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2005年01月31日 00時02分06秒

パリのシンボル「エッフェル塔」

テーマ:なぜかケンチクでも
江國香織の小説「東京タワー」と黒木瞳の映画「東京タワー」に、話題が集中しているからだなんて、「柳に下に泥鰌」、いやいや、そんなことではありませんよ。まあ「東京タワー」ときたら、次は当然「エッフェル塔」でしょう。1789年のフランス革命から100周年記念、1889年のパリ万国博覧会のために建てられた「エッフェル塔」は、できてから115年経つわけですが、その間ずっとパリのシンボルですよね。333mでエッフェル塔より高いと自慢している「東京タワー」は、東京のシンボルと言っても、最近では高層ビルが周辺に建ち並んで、昔ほどのシンボル性は見られません。そういえば、東京タワー、1958年に出来ましたが、もう46年も経ってるんですね、最近、大規模な「耐震対策」を施したようです。

そうそう、エッフェル塔は1000フィート(304.8m)と言われていますね。ラジオアンテナも入れて320mとも言われていますが。どうして1000フィートなのか、詳しいことは分かりませんが、たぶん、キリがいいからでしょう。そういう話で言えば、もうひとつ、今は日本も高層ビルがたくさんできましたけど、霞ヶ関ビルができる前までは、我が国の「建築基準法」は、建物の最高の高さを31mまでに制限していたんですね。じゃあ、その31mとはどういう根拠なのかですが、これはただ単に100尺ということだけで、キリがいい、それぐらいでいいだろうと決められた数値なんですね。100尺をメーターに直すと31mとなるわけです。

今は、パリのシンボルと言っても、エッフェル塔をつくるときに、多くの芸術家たちが反対運動をするんですね。これまで無傷に保たれてきたパリの街の美しい景観が、無益にして醜悪なエッフェル塔が建設されるということで、そして、崇高なゴシック建築のパリが、アメリカ的な商業主義的なパリになってしまうから、エッフェル塔建設はパリの恥だと。あの文豪モーパッサン、「女の一生」「脂肪の塊」「ピエルとジャン」とか、僕も若い頃よく読みましたけど、そのモーパッサンが、しばしばエッフェル塔のレストランで昼食をとったとか。しかし彼はこの塔が好きだったわけではなく、「ここはエッフェル塔が見えないパリの唯一の場所だからだ」と言ったそうです。ちょっと話が出来過ぎているようにも思いますが、確かにパリではどこからでもエッフェル塔がよく見えます。エッフェル塔は、万国共通の「旅行用語」だと言った人もいますが、そういう意味では、シドニーのオペラハウスも、同じようなものかもしれません。ん、ちょっと違うなか?

東京タワーとエッフェル塔、どこがどう違うのか。できた時期がだいぶ遅いし構造計算や技術の進歩もあるんでしょうが、東京タワーの方がエッフェル塔よりははるかに鋼材の量が少なくできています。鋼材が少ないと合理的ですっきりはしますが、なんというんだろうか、細部が弱い、そしてアップに耐えない。エッフェル塔は部材が小さくて多い。細かい鉄骨部材を組み合わせた、幾何学模様の繰り返しの美があります。というか、女性の下着のレースのようなフリルがたくさんついています。エッフェル塔は「鉄の貴婦人」とも言われますが、貴婦人のスカートの下から覗いたように、というのは、すみません、僕の言い方になるのですが。

エッフェル塔の設計は、ギュスターヴ・エッフェルを初めとするエッフェル社の技術者です。鉄橋には実績があったエッフェル社ですが、建設にはその経験を継承して、鉄骨は工場で部材を加工して、現場へ運び組み立てるという、今で言うところの「プレファブ工法」を採用しています。これにより、前代未聞の鉄骨の塔は、着工から僅か26ヶ月で完成しました。東京タワーとの大きな違いはやっぱり足元ですね。要するになめらかな曲線を描くアーチ型に四つ足で踏ん張っていて、下が空いています。万国博覧会の時にはメインの入り口だったので、エッフェル塔の下を通ってお客さんが会場へ入ったそうです。つまり、門、ゲートの役割もしたわけです。

