察官に向かって突っ込み、パトカーを破壊し、しかも何度も“バックしては突っ込み”を繰り返したようで、外山賞獲得への熱い思いが伝わってくる。報道によれば、当然ながら「警察にイライラしていた」などと誰もが共感できる動機を述べているとのことである。
 小倉北警察署に大型トレーラー突っ込む事件(ニュース速報Japan 2015.5.2)
 誰も困らないし、どんどんやればいいと思う。


 ノミネート2 山本泰雄氏(官邸ドローン事件)

 改めて説明するまでもあるまい。去る4月22日、首相官邸の屋上に“放射性物質”(単に福島で採取した砂)を搭載したドローンが発見され、大騒ぎになった。3日後、福井県在住の山本泰雄氏が警察に出頭し、「威力業務妨害」で逮捕された。「反原発」がその動機だという。
 私の見解は、twitterで表明したとおりである。
 官邸ドローン事件にインスパイアされて、とんでもない“テロ”の手口を思いついた。政府は立場上コレを“テロ”呼ばわりするわけにはいかんだろう、ってやつ。犯罪構成要件も満たさないような気がするし、満たしたとしても微罪だろうし、っていう。あちこちから顰蹙買いそうだが、どうしようかなあ…。(2015.4.29 AM2:39)
 【武田崇元氏のツイートをリツイート】なんで「反原発派」はドローンのおっちゃん非難する?常磐線全線再開を目指し避難者に強引に帰還を促すほど安全な福島の砂を首相官邸に空輸するのはテロでもなんでない。ほんらい犯罪でない行為を官憲が威力業務妨害いうたら、お前らも犯罪やと思うんか
 【スガ秀実氏のツイートをリツイート】今、反原発運動を担っているのは日共でなく我々だど言うなんリベ多いのは承知しているが、彼/女たちが、ドローン男に対しては、ハネ上がり、挑発者、権力のスパイと、実質、昔の日共のトロツキスト批判と同様の批判をしているのは見苦しい。日共でさえトロツキー再評価はしている。お前らバカか。
 反原発派の多くが官邸ドローン事件を非難してるそうでゲンナリ。ったくそんなことだから再稼働を着々と進められちゃうんだよ。本気の反原発派ならむしろこの義挙に続け。あえて逮捕されるのは得策ではないが、“犯罪”にならないようにほぼ同じことをやるぐらいの知恵はないのか。(2015.4.30 PM11:24)
 官邸ドローン事件が“犯罪”にされたのはドローンや容器を現場に放置したからだ。政府が安全だと云ってる福島の砂を例えばコップ1杯分ぐらい官邸や自民党本部の周辺にバラまいたって“犯罪”にはなるまい。何百人何千人が次々と少しずつ、再稼働諦めますと奴らが降参するまでやりゃあいいじゃないか。(2015.4.30 PM11:33)
 こういう至極まっとうな“決起”を、せめて反原発派の2割程度が支持し、山本氏救援の輪が拡がっていく展開になっていれば、私もこの数年を“停滞期”呼ばわりしたりしないし、そもそもそれぐらいの判断力を“3・11以降”の反原発運動が持っていれば、自民党政府だってとっくに再稼働を断念している。


 ノミネート3 菅野完氏(「日本会議」に関する研究)

 菅野完氏、通称ノイホイ氏(@noiehoie)である。
 ファシズム転向以前の“異端的極左活動家”時代、私には地元福岡と東京に1人ずつ、問題意識をかなりの程度共有しうる“右翼の友人”がいたわけだが(藤村修氏と大石規雄氏)、ファシズム転向以後に当然やたらと増えた新しい“右翼の友人知人”たちの中でも、とくに「まさに右翼はこうあってほしい!」と感じさせられたのが菅野氏である。
 この数年、反原発運動や反ヘイトスピーチ運動に関わっておられたが、最近は「日本会議」の成立史・発展史についての研究に没頭しているようである。
 菅野氏のtwitterには断続的に目を通しているが、「日本会議」への言及が、2月頃からか、急に増えてきたように感じた(前々からチラチラ言及していたような気もするが)。
 「日本会議」は保守系の市民団体で、なんというかまあ、いいトシこいた大人のくせにネトウヨみたいな水準の政治的主張を掲げて、いろいろやっている。主張の内容的には話にならん人たちなのだが、その影響力たるや主張の内容以上にトンデモない。この10年ぐらいで急速に進んだ“右傾化”(私はそれを「右傾化」だとは考えていないが)の背後に、どうもこの「日本会議」の存在があるようなのだ。
 そしてそもそも「日本会議」がどのようにしてここまで大きくなったのか、そもそもいつ誰が始めた運動なのか、遡っていくと“68年”の新左翼学生運動の高揚に、半ば感化もされながらこれに対抗して形成された“民族派学生運動”、とくに長崎大学で解放派による自治会支配を打破することに成功した「生長の家」系の数名の右翼学生たちに行き着くというのだ。
 これはすごい研究だと思う。
 詳しくは、菅野氏の文章を読んだ方が早いだろう。いいからとにかく読みなさい。
 「ハーバービジネスオンライン」シリーズ“草の根保守の蠢動”
 第1回 安倍内閣を支配する日本会議の面々
 第2回 日本会議は何を目指すのか?
 第3回 日本会議に集まる宗教団体の面々
 第4回・前編 日本会議を語る際、「陰謀論」は不要だ
 第4回・後編 「設立宣言」「設立趣意書」からみる日本会議の系譜
 第5回 日本会議の源流を作った男
 第6回 ついに始まった、日本会議による『改憲へのカウントダウン』
 第7回 「安倍談話」の有識者会議座長代理の変節から浮かぶ「圧力」の歴史
 第8回・前編 靖国神社と日本会議
 第8回・後編 日本会議は靖国参拝の先に何を目指すのか?
 連載はまだ続くのかもしれない。また、上記の他に「番外編」もいくつか発表されているから、併せて読むとよかろう。


