東京オペラシティ・アートギャラリーで「家の外の都市の中の家」展を観た! | とんとん・にっき

東京オペラシティ・アートギャラリーで「家の外の都市の中の家」展を観た!



東京オペラシティアートギャラリーで「家の外の都市(まち)の中の家」を観てきました。副題には「第12回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展帰国展」とあります。


第12回は「メタボリズム」がテーマです。メタボはお腹が出ていることではなく、1960年に始まる建築理論です。メタボリズムとは、生物学用語で新陳代謝を意味します。60年に東京で開催された世界デザイン会議に際し、建築評論家の川添登、建築家の菊竹清訓、黒川紀章、大高正人、牧文彦、デザイナーの栄久庵憲司、粟津潔が参加して、「メタボリズム宣言」をしました。彼らは固定した建築や都市を否定し、空間や設備を取り換えながら生物のように新陳代謝する建築や都市をイメージしました。菊竹の大阪万博「エキスポタワー」や沖縄海洋博「アクアポリス」、黒川の「中銀カプセルタワー」がよく知られています。


第12回のヴェネチアのコミッショナー北山恒は、メタボリズムを批判的に継承するとしています。「機械部品のように都市は更新できない。50年後の東京は、個別の土地で民主的に建て替わり、それが集まって都市になっている。生成変化は、我々の属性と考えた」と語っています。建築評論家の五十嵐太郎も、「社会や都市に働きかける姿勢は今も重要です。ただ、新陳代謝という発想は使い捨てにもつながるので、持続可能社会の中では読み替えが必要だ」と指摘します。


来年7月から東京・森美術館で「メタボリズム展」が開催されるという。企画者の一人、八束はじめは、「オイルショック以後、右肩上がりの発想と見られ、国内評価が低くなったが、今後予想される地球規模の人口爆発にも対応しうる計画論だと思う」と語っています。


過去にどんなものがヴェネチアに出されていたのか、調べてみました。やや話題になったのは第10回の「藤森建築と路上観察」あたりからで、その前はメディアにはほとんど取り上げられていなかったので、ちらほら情報が入ってくるぐらいで、僕はほとんど何も知りませんでした。「藤森建築」の前はたしか「おたく文化?」だったと思いますが、建築とはだいぶかけ離れていました。


第10回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展の出品作は以下の通りです。

日本館テーマ: 藤森建築と路上観察 -誰も知らない日本の建築と都市-

日本館コミッショナー: 藤森照信(建築家・建築史家・東京大学教授)
出品者: 藤森照信(同上)、赤瀬川原平(作家・画家)、南伸坊(イラストレーター)
松田哲夫(編集者)、林丈二(作家)、杉浦 日向子 (漫画家・江戸風俗研究者、故人)


第11回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展の出品作は、以下の通りです。

展示テーマ :EXTREME NATURE: Landscape of Ambiguous Spaces
コミッショナー: 五十嵐太郎(建築批評家、東北大学准教授)
参加作家: 石上純也(建築家)、大場秀章(植物学者)
展示概要: 日本館のまわりに、石上純也が小さな温室群を設計する。


第12回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展の出品作は、以下の通りです。

展示テーマ:TOKYO METABOLIZING
コミッショナー:北山恒 (建築家、横浜国立大学大学院/Y-GSA教授)
参加作家:塚本由晴(建築家、東京工業大学大学院准教授、博士(工学))、
西沢立衛:(建築家、横浜国立大学大学院/Y-GSA教授)
展示概要: 第12回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展が開催される2010年は、50年前の1960年に、メタボリズムという概念を日本から発信して半世紀たつという年である。

中略

塚本由晴と西沢立衛は共に40歳台半ばであり、そして共に現在の日本の建築状況のエッジを形成する作品および論説を活発に展開している。この二人の建築家は現代の東京という都市状況と反応しながら「新しい建築」、そして都市建築理論を展開している。この二人の建築家の仕事を道案内に、生活を主体とした東京の都市イメージを明らかにしようという企画である。大いなるインパクトを持って受け止められた、1960年に提示された言説から半世紀たち、再び、日本が世界の建築・都市に関する思想的リーダーとなる可能性を諮る展示でもある。
(コミッショナー: 北山恒)

「第12回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展帰国展」は、テーマは「house inside city outside house Tokyo Metabolizing 家の外の都市(まち)の中の家」となっています。introductionは、以下のようにあります。


