畠山記念館で「琳派―四季の“きょうえん”―」展を観る! | とんとん・にっき

畠山記念館で「琳派―四季の“きょうえん”―」展を観る!



白金台にある「畠山記念館」で開催されている「琳派――四季の“きょうえん”」展を観てきました。始めて行く美術館で、しかも住宅地の中にあるというので、地図をネットで取り出して用意しておいたのですが、それを見ないで前を歩く学生さんにつられて歩くうちに、違う方向へ向かっていました。「あれっ、ちょっと違うかな」と思い、地図を取り出して住所を調べて、ふたたび住宅地の中を歩き回り、やっと「畠山記念館」を探し当てました。


畠山記念館は、茶道具を中心に、書画、陶磁、漆芸、能装束など、日本、中国、朝鮮の古美術品を展示公開している私立美術館です。収蔵品は、国宝6件、重要文化財32件を含む約1300件です。創立者畠山一清(1881―1971)は能登国主畠山氏の後裔で、東京帝国大学工科大学を卒業、技術者としてポンプの開発に取組み、株式会社荏原製作所を興して実業界に名を馳せました。事業のかたわら、即翁と号して能楽と茶の湯を嗜み、長年にわたり美術品の蒐集に努めました。昭和の初めには旧寺島宗則伯爵邸のあった白金猿町の土地約3000坪を購入、奈良般若寺の遺構や、加賀前田家重臣横山家の能舞台などを移築して、私邸「般若苑」を造営し、昭和18年に開苑の茶会を催しています。(「畠山記念館」HPより)



この美術館のことを知ったのは、朝日新聞の「美・博ピックアップ」という小さな紹介記事でした。「時を経て、異なる視点で」と題して畠山記念館で「琳派――四季の“きょうえん”」が開催されているという。案内には、以下のように書かれています。

俵屋宗達、本阿弥光悦にはじまり、尾形光琳が大成した江戸時代を代表する装飾芸術の流派のひとつ「琳派」。作品を通して間接的に学んだとされる相承関係が流れの軸となっていて、光琳の弟・乾山や酒井抱一、鈴木其一らが活躍した。欧米での人気も高く、近代日本画にも影響を与えた。今展では、所蔵する四季の風物や植物を描いた作品を中心に、展示替えをしながら書画や工芸品約60点で300年にわたる琳派の系譜をたどる。(6月10日まで)



「琳派」もさることながら、僕が興味を持ったのは、酒井抱一の「風神雷神図」でした。「あれっ、これは屏風じゃないよ」。去年、出光美術館で開催された「国宝・風神雷神図屏風」展、大いに話題になりましたが、その時に出されていたのはすべてが「屏風」でした。俵屋宗達が描いた「風神雷神図屏風」を、尾形光琳がまねてそっくりの「風神雷神図屏風」を残しました。その後、琳派の再興に取り組んだ酒井抱一が、それらを元に軽妙で人間くさい「風神雷神図屏風」を描き、その3作を微に入り細に入り比較検討したのが、その時の出光美術館の目玉でした。

今回畠山記念館に出された「風神雷神図」は掛け軸に表装されている、思ったより小さな一対のものでした。先日、太田記念美術館で観た葛飾北斎の「龍図」「虎図」と、大きさは同じようなものでした。ネットで調べてみたのですが、この酒井抱一の「風神雷神図」については、まったくと言っていいほど出てきません。畠山記念館のHPにも、これについてはなにも解説がありません。朝日の記事には、「墨が乾く前に重ねて濃淡を出す、琳派特有の技法“たらし込み”で描かれた風と光」とあります。そして「緑、赤、青といった鮮やかな色使いと、双幅の左上に雷神、右下に風神と離した位置で描くことで、縦長の画面を頼効果的に使用した構図は抱一ならではの工夫だ」と書かれています。が、しかし、「風神雷神図屏風」との関連は書かれていません。これらに関して、どなたかご存じの方がいましたら教えて下さい。






もちろん、「琳派――四季の“きょうえん”」展、他にも観るべきものが多々ありました。鉢物では、本阿弥光悦の「赤楽茶碗 銘 雪峯」とか、尾形乾山の「色絵藤透鉢」とか、また書画では、本阿弥光悦の「扇面月兎画賛」とか、渡辺始興の重要美術品「四季花木図屏風」とか。そうそう、本阿弥光悦書・俵屋宗達下絵の重要文化財「金銀泥四季草花下絵 古今集和歌巻」もありました。


畠山記念館


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