それに対して東京タワーは、エレベーターが直線的に上下するので、足元に建物があり、視覚的にすっきりしていない。構造的には柱脚4本でもっているのは同じなんですが、エッフェル塔は下が空いていて、向こうが見通せます。つまり、エレベーターは最初から斜めの柱脚のなかを斜めに上り下りします。そこまでやるか、というか、やったわけです。小部屋ぐらいの大きなエレベーターの箱は水平を保ったまま、斜めに上がっていくというわけです。建設当時は水圧式でしたが、もちろん今は電動式に付け替えられています。まず4台の斜めのエレベーターで1階まで上って、それから2階までは2台のエレベーターが、また最上階には1台のエレベーターで、それぞれ乗り換えて行けるようになっています。

なにしろパリは高い建物が旧市街にはほとんどないので、エッフェル塔は今でもシンボリックに建っていますし、上に登れば遠くまで見渡せます。セーヌ県知事のオスマンの都市計画により、パリの街は高さが揃った重厚な石造の街でした。そこに鉄骨造の軽い、しかも高い塔が突如建ったのですから、芸術家だけでなく、一般の人々も、伝統に逆らうもの、文化を破壊するものとして映ったのでしょう。エッフェル塔は、完成時には酷評されても、時と共に街になじんで、今ではパリの街になくてはならない存在なのです。
*エッフェル塔の画像は「旅の想ひ出写真館」よりお借りしました。
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2005年01月30日 00時00分39秒

村松友視の「アブサン物語」

テーマ:本でも読んでみっか
いつまでも若い若いと自分では思っていても、寄る年波には勝てず、情けないことに月に1度の病院通いをしています。都内でも有数のどでかい病院なもので、診察を受けるまでに待たせること、待たせること。ちゃんと予約しているんですが、予約した時間通りに診察を受けたことがない、なんでこんなに待たせるの、と、まあ、月に1回、憤慨していたものです。ある時、そうだ、本でも読んでいれば、時間も忘れるというもの、ということに気がつき、いや、僕がやっとそれに気がついたんで、他の人はしっかり文庫本や新聞、週刊誌などを持参して読んでましたよ。なぜか僕は潔癖性というか、それは関係ないかな、そういうところで本を読みたくないんですよね。まあ、軽い本だったらいいんですけど。

ということに遅まきながら気がつき、1冊、文庫本を用意しておき、毎月2~3章ずつ読んでいるのがこれ、村松友視の「アブサン物語」です。この高名な本、たぶん、出版された当時はベストセラーだったんじゃないかな。実は僕は、この本は絶対に読みたくない本の筆頭だったんですが、なんかの拍子にこの文庫本を手に入れたんですね。そうだ、たぶん、長年探し続けてきた「時代屋の女房」を新品同様の初版本をブックオフで見つけ、これは1982年上期第87回直木賞を受賞、渡瀬恒彦、夏目雅子で映画にもなった本ですが、その後、「時代屋の女房2」を手に入れたときに、こちらは文庫本でしたが、その横にあったんですね、「アブサン物語」が。ですから、半年前ぐらいじゃないのかな。買ってくれと言ってるようなものなので、買っておいたというわけです。まあ、買ったはいいけど、読まないで積んでおいたんですが、病院の待合室で読んでみるのに手ごろな本かな、ということになったわけです。

なぜにこの本が嫌いかというと、そりゃあ、もう、のことを書いてるからですよ。だいたい家の中で猫を飼うなんて、僕には考えられません。よその家で飼ってる人がいますけど、臭いはするし、毛だらけだし、しかも「猫なで声」で、「あ~、よしよし」なんて、ふざけるなと声を大にして言いたいところです。僕から言わせれば、犬も猫も、ペットは同じようなものですが、家の外で飼うならまだしも、家の中で飼うなと言いたい。しかも、お客が来たときは、玄関に抱いて出てくるな、お客に、つまり僕ですが、見せるな、近寄らせるな。と、言いたいことは山ほどあるんですが、まあ、それはよその家のことだからいいとして。

