国立新美術館で「第84回 国展」を観た! | とんとん・にっき

国立新美術館で「第84回 国展」を観た!

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家人が知り合いの彫刻家から、昨年に引き続き、「国展」の招待券をいただいたので、国立新美術館へ観に行ってきました。別の部屋では、先日報道内覧会で観に行った「ルーシー・リー展」も開催されていて、盛況のようでした。「国展」は、絵画、版画、彫刻、工芸、写真と、5つの部門、そして出展数がハンパじゃない、ものすごい数の多さでした。これだけのエネルギーが注ぎ込まれるかと思うと、背筋がゾッとするものがあります。去年も観たので少しセーブしてみようと思ったのですが、作品を前にするとついつい一生懸命観てしまいました。いや~、疲れた、凄い凄い!ちょっと気になった作品をいくつか、下に載せておきます。


「国画会」の成り立ちはけっこう古く、1918年(大正7年)に文展から自由な制作と発表のの場を求めて、京都の青年日本画家たちが、在野としての「国画創作協会」をおこし、その定期展を「国展」としたことのより始まります。第1部を日本画部、第2部を洋画部とし、1928年(昭和3年)国画創作協会の解散に伴い、第2部は名称を「国画会」として独立し、定期展の通称「国展」はそのまま継承しました。以後、絵画部に加え、版画部、彫刻部、工芸部、写真部を加え、5部による美術団体として毎年春期に「国展」を開催し、2006年(平成18年)には80回記念国展を迎えたそうです。2007年(平成19年)からは新築の国立新美術館へ移りました。そして今回は第83回となります。



彫刻部



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絵画部


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写真部


「国画会」の成りたち:ホームページより
1918年(大正7年)文展から自由な制作と発表の場を求めて、京都の青年日本画家・小野竹喬、土田麦僊、村上華岳、野長瀬晩花、榊原紫峰、入江波光らは在野としての「国画創作協会」をおこし、その通称を「国展」とした。
 創立宣言・・・「各自ハ各自ノ自由ノ創造ヲ生命トス」
 (要旨)   「芸術ノ創作ハ極メテ自由ナラザル可カラズ」
        「本会ハ創作ノ自由ヲ尊重スルヲ以テ第一義トナス」
同協会は1925年(大正14年)土田麦僊と交流のあった梅原龍三郎を招き、さらに川島理一郎を加え第1部を日本画部とし、第2部として洋画部(現絵画部)を設置した(翌1926年が第1回国展に相当)。そして1928年(昭和3年)国画創作協会の解散に伴い、第2部は名称を「国画会」として独立し、通称の「国展」もそのまま継承した。
草創期の国画会の果たした在野団体としての役割は、福島繁太郎の影響もあり、毎年のように諸外国の優れた作家たち(マチス、ボナール、ロダン、ブールデル、バーナード・リーチ、ルオー、モネ、ルノワール、シャガール、ピカソ、セザンヌ等々)を特別陳列して世に広く紹介したことが特筆される。この事は内部的に研鑽の資となったのは勿論、対外的にも海外作品に触れることの少なかった当時の美術界には非常に有益な企画でもあった。
以後、絵画部に版画部・彫刻部・工芸部・写真部を加え、5部による美術団体として、戦争激化のためやむなく中止した1945年(昭和20年)を除き、毎年春期に都美術館にて「美術の春・国展」を開催し、2005年(平成17年)には79回展に至る。
現在、国画会は創立精神である「創作の自由」をモットーに、個性を重視し多様化する表現様式と新しい世代にも呼応する総合美術団体として、広くファンの支持を得ている。なお、会の運営はすべて合議制である。


国立新美術館


国画会


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