中野京子の「名画で読み解く ハプスブルグ家12の物語」を読んだ! | とんとん・にっき

中野京子の「名画で読み解く ハプスブルグ家12の物語」を読んだ!

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僕の中ではハプスブルグ=オーストラリア、「ハプスブルグ家」というとウィーンにある「シェーンブルン宮殿」ということで、以前ウィーンに行ったときに訪れたシェーンブルン宮殿のスライドを探したら、見つかったので下の載せておきます。この建物を依頼したのはカール6世(在位1711-40)、計画したのはヨハン・ベルンハルト・フィッシャー・フォン・エアラハという建築家、第一案はヴェルサイユ宮殿に対抗したとんでもなく巨大な構想でしたが、結局は規模を縮小した第二案に決まり、1696年に着工され、1700年には中央棟が、1713年には翼棟が完成します。カール6世はここには入らず、彼の娘マリア・テレジア(在位1740-80)が内装をロココ様式に改修し、皇帝とその家族の住まいとして使われるようになりました。女帝マリア・テレジアはなんと子供を16人(6人は早逝)も産んだといわれていますが、その11女が、マリア・アントニア、つまりルイ16世と結婚したマリー・アントワネットで、38歳で処刑されます。


光文社新書の「名画で読み解くハプスブルグ家12の物語」、新聞の新刊案内で知ってさっそく購入し、一気に読みました。難しい本の間に、サラッと読むのにはちょうどいい本です。新書にもいろいろありますが、どちらかというと一般人向けの軽い本といえます。新書でカラー版は、最近多くなってきました。最近では辻惟雄の「岩佐又兵衛浮世絵をつくった男の謎」は浮世絵ということもあり、カラー版は効果的でした。著者の中野京子は「怖い絵」や「危険な世界史」などで話題になっていたことは知ってはいても、どんな本を書いている人なのか、僕はまったく知りませんでした。


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「ハプスブルグ王朝は中世から20世紀初頭まで、約650年という類のない長命を保った。その間、神聖ローマ帝国の皇帝位をほぼ独占、欧州中心部に位置し、周囲の国々と積極的に婚姻関係を結んで網の目状に領土を拡大、まさにヨーロッパ史の核であり基底部をなしていたといっても過言ではない」。そのハプスブルグ家に焦点を当てて、デューラーからマネに至る12点の「名画」を選びハプスブルグ家の歴史を概観します。「ハプスブルグ帝国についての書物は日本でもたくさん出ていますが、名画にのみ焦点をあてた点描画風の読み物はこれが始めてではないかと、少々自負しています」と、中野京子は述べています。



「目次」を見ると、選ばれた12点の名画は、以下の通りです。
第1章 アルブレヒト・デューラー『マクシミリアン一世』
第2章 フランシスコ・プラディーリャ『狂女フアナ』
第3章 ティツィアーノ・ヴィチェリオ『カール五世騎馬像』
第4章 ティツィアーノ・ヴィチェリオ『軍服姿のフェリペ皇太子』
第5章 エル・グレコ『オルガス伯の埋葬』
第6章 ディエゴ・ベラスケス『ラス・メニーナス』
第7章 ジュゼッペ・アルチンボルド『ウェルトゥムヌスとしてのルドルフ二世』
第8章 アドルフ・メンツェル『フリードリヒ大王のフルート・コンサート』
第9章 エリザベート・ヴィジェ=ルブラン『マリー・アントワネットと子どもたち』
第10章 トーマス・ローレンス『ローマ王(ライヒシュタット公)』
第11章 フランツ・クサーヴァー・ヴィンターハルター『エリザベート皇后』
第12章 エドゥアール・マネ『マクシミリアンの処刑』



昨年の暮れに「スペイン格安ツアー」に行きました。その時に、バルセロナでは「ピカソ美術館」、マドリードでは「プラド美術館」や「国立ソフィア王妃芸術センター」を、そしてトレドではサント・トメ教会でエル・グレコの「オルガス伯の埋葬」を観ました。未だに「スペイン格安ツアー」に関しては、このブログに書いていないという情けなさですが。他に日本で開催された「プラド美術館展」や、その他の美術展で、この新書で取り上げられた作品を観ているので、ざっと半分ぐらい僕は観ているのではないかと思います。



この新書の帯に載せられているのはフランツ・クサーヴァー・ヴィンターハルターの「エリザベート皇后」です。これはウィーン美術史美術館のものです。威厳があり、格調高く、気品が漂っています。ティツィアーノ・ヴィチェリオの作品は2つ、プラド美術館にある「カール五世騎馬像」と「軍服姿のフェリペ皇太子」で、よく見かける作品です。特に顎の長いフェリペ皇太子の顔は、忘れられません。下唇も特徴があります。これが「ハプスブルグの顎と下唇」ですね。「オルガス伯の埋葬」は、サント・トメ教会の注文で制作されたもの、480×360cmですから大きな作品です。ベラスケスの「ラス・メニーナス」はプラド美術館にあります。ピカソがこの絵を元に、たくさんの連作をしていますが、それらはすべてバルセロナのピカソ美術館に寄付されました。つまりピカソ美術館を観てからベラスケスの「ラス・メニーナス」を観たという幸運に恵まれたわけです。ベラスケスにはやはりあご長の「黒衣のフェリペ四世」という作品もあります。



驚いたのは第7章のジュゼッペ・アルチンボルドの作品「ウェルトゥムヌスとしてのルドルフ二世」です。何度か観たことのある作品ですが、あの赤ら顔のアーヘンの作品「ルドルフ二世像」その人の注文で描いたものだったんですね。「皇帝を辛かった不敬の肖像画などでは全然なく、本人から依頼され、本人を十全に満足させた、れっきとした宮廷肖像画なのである」と、中野は述べています。ともあれ、フェリペやルドルフの系列から「プラド美術館」や「ウィーン美術史美術館」が生まれたというから、面白い。プラド美術館では、ゴヤの作品がたくさんあるのでかなり集中して観ました。ゴヤの「マドリッド、1808年5月3日」と比べると、エドゥアール・マネの「マクシミリアンの処刑」はかなりのんびりとした作品となっています。




中野京子の「花つむひとの部屋」 (本人のブログ)