村松友視は、中央公論の編集者だったんですね、吉行淳之介なんかを担当していたようです。その頃、つまり村松の編集者時代から、退職して小説家になった頃が、この「アブサン物語」の背景なんですが。中央公論の上司のYさんが日比谷公園の三笠山のしげみで見つけたのが「アブサン」。それを村松の家で飼うようになり、そのアブサンが21歳で亡くなるまでを書いたものです。はっきり言ってしまえば、ただそれだけです。プロローグとエピローグを挟んで15話あります。単行本は1995年12月に河出書房新社から出版され、僕が持っている文庫本は1998年9月に発行されました。病院の待合室で、2~3話ずつ読むのにちょうどいい本です。

なかなか本題に入れませんが、とはいつものことですが。アブサンとは水島新司の漫画にもいますが、こちらのアブサンは、ゴロゴロという嗄れ声が、喉が潰れたマルセーユやリスボンの波止場にいるであろう酒場女の「アブサンやけ」から、「アブサン」と命名されたそうです。世間的には、アブサンが猫の名前としては、一番有名なんじゃないかな。はっきり言っておきますが、僕は猫が嫌いです。しかも猫と話をしている飼い主の言葉、幼児言葉や敬語、これは回りから見るとかなり不気味です。絶対に止めて欲しい。

が、しかし、この本「アブサン物語」、これはお薦めです。って、皆さん、もう読んでいてよくご存じかもしれませんが。なにしろ、村松の文章がうまい、すらすらと読める。21年間、共に暮らしたアブサンの亡くなるときの描写は見事です。僕でさえも込み上げるものがあります。猫好きの方は、涙なくしては読めません。そんなことより、この本に書かれている「」と「カミさん」は、夫婦だな、と思う。アブサンを間に介した夫婦の交流が、少しも構えず、たんたんと綴られています。こういうのを「天賦の才」というのかなと思い至ったというわけです
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2005年01月29日 00時48分21秒

ぐるぐるめぐるル・コルビュジェの美術館

テーマ:なぜかケンチクでも
「前回上野へ行ったときは西洋美術館で半日過ごしてしまい、他へは行けずじまいでした。」というコメントを残してくれたのは、若いブログ仲間のMさん。この記事に誘発されて、今回は「国立西洋美術館 」について書いてみようと思います。いつも他人の記事からということで、いや面目ない、自主性というものはないのか、というお叱りの言葉が?

日本で唯一のル・コルビュジェの建築というのは、上野の「国立西洋美術館 」です。そうなんですよ、ちょくちょく行ってると、現代建築の巨匠の設計というのは意識はしているんですが、実は外観の写真を撮ったことがないことについ最近、気がつきました。外国の場合は建築を見に行くと、写真の撮りまくりなんですが。ということもあって、ロダンの「考える人 」とコルビュジェの「西洋美術館」を同じフレームの中に入れて撮った写真が上の画像です。こんなアングルで撮る人はほとんどいないと思います。ということは、自分では気がつきませんでしたが、人から言われて気づいたことです。なにしろ「美術館に美術館」を見に行くというと、一般の人は「なに、それ?」となると思います。もちろん、美術館には展示してある美術品も見に行きますが、美術館の建築も見に行くというわけです。

ということで、現代建築の巨匠、ル・コルビュジェの設計による「国立西洋美術館」を、解説付きで全部見せちゃおうという、太っ腹なオモシロ企画が去年ありました。2004年6月29日から9月5日まで、子どもから大人までを対象として「建築探検・ぐるぐるめぐるル・コルビュジェの美術館 」というのがそれです。常設展示室に建築探検のための16のチェックポイントを設置しました。

