中村屋サロン美術館で「日本近代洋画への道」を観た! | とんとん・にっき

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中村屋サロン美術館で「日本近代洋画への道 高橋由一から藤島武二まで 山岡コレクションを中心に」を観てきました。


山岡コレクションは、日動美術財団が運営する笠間日動美術館の所蔵になる、山岡孫吉氏が収集された日本洋画の一大コレクションです。山岡孫吉氏は、明治21年3月に、当地の滋賀県伊香郡高月町に生まれ、明治45年に山岡発動機工作所を創業、小型ディーゼルエンジンの実用化に成功、後にヤンマーディーゼル株式会社を設立された実業家です。一方で、氏は、江戸時代から特に明治時代の洋画に強い関心を抱かれ、早くよりこの種の作品の収集につとめられ、優れたコレクションを形成されました。

(滋賀県立近代美術館より)


ポスターになっている作品は、青木繁の「二人の少女」1909年、笠間日動美術館蔵です。とても青木繁の作品とは思えません。特に素晴らしかった作品は、川村清雄の「ベニス風景」です。川村は若くしてヴェネツィア美術学校に留学します。平成24年に江戸東京博物館で「維新の洋画家 川村清雄」展が開催され、図録を観るとベニスの風景を描いた作品は何枚かありますが、この「ベニス風景」は載っていません。油彩ですが、さらっと描いています。山本芳翠の「けしと小鳥」も、同じような印象を受けました。気になった画家、山下りんの描いた「ヤコブ像(使徒之図)」は、迫力があり圧倒されました。


展覧会の構成は、以下の通りです。


第1章 江戸幕末の洋画

第2章 明治初期留学生と工部美術学校

第3章 明治外光派と浪漫主義


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第1章 江戸幕末の洋画

江戸時代後期から幕末にかけ、日本洋画誕生の胎動が本格化し始めます。洋風技術の実用性を認識した幕府は蕃書調所を設置。その画学局で川上冬崖が西洋画法を研究します。高橋由一はここで川上から学ぶとともに、イギリスから来日したチャールズ・ワーグマンを訪ね、直接、油彩画の手ほどきを受けました。




第2章 明治初期留学生と工部美術学校

明治初年から20年頃にかけて、国沢新九郎、五姓田義松らがヨーロッパへ留学し、本場の地で洋画の技法を学びます。また、政府は1876(明治9)年に工部美術学校を創立し、西洋美術の教育を始めました。イタリアから画家アントニオ・フォンタネージを招き、彼のもとから小山正太郎、山本芳翆などが巣立ちました。




第3章 明治外光派と浪漫主義
1893(明治26)年、黒田清輝と久米桂一郎がフランス留学から帰国し、洋画界に新風を吹き込みます。外光派のラファエル・コランに師事した黒田らは白馬会を結成、ここに藤島武二や青木繁などが集い、明るく清新な画風洋画界をリードしました。また、1901(明治34)年には満谷国四郎、中村不折らが太平洋画会を結成。物の形の把握やデッサン力を重視し、白馬会に対抗しました。




「日本近代洋画への道 高橋由一から藤島武二まで 山岡コレクションを中心に」

江戸末期、日本は開国により様々な分野において西洋化がなされました。美術の分野では、西洋画の持つ写実的な表現に魅了された画家たちが熱心に研究を重ね、その技術の習得に全力を注ぎます。

やがて彼らは、来日した西洋人の画家から直接に教えを受けるようになり、明治期に入ると、本格的に西洋画を学ぶためにヨーロッパ留学を果たしました。アカデミックな人物画の教えを徹底的に受け、本物のヨーロッパ芸術に触れた画家たちは、日本画壇に新しい風を吹き込んでいきます。

本展では、日本近代洋画史上貴重な「山岡コレクション」から高橋由一、山本芳翠、黒田清輝、藤島武二、青木繁などの名品約30点をご紹介いたします。中村屋に出入りした芸術家と同じ時代を生きた彼らが、試行錯誤を繰り返して得た、その成果の一端をお楽しみください。


「中村屋サロン美術館」ホームページ


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