中野京子の「名画で読み解く ブルボン王朝12の物語」を読んだ! | とんとん・にっき

中野京子の「名画で読み解く ブルボン王朝12の物語」を読んだ!

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中野京子の「名画で読み解く ブルボン王朝12の物語」を読みました。中野京子の著作を読むのは「名画で読み解く ハプスブルグ家12の物語」以来です。「ハプスブルク家」の次は「ブルボン王朝」というもの、まあ、「柳の下に・・・」といった感がないでもないですが。中野京子は、略歴をみると、北海道生まれ、早稲田大学講師、専門はドイツ文学・西洋文化史、とあります。著書は先にあげた「ハプスブルク家・・・」のほかに、(爆発的に売れてるという)「怖い絵1~3」がよく知られていますが、他にも題名だけ見ても読みたくなる著作が多い「ベストセラー作家?」とでもいえる人です。が、僕は、なぜか彼女の著作は他には読んでいません。本のカバー裏には、以下のようにあります。


ブルボン家はヨーロッパ名門中の名門だが、王朝としてフランスに君臨したのは、およそ250年。ハプスブルク家が、最後は大伽藍がゆっくり崩れ落ちるように朦朦たる煙の中に没していったとするならば、ブルボンの終わりはギロチンの刃の落下と同じ、すばやくあっけないものだった。(「はじめに」より抜粋)世継ぎの混乱と血みどろの宗教戦争に彩られた王朝の誕生から、19世紀、ヨーロッパ全土に吹き荒れた革命の嵐による消滅まで、その華麗な一族の歴史を、12枚の絵画が語りだす。「名画で読み解くハプスブルク家12の物語」に続く、ヨーロッパの名家を絵画で読み解く第2弾。



ブルボン王朝がフランスに君臨したのはおよそ250年、ハプスブルグ家が650年に近い命脈を保ったのに比べて、いかにも寸足らずに感じられる、と中野京子も述べている通り、やはり同列に比較するのは難しい。今回出された12枚の絵画を観ても、よく目にする絵画が少なく、やはり物足りない感じがします。あるいは、無理やり12枚の絵画をでっち上げた、とまでは言いませんが、「絵画」を主に選ぶか、「歴史」を主に選ぶか、12枚取り上げるのに苦労したのではないかと思います。取り上げられた絵画は、やはりルーヴル美術館が圧倒的に多く7枚、プラド美術館が2枚、他にウィーン美術史美術館、ベルリン・シャルロッテンブルグ宮、アメリカ哲学学会博物館がそれぞれ1枚、計12枚です。


「目次」を見ると、選ばれた12点の名画は、以下の通りです。
第1章 ルーベンス「マリーのマルセイユ上陸」

第2章 ヴァン・ダイク「狩り場のチャールズ一世」

第3章 ルーベンス「アンヌ・ドートリッシュ」

第4章 リゴー「ルイ十四世」

第5章 ベラスケス「マリア・テレサ」

第6章 ヴァトー「ジェルサンの看板」

第7章 カンタン・ド・ラ・トゥール「ポンパドゥール」

第8章 グルーズ「フランクリン」

第9章 ロベール「廃墟うとなったルーヴルのグランド・ギャラリー想像図」

第10章 ゴヤ「カルロス四世家族像」

第11章 ダヴィッド「ナポレオンの戴冠式」

第12章 ドラクロア「民衆を導く自由の女神」





ルーヴル美術館へは2度、あるいは3度、行ったことがありますが、あまりにも広く、美術館の中を駆け足で通っただけ、という印象、今から思うと残念なことをしたと思います。もちろんラ・トゥールの「ポンパドゥール」や、ダヴィッドの大きな絵「ナポレオンの戴冠式」は、よく覚えていますが。プラド美術館へは1度だけ行きましたが、こちらもあまりにも広くて、やはり駆け回りました。しかし強烈に憶えているのは、案内してくれたガイドが明らかにドガについて思い入れが激しく、長時間ゴヤの前で説明をしてくれたことです。なかでも「カルロス四世家族像」の前では、特に時間を取って、丹念に説明してくれました。なにしろこの絵は、一度見たら忘れられない絵です。


主役は真ん中にきんきらきんで立つ王妃マリア・ルイサだ。すでに子供を4人も生んでおり、そのうち2人ー両脇にいる末娘と末息子ーは、王とではなく、はるか年下の愛人ゴドイとの間にできた子と噂されていた。一癖ありげな、品位のかけらもない不器量な女、という描かれ方に、なぜクレームをつけなかったのは謎だ。・・・ゴヤほどの力量であれば、いかようにも人物の理想化はできた。だがしなかった。そして彼らもまたそれに対し、描き直しの要求をしていない。・・・大丈夫なのか、スペイン・ブルボン。そう心配になるが、もちろん大丈夫なわけがない。(第10章ゴヤ「カルロス四世家族像」より) 

中野京子は、「歴史」と「絵画」を使って、縦横無尽に斬りつけて、なかなか辛辣に書いています。もちろんお家が断絶になっては困るので、お世継ぎが大問題。あの手この手を使っての「大奥」ばりの駆け引きが盛りだくさん。そこらあたりが、多くの読者を獲得する条件なのでしょう。





最後に、僕が興味を持ったのはユベール・ロベールの「廃墟となったルーヴルのグランド・ギャラリー想像図」でした。1796年、サロンに出品した2作、一方は未来の公共美術館がどれほど素晴らしいものになるかという「ルーヴルのグランド・ギャラリー改革案」、そしてもう一つが「廃墟となったルーヴルのグランド・ギャラリー想像図」です。ルーヴル宮は言うまでもなく王宮でした。それが廃墟となる、当時の人々の衝撃は大きかったと、中野は伝えています。磯崎新はかつて、新築なった筑波センタービルを発表したときに、廃墟と化した筑波センタービルの絵を提示していたことを思い出しました。




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