そのチェックポイントはこれ。1.トップライト2.床照明3.ランプ(斜路)4.中3階5.回遊空間6.バルコニー7.天井の高さ8.旧館長室トイレ9.屋上庭園10.独立柱11.雨樋12.照明ギャラリー13.律動ルーバー14.ピロティ15.柱と柱の間隔16.石畳・外壁。一巡りするとル・コルビュジェならではの「しかけ」が見えてきます。なるほど、そうだったのか、と。探検のための16項目を分かりやすく解説した丁寧なパンフレットも用意してありました。

ル・コルビュジエ建築の特徴は、というと、「近代建築の5原則 」を参照すると、1.ピロティー(柱)、2.屋上庭園、3.自由な平面、4.横長の大きな窓(水平連続窓)、5.自由なファサード(正面)、の5項目となっています。そして、西洋美術館はこれらに加え、展示室の中心にスロープで昇っていく渦巻き形の導線に特徴があります。この案は「パリの現代美術センター」でコルビュジェが提唱して以来、実現することがなかった「四角な螺施状に発展する美術館」の構想を展開したものといわれています。

西洋美術館は、ル・コルビュジェの基本設計で、彼の弟子だった3人、前川国男、坂倉準三、吉坂隆正が実施設計を行ったものです。その頃フランス政府は、戦時中に敵国資産として差し押さえていたものを返還することになり、その返還の条件として収蔵展覧する特別の美術館を建築することを求め、日本政府はその美術館の設計をコルビュジェに委嘱 したといういきさつがありました。この返還された美術品 が「松方コレクション 」と呼ばれているもので、「国立西洋美術館」の元になったものです。こうして、コルビュジェの日本における唯一の建築として上野の森に残されたわけです。コルビュジェは、この建築のために1955年に一度だけ来日しました。竣工は1959年です。

そうそう、最近知ったことですが、これにはビックリでした。渋谷駅東口のランドマークとして47年間 に渡って親しまれてきた屋上にプラネタリウム のあった「東急文化会館 」が解体されました。国内で最大とも言われた1階の映画館「パンテオン 」の緞帳が、なんと、ル・コルビュジェのデザインによるものだったとは。この緞帳は、高さ9m50cm幅22m80cmの「闘牛十四号 」というものだそうです。この建物を設計したのは坂倉準三ですから、その関係でコルビュジェに依頼したのでしょう。文化会館パンテオンも僕は何度も行っていたのですが、でもこの話はまったく知りませんでした。この緞帳は東急によって保存が決定しているそうです。
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2005年01月28日 00時01分14秒

桐野夏生の「グロテスク」

テーマ:本でも読んでみっか
前にも書きましたが、僕は「ミステリーもの」は、海外のものも日本のものもあまり読まないんですが、じゃあ、何を読んでるのか、と言われると確とした答えができません。まあ、いろいろ読んでる、ということで。そうはいっても、読んでるんじゃないかと言われると、そりゃあ、少しは読んではいますけど。先日、久しぶりに「ブックオフ」へ行きましたが、なぜかいい本が何冊か見つかったんで、ついついまとめ買いしてしまいました。

その時買った1冊、桐野夏生 の「残虐記 」を今読んでいて、今日、明日にはたぶん読み終わります。内容は「誘拐監禁謎の1年間。そして25年目の真実」という、桐野の比較的新しい本です。2004年2月25日発行となってますから、今からおおよそ1年前に発売されたものです。「残虐記 」は柴田練三郎賞を受賞しています。

桐野夏生 と言えば、1997年7月15日発行の「OUT 」で大ブレイク、これは原田美枝子、倍賞美津子、室井滋、西田尚美らで映画 にもなり大ヒットしました。また去年、アメリカのミステリー作家協会がエドガー賞 の最優秀小説賞候補4作品の1つに「OUT 」を選び、日本人作家がノミネートされたのは初めてということで、おおいに話題になりました。そして、1999年4月15日発行の「柔らかな頬 」で、第121回(平成11年上半期)直木賞 を受賞しました。なぜか僕はこの2冊はブックオフで買って読みました。そんなことで、「残虐記」の前に桐野夏生の話題作、2003年6月30日発行の「グロテスク 」を書いておこうと思い立ったわけです。この作品は「泉鏡花文学賞 」を受賞しています。