 ノミネート4 「男たちの脱原発」デモ

 首都圏で、震災直後の2011年夏以来、統一戦線義勇軍の針谷大輔議長を中心に毎月続けられている「右から考える脱原発」デモに、その立ち上げから深く関わっていた大石規雄氏の主催で、2014年10月から2015年2月にかけて、計3回の「男たちの脱原発」デモがおこなわれた。
 反原発の立場を鮮明にしている長渕剛のファンによる、長渕ナンバー限定の、いわゆる“サウンドデモ”である。デモ・コースは、浅草を出発して約1時間半、上野の西郷隆盛銅像前で解散というもの。鹿児島の“反体制保守”の2大英雄である長渕と西郷を担いでの、“鹿児島川内原発再稼働阻止”のためのデモなのである。
 長渕ファンたちがデモ! 川内原発再稼働反対を訴えた【動画あり】(『日刊SPA!』2014.10.19)
 これはすごい。笑える。ただ笑えるだけでなく、ほんとに再稼働を阻止できるかもしれないという希望も湧いてしまう。まさに外山賞にふさわしい。今年の外山賞はこれで決まりだ。
 ……といきたいところだが、実はこれ、当初から私がこっそり関わっていたインボーなのである。自分が直接関与しているものは授賞対象から外すよう己を戒めているので、涙をのんで授賞辞退する。
 これぐらいのことを諸君もどんどん思いついて実行に移せば、晴れて外山賞受賞なのに、まったく残念だよ諸君は!
 長渕剛がその気になれば川内原発再稼働ぐらい簡単に阻止できる(外山恒一ブログ「我々少数派」2015.3.9)



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   第五回外山恒一賞

   『サルママ』編集部

サルママ

  授賞理由


 私なんかが地方でよく聞く、そして聞くたびにウンザリするのが、「ココは田舎だし、面白いものなんか何もないですよ」みたいな云い草である。それは単にオマエが何もやってないし、やろうという気もないことを自白しているだけだ、と云いたくなるし、もちろん必ず婉曲にそう云う。
 宮崎ですよ、宮崎。知事サマが「どげんかせんといかん」と云い出し、でも途中で投げ出したような街ですよ!
 『サルママ』は、宮崎の“現在”の総力を結集したミニコミ誌である。
 もともとは、市中心街でBAR「ストロボマンボ」を経営する神谷マサユキ氏が、90年代にもちろん宮崎で発行していたミニコミ誌だ。94年に創刊され、毎年1号刊行し、神谷氏が一時宮崎を離れたこともあって、97年の第4号で終刊した……かに見えた。
 『サルママ』の「第5号」は、2014年9月、実に16年ぶりに刊行された。
 90年代の『サルママ』編集にも関わっていた「ストロボマンボ」の常連客たちが、「また出しましょうよ」と神谷氏を煽り、「出したきゃ自分たちで出せ」と煽り返されて、地方都市で、しかも県庁所在地なのに人口約たった30万(“平成の大合併”による水増しは除外)の宮崎市で作られたとは信じ難い、全国どこに出しても恥ずかしくないハイ・レベルなミニコミ誌が完成したのである。
 力の入りようが並大抵ではない。B5版で124ページ、文字組みもキツめで字がギッシリの印象だ。カラーページも多数。宮崎のバンドの曲を集めた17曲入りのCDまで付いている。それで500円。原価は470円だそうだ(笑)。
 無内容な泥酔対談(実にくだらなくて良いという意味である)からハードな原発問題まで、宮崎の奇人変人紹介から、67年に何処からか宮崎に突如現れ70年代を通して宮崎カウンターカルチャーの拠点となり再び突如として何処かへと去ったヒッピーコミューンの歴史発掘まで、とにかく読みどころ満載。これだけの文字量で隅々まで退屈させないミニコミ誌など、いや商業誌でさえ、(私が出してる『人民の敵』は除くとして)福岡にもないし、たぶん東京にも今あるまい。
 実際、東京のサブカルの殿堂(?)、中野「タコシェ」でさえ吃驚仰天しているのだ(記事で言及されているとおり、ビジュアル面を言語化するボキャブラリーに乏しい私には上手く表現できないのだが、“手作り感”がまた独特なのだ)。
 そりゃ東京や京都にでも出りゃ“面白い”人やモノにいくらでも出会えるでしょうよ。しかしそれはオマエが生み出した“面白さ”じゃないだろう。どこでもいいが、とりあえず自分がいるところを“面白く”できないような奴はしょせん消費者なのだ。宮崎くんだりで生まれた『サルママ』を読んで反省しろ。
 もちろん『サルママ』はこの第5号で終わりではなく、現在、第6号を制作中とのことである。