東京という都市は、ヨーロッパの都市に見られるような連続壁体でつくられる都市構造ではなく、ひとつひとつ独立した建物(グレイン=粒)の集合体として構成されています。つまり、建物ごとに変容が容易に行われるようなシステムが内在しているのです。絶え間ない変化を続ける都市・東京は、「新しい建築」を生み出す孵化装置であるといえるでしょう。2008年の資本主義経済の大きなクラッシュの後、資本権力のアイコンとしての建築が都市の主役から退場し、住宅という生活を支える建築のあり方が問われています。本展では、20世紀に展開した商業建築の林立とは異なる、生活を主体とした静かな都市要素の集積が、壮大な都市の変化を導いている状況に注目します。展示室では、こうした変化の中で新しい指針となる住宅の形式3例を紹介します。


WORKSHOP(北山恒)の「祐天寺の連結住棟」、アトリエ・ワン(塚本由晴/貝島桃代)の「ハウス&アトリエ・ワン」、西沢立衛(西沢立衛建築設計事務所)の「森山邸」の3例が紹介されていますが、1/2の模型が展示されていました。この1/2というスケール、会場では所狭しとやたらと大きい模型なのですが、僕の感じではいかにも中途半端なスケールで、それぞれの事例の特徴を表現しえているかどうか、はなはだ疑問です。


模型で展示ということでは、森美術館のコルビジュエ展のときの「マルセイユのユニテ」や、汐留ミュージアムの清家清展のときの「自邸」、ギャラリー間の安藤忠雄展の「住吉の長屋」が、原寸大模型で出されていたことが思い起こされます。ヴォーリズ展でも別荘の原寸模型がちょこっとありました。原寸ですから、スケールはそのものずばりです。


1/2になると、模型の中に入れるわけでもなく、外から眺めるだけです。やはり建築は中へ入らないとそのスケール感はわかりません。また、大きな市街地のスチロール模型は手間暇かかるだけで、ただ単に日本の都市が無秩序にできていることを証明しているだけにすぎません。結局は、完成写真に頼っているという現状は、新しい表現手法には至っていないような気がします。それはいいとして、9.11のような大災害が起こった後ですから、やはりよくできた1/2模型を見ても、いかにも建築の無力を露呈しただけで、なんの感慨もわかないのは仕方がないのかもしれませんが。






「家の外の都市の中の家」

密集した家々の間に建つ建築家夫婦の住居兼オフィス。敷地に積み木を点在させたかのような集合住宅。隣人の気配をかすかに感じる開放的な住宅ユニットの連なり。世界的に活躍する日本の建築家3組[アトリエ・ワン、西沢立衛、北山恒]が考えた「家」は、いずれも東京という都市の中に計画され、敷地と周辺の条件をふまえて、まわりと関係をつくろうとする建築です。ひとたびドアを閉めると孤立しがちな大都市の中で、個を保ちながらも都市とつながりを持つことは可能なのでしょうか。
東京という都市は、ヨーロッパの街並みに見られるような連続する建物でつくられた都市ではなく、ひとつひとつ独立した建物の集合体として構成されています。都市の小さなパーツともいえる建物が、それぞれに建て替えをくり返して変化する都市の体系は、1960年に発信された日本発の建築理念・メタボリズムが提唱した「新陳代謝しながら変化し成長する建築/都市」を体現しているともいえるでしょう。
このような都市・東京では、資本権力のアイコンとしての建築が主役の一方でありながら、「住宅」という生活を主体とした静かな要素の集まりが壮大な都市の変化を生み出しています。第12回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館で行われた「Tokyo Metabolizing」の帰国展となる本展では、アトリエ・ワンの〈ハウス&アトリエ・ワン〉、西沢立衛の〈森山邸〉を実物の約1/2サイズという身体的なスケールで制作するとともに、東京展独自の企画としてコミッショナー・北山恒の〈祐天寺の連結住棟〉が加わり、つながりを誘う新しい建築を紹介します。また、変化を続ける東京という都市の行方を指し示す〈あたらしい都市のインデックス〉の展示も加わります。本展は、私たちの生活するこの東京の中で、ともに生きるための「家」のかたちを考える機会となることでしょう。


「東京オペラシティアートギャラリー」ホームページ


とんとん・にっき-op1 「家の外の都市の中の家」

第12回ヴェネチア・ビエンナーレ

国際建築展帰国展

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