映画も小説も、どこまで書くか、といつも思うんですが。いわゆる「ネタばれ」になってもどうかと思うし、そうはいっても、何も書かないのもどうかと、さて、どうしましょう。それにしても、A4版1~2枚だと、あまり詳しくは書けません。結局のところ、小説は一字一句追っていかなければなりませんし、読まないと話になりません。という言い訳はともかく。

堕落ではなく、解放。敗北ではなく、上昇。昼の鎧が夜風にひらめくコートに変わる時、和恵は誰よりも自由になる。一流企業に勤めるOLが、夜の街に立つようになった理由は何だったのか。「勝ちたい。勝ちたい。勝ちたい。一番になりたい。尊敬されたい。凄い社員だ、佐藤さんを入れてよかった、と言われたい。」そして「誰か声をかけて。あたしを誘ってください。お願いだから、あたしに優しい言葉をかけてください。綺麗だって言って、可愛いって言って。お茶でも飲まないかって囁いて。」、この分裂した精神が、われわれ読むものを迷路に追い込みます。

この小説の登場人物。大手建設会社に総合職として勤めていた名門Q女子高出身の和恵。学内で売春し退学した美貌のユリコ。最下層の娼婦として渋谷円山町で再会した二人はともに殺害される。犯人と目される中国人・張、東大医学部に進みながら新興宗教に入信、犯罪者となったQ女子高時代トップのミツル、和恵と同級生だったユリコの姉。これらの人物が織りなす危険な狂気とそして隘路。小説は最初から最後まで徹底して彼らの「ゆがみ」を執拗に描いています。

何か大きな事件が現実に起きるたびに、小説は無力だし、現実はいつも小説を凌駕しています。この作品の基底に流れているのは、実際に起こった「東電OL殺人事件」です。一流企業に勤めるOLが街に立って売春をしていたという衝撃的な事実が明らかになるにつれ、世間は騒然としました。それだけでも十分重いのに、桐野はあまりにも多くをこの小説に持ち込み、絡めすぎたように思われます。つまり、複数のテーマを克明に描けば描くほど、焦点がますます遠のいて行ったんじゃないかと思います。

佐野眞一の「東電OL殺人事件 」は2000年5月10日に発行されました。この本は、平成9年3月8日の深夜、渋谷区円山町のアパートの一室で、東電OLが何者かに絞殺された事件の、発端から判決に至るまでの一部始終を追ったものです。ネパールから日本に出稼ぎに来た外国人労働者、ゴビンダ・プラサド・マイナリと、東京電力に総合職で入った慶応大学経済学部出身のエリートOL渡辺泰子は、通常であればお互い絶対に遭遇することのない相手でした。その二人はなぜか、不思議な暗合で渋谷区円山町に吹き寄せられました。ノンフィクションという性格上、円山町、カトマンズ、幕張、五反田、西永福など、著者は実際に現地に着き丹念に調査しており、裁判の経過も同時進行的に体感することができます。その後の裁判記録は、同じ佐野眞一によって「東電OL症候群(シンドローム) 」として2001年12月25日発行されています。

ノンフィクションの「東電OL殺人事件」はともかく、桐野夏生の小説「グロテスク 」が、殺された東電OLの内面の深淵を描き切れているのかというと、あまりにも間口を広げすぎたこともあり、残念ながら隔靴掻痒の感は否めません。
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2005年01月27日 01時55分57秒

上野の「国際こども図書館」

テーマ:なぜかケンチクでも
勝手に引用してますが、以下は読者のTさんという方の記事です。

上野に国際こども図書館 という国立の図書館がある。私の好きな場所のひとつだ。子どものための本と、児童文学に関係する本しかないので、実用的ではないが、子どもの頃に読んだ懐かしい本を読み返してみたり、外国の絵本をパラパラめくるのもいい。古い建物を上手に改装してあって、雰囲気もあり、かつ清潔で気持ちがよい。(かなりお金かかってそう)上野公園を抜けてすぐ。

