ご利益について | Natural Bone Japanese

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日本の素晴らしさを考えてみるブログ!

よく、パワースポットと称して、やたらめったらご利益にこだわる人が後を絶たない。まぁ、気持ち分からないでもないですが、ちょっと待っちくれ、ということで、本質的にご利益とは何かと言うことを一度、問い直しててみたいと思います。

実は、私、あんまりスピリチュアルって言葉、好きになれないんですよね。自分自身にそんな能力がないというのもそうかもしれませんが(笑)、何か、安直な感じがして、それが根本的な解決なのか、現実逃避なのか、よく分からない節があるように思うんです(まぁ、楽しむ分にはいいと思いますけどね)。勿論、これを持って、全てのそういった筋の方全てを否定している訳でありませんが、霊感商法だ、なんだぁとこうした事件、事故が後を絶たないことを考えると、ひとつに、こうした見えざる力に、自身の根本問題を安易に委ねようとする、そんな発想があるように思えてならないんですよね。

だって、占いなんか、まさに、そうですが、当たるも八卦、当たらぬも八卦って、こんなに都合のいいことありませんからね(こうした人に限って、よく「他人は見えるけど、自分のは見えない」とか、「それは信心が足りなかったから」とか、「運命は変わるもんなんで」とか言って、外れた際の保険を予め用意していて、その責任は取らないでしょ?)。例えて言うなら、保険料を払っても、その後、支払われるかどうかは分かりませんと言われて、「はい、そうですか」、とかって私の場合、ならないんだなぁ~(笑)。

何故、こんな事を言うかと言いますと、これは、ある種、このご利益文化の在り方にも通ずるものがあるからです。はっきり言ってしまえば、単に、拝んだだけで、事の本質が解決してしまうのであれば、こんな安上がりなものはないですよね。実際、どこまでの方がそのパワーなるものを期待しているかは分かりませんが、神社が人の願いを聞き届けるだけのところと思ったら、多分、その願いが叶うことは少ないんじゃないかなぁと思います。

それでは、そもそも、何で神社に参拝するのかと言うと、実は、これ、お願いをする為にあるのではありません。要は、参拝における祈願とは自らの目的を宣言する為にあります。以前、あるテレビ番組で脳科学者がそれが脳科学的にも正しいとも言っていたのは、言い得て妙ですが、基本、神前では、「こうしてくれ」と頼むのではなく、「こうするぞ」と宣言する為にあります。

多分、これを脳科学者が正しいというのは、自己暗示を示唆している為なのかもしれませんが、ある意味、これは正しい選択で、結局、意志の伴わないものは、何をやってもダメという言い方ができなくもありません。自分が本当に成し遂げたいこと、それを自分の意志をもって、神様の前で固く宣言する。それが、結果として、自身のその後の行動に、堅い決意をもって反映されるという訳です。よく、祈願の前に、自身の名前を言うというのも、実は、そうした宣言にも関係すると言い換えることができます。

そして、第二点には、目に見えない力に、感謝の念を抱く、その心持ちというのがあります。参拝時には、先ず最初、その場に立てた御礼、または、日頃の感謝の念を神前に伝えます。これは、その人の心の在り方に大きく作用し、私は、これをもって、森羅万象に感謝の念を抱けない限り、周囲から感謝される人間にはならないという意味で伝えております。

要するに、神前での祈願とは、先ず、自身の在り方を神という森羅万象すべての世界に感謝をし、そして、自分の成し遂げる目的を宣言するためにあると言っても良いかもしれません。そして、それが日頃の生活に活かされる。正に、自分自身の意志や意識と向かい合う場であると言ってもいいかもしれません。

そのため、一部には、よく、拝殿に鏡が祀られているのをもって、「かがみ」の中の「が(我)」を抜くことで、「かみ(神)」が見えると言いますが、鏡に中に写る自分の中に、まさに神を見出すことができるというのは、私の中でも非常に哲学的で好きな考え方になります。まぁ、この話の出自がどこから来ているのか分かりませんので、神社における通説として、ご紹介する訳には参りませんが、中々、素敵な考えですよね。

だから、以前、私が講演の中で、ある女性から、「私はこれだけ縁結びの神社に詣でているのに、どうして、叶わないのですか?」と質問をされたことがあるのですが、それは、まさに、自身の心のあり方に問題はないですか?ということになると思っています。

ただ、ご利益文化というものは、その神社の意味を知る、そのきっかけには最適だと思う自分もいます。ですので、その関わりを楽しむという意味で、ご利益をみて、そして、その意味を知る。そうした気付きの中から、自身の存在意義との関わり合いを正し、日々の生活の活力へとつなげる。そうすることで、結果として、自分の思い描く姿に至ることが出来ると思っています。

神社には、その他宗教と異なり、厳密な教えがある訳ではありません。そのため、善かれ悪かれ、それは自分自身の心の在り方にダイレクトに反映してきます。神道が、神教という教えにあるのではなく、その道というのは、そのためです。そして、この感性はまさに心を汲み取るという日本人ならではの誇るべき感性だと思っております。

話は長くなってしまいましたが、本日も報道で、「神世界事件で会社役員ら逮捕」とか、「除霊と称し16歳少女に裸写真送らせ、霊媒師逮捕」とか、そんなアホなみたいなニュースが立て続けに流れてましたので、少しこのあたりに、触れてみたいと思いました。安易な金儲け、うまい話には裏があるではありませんが、少し冷静になってみて下さい。良くも悪くも結果は必ず自分に返って来ますよ。

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