LIXILギャラリーで「ブルーノ・タウトの工芸」を観た! | とんとん・にっき

LIXILギャラリーで「ブルーノ・タウトの工芸」を観た!


LIXILギャラリーで「ブルーノ・タウトの工芸ニッポンに遺したデザイン」を観てきました。 ブルーノ・タウトについては、田中辰明の「ブルーノ・タウト 日本美を再発見した建築家」(中公新書:2012年6月25日発行)が詳しい。


建築家ブルーノ・タウトの名は、日本では日本文化についての著作で知られています。しかし、約3年半の滞在生活を支えたのは、主に群馬県高崎における工芸の仕事でした。試作に留まったものも含め、計633点もの作品を精力的にデザインしたといわれる。東京で販売され、作品展も催されたが、その業績の記録である作品や資料類の多くが、戦争などで失われました。幸運にも散逸を逃れ、今日に遺されたのは、膨大な仕事のごく一部です。



今回の展覧会の見どころは、以下の通りです。


①タウトデザインによる工芸作品
タウトは、日本独自の素材である竹を愛し、数多くのデザインを残しています。タウトは、高崎に古くから伝わる草履や笠を作る際に使われた竹皮編とドイツのバストという籠編みの技術とを組み合わせた新たな技法により、盛籠やパン籠などの作品を生み出しました。中でも、竹を傘の骨組みにして和紙をはった電気スタンドは人気商品のひとつでした。竹への強い愛着とデザイン性の高さから技術的に要求の高いものが多く、当時タウトの下で工芸品の制作や図案を担当していた故水原徳言(みはらよしゆき)氏(1911-2009)は「竹の特性を考慮した上で、彼が何を作ろうとしているのかを理解し、職人に説明して満足する形に仕上げた」と当時の苦労を振り返っています。本展では日本では馴染み深い竹を、西洋風のモダンなデザインにした作品をご覧いただきます。
②タウトデザインによる家具作品
高崎では工芸品の他に数点の椅子やテーブルなども制作しています。椅子の制作においてはとりわけ試作を重視し、試作品ができると、肘に腰掛けたり、斜めに圧したりして強度を試しました。今回、タウトが高崎で滞在していた少林山 達磨寺に残る貴重な椅子が登場します。
③タウトデザインの喫煙道具
タウトは、当時の文化人に人気のあった日本独特の煙草セットを数多くデザインしました。煙草セットとは、盆・火入れ・灰落とし・煙草入れ・煙管などを組み合わせた煙草盆が、明治・大正以降に簡略化したものです。煙草セットはライターの誕生とともに姿を消し、今では茶道具や歌舞伎の小道具として残るのみです。煙草セットのデザイン画の他に、煙草入れ、シガレットケースなどの実資料を展示します。
④デザイン画
タウト直筆によるデザイン画は、置時計や編物籠、ボタンやバックル、縫いぐるみなど約25点紹介します。細やかに着彩されたデザイン画からは、日本の工芸にも色を用いようとしていたことが想像できます。 さらに、製作図の段階では商品化しようと試みたプロセスが伝わります。タウトがどのような工芸品を制作しようとしていたかの意図を垣間見ることができるでしょう。


ブルーノ・タウトの工芸作品

螺鈿


木工
竹工

照明
椅子
工藝デッサン



建築家の休日


自然との対話から生まれる造形
日本の工芸に託した夢
ドイツ時代のタウトは、自然や宇宙に向き合い、色彩豊かで使い易い設計を提唱し、ベルリンを中心に12000戸以上の住宅作品を残していました。一方、日本ではほとんど建築の仕事に恵まれないなか、主に群馬県高崎市の工芸所において工芸デザインの開発と指導に持てる力を注ぎます。地場の素材と伝統技術の積極的な活用の上に、デザインという手法を初めて採り入れたタウトは、漆工・木工・竹工・染織など、わずかな期間に数百点以上の工芸品を生み出しました。 タウトは、風土に残る純粋なものを愛する、という自身の明確な価値観を工芸分野にも応用しようと試みたのではないでしょうか。会場では、ブルーノ・タウトデザインによる貴重な工芸作品や直筆のデザイン画など約90点をご覧いただきます。竹の電気スタンドや椅子などのインテリア、盛籠やナプキンリングといった食卓まわりの実用品など、それらは、素朴な中にも無駄のない質素な美しさを醸し出しています。また、タウト自ら描いたデザイン画は、細かく着彩もされ、英語で素材の指示や注意までも書き込むなど、試行錯誤した痕跡が伝わります。これらの資料から、当時の日本の工芸やデザインに一石を投じようとしたタウトの視点を改めて推考していただければと思います。


「LIXILギャラリー」ホームページ


とんとん・にっき-nihonbi 日本美の再発見  増補改訳版

ブルーノ・タウト著 篠田英雄訳

岩波新書(赤版)39

1962年2月20日第19刷改訂版発行

桂離宮をはじめ、伊勢神宮、飛騨白川の農家および秋田の民家などの美は、ドイツの建築家タウトによって「再発見」された。彼は、ナチスを逃れて滞在した日本で、はからずもそれらの日本建築に「最大の単純の中の最大の芸術」の典型を見いだしたのであった。日本建築に接して驚嘆し、それを通して日本文化の深奥に遊んだ魂の記録。




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