国際子ども図書館 」について、余すところなく書かれている文章です。以前からこの建物について書いてみようと思っていたのですが、なかなかキッカケがつかめずにいたところへ、この記事を見つけました。まあこれに誘発されたということで、書いてみようかなと思い立ったわけです。この建物が全館オープンしたのは、2002年5月5日の「こどもの日」でした。

僕は、最近の安藤忠雄 の建築はあまり好きではないのですが、行ってみるとこれがなかなかいい、かなり気持ちのいい図書館です。1906年に建てられた煉瓦造りのルネサンス様式の洋風建築「帝国図書館」を、「ガラスの箱」で修復再生した建物です。もともとの帝国図書館は、かなり大きな計画だったようですが、第二次大戦によって当初の計画は中断されて、実際にできた建物は計画の1/3だけ、しかもその側面だけだったということのようです。ということは、現在の正面が計画建物の側面に当たるわけです。正面がなんか素っ気ない感じがしたのはそのためです。

安藤忠雄は、そこに間口約7m×高さ約4mのガラスの箱を斜めに貫通させてエントランスを作っています。この硝子の箱が中庭側まで貫通して、その先はカフェテリアになっています。どちらかというと、大きなガラス面が見える中庭側の外観 がこの建物はいいです。また、このガラス面の広い廊下、3階はラウンジになってますが、内部には柱はなく、気持ちのいい空間になっています。もちろん、中庭そのものも落ち着いた感じでいいですよ。

この「国際子ども図書館 」は、国内外の児童書を数多く収集してあり、子どもはもちろん大人も、そして研究者にとっても必要な資料が揃っています。1階は子どものためのフロアで、円形の書架があり、子どもが自由に本を読むことが出来ます。2階は大人のためのフロアで、閲覧室が2部屋あり、児童図書に関係する資料や検索機器があります。3階は「子どもの本のミュージアム」という様々な用途に使われる部屋と、そして「ホール」では研修会なども行われます。

設計は、国土交通省関東地方整備局と、プロポーザルで選ばれた日建設計 と、プロポーザルの後に設計チームに加わった安藤忠雄建築研究所 の3者で行ったということです。そして、神戸芸術工科大学名誉教授の坂本勝比古さんが「保存指導」を行っています。

明治期の建物と昭和期の建物が混在するこの建物、増築部分も含めてすべてを「免震構造」にしたそうです。そういえば「国立西洋美術館 」も地下へ降りると、免震構造の「免震装置」の部分が見えるようになっています。ロダンの傑作「地獄の門」にも「免震装置」が取り付けてあります。建物を全部持ち上げて、地下1階部分を免震層にしたことや、柱・梁のやり替え、そして古い建物の窓枠のディテールのデザイン的な継承などで、確かに相当なお金がかかっていると思います。新築にした方が安いに決まってますが、歴史的な建築遺産を次代に伝えるという意味でも、保存・再生は必要なことだと思います。
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2005年01月26日 02時03分23秒

「酒神ディオニュソス像」が愛知万博へ

テーマ:ゲ~ジュツ見てある記
以下は、このブログに12月22日に書いた酒神ディオニュソス像」が発見されたという新聞の記事です。正式には「ヒョウを抱えるディオニュソス像」というそうです。その時僕は、この「男性像」と、もうひとつ発見された「女性像」を混同して書いて いたんですが、どうして間違えたのか、未だにはっきりしません。が、しかし、どうやら、ソンマ・ベズビアーナの遺跡では、まだまだ新発見がありそうでワクワクしますね。もちろん、いろいろな「作戦」があるんでしょうが、こういった考古学上の発見というのは、情報を妙に「小出し」にされるので、イライラします。一気に全貌を、というわけにはいかないから、そうなるんでしょうが。

イタリアのベズビオ火山ふもとにある古代ローマ時代の遺跡で、東大を中心とする総合学術調査チームによる発掘が進む。だれが、何の目的で建てたのか。ナゾを呼ぶ遺跡だ。
ベズビオ火山北側のソンマ・ベズビアーナ市内の遺跡は、噴火によって5世紀に埋没した可能性が高い。残された文献や1930年代の試掘から、「初代ローマ皇帝アウグストゥス (前63~後14年)が最期の日々を過ごした別荘」とする説が強く、地元でも「アウグストゥス邸」と呼ばれてきた。発掘作業は02年夏に始まった。
先月末には、昨年頭部などが見つかったギリシャ神話の酒神ディオニュソス の胸部が出土した。通常は酒神の足元にいるヒョウを胸に抱えた珍しいポーズで、様式的特徴から紀元1世紀前半に作られたとみられる。大理石の精巧な作品で、ナポリ西のバイアにあった皇室直轄の彫刻工房の作品である可能性が極めて高いという。

1月22日の新聞記事によると、この「ヒョウを抱えるディオニュソス像」が、なんと、愛知万博 で展示されることが決まったそうです。以下、その記事です。

イタリア・ベスビオ火山のふもとの古代ローマ遺跡を調査中の青柳正規東京大教授(古代ローマ史)のグループが発掘した1世紀ごろのディオニュソス像の傑作が22日までに修復を終え、2005年日本国際博覧会愛知万博 )のメーンパビリオン「グローバルハウス 」で公開されることが決まった。
ソンマベズビアーナにある遺跡は、初代ローマ皇帝アウグストゥス の別荘ともみられ、大理石のこの像は皇帝直轄の工房で作られたらしい。青柳教授によると「世界のどの美術館に置いても遜色(そんしょく)ない逸品」。同時代の女性像などとともに公開される。
像は高さ約160cm。ギリシャ神話の酒神ディオニュソス(ラテン名バッカス)がヒョウを抱えた珍しいポーズで、頭にはブドウの葉や房が浮き彫りにされている。5世紀のベスビオ火山噴火で起きた土石流に埋まったとみられる。

上の写真は「ヒョウを抱えるディオニュソス像」です。現在、現地の市役所で30日まで公開、展示していて、その後日本へ送られるそうです。実物を早く見たいですね。ルーブルにある「ミロのヴィーナス」にもひけを取らない美しさですね。「女性像」も併せて、最終的にはどこへ収まるんでしょうか、気になるところです。

♪赤い火を噴くあの山へ 登ろう登ろう そこは地獄の釜の中 覗こう覗こう 登山電車ができたので 誰でも登れる 流れる煙は招くよ みんなをみんなを ゆこうゆこう火の山へ ゆこうゆこう山の上 フニクリ・フニクラ くらい夜空にあかあかと 見えるよ見えるよ あれは火の山ヴェスヴィアス

子どもの頃、ずっと「変な子どもの歌 」だなと思っていたこの歌が、ベスビオ火山のことを指しているということが分かったのは、かなり大きくなってからでした。(フニクリ・フニクラ は、ナポリ民謡だと思っていたら、登山電車の開通記念のCMソングだったとか、またこの歌を、YMOの細野晴臣 が歌っていたりとか、いろいろあります。)
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2005年01月25日 00時01分42秒

メイキング・オブ・ブレードランナー

テーマ:映画もいいかも
「ブレードランナー」の続きなんですが、ここでは映画の話ではなく、ポール・M・サモンの「メイキング・オブ・ブレードランナー 」という本の話です。僕は今まで、これほどマニアックな本には出会ったことがありません。というより、これほど徹底してミーハーに、1本の映画の製作裏話を追っかけた本も珍しい。監督リドリー・スコット 、主演ハリソン・フォード、映画「ブレードランナー」の初公開から15年後に書かれた本です。映画が2年間で撮り終えたのに対して、この本は15年もかかったといいます。そして470ページに及ぶ超マニアックなメイキング本です。もちろん「ブレードランナー」を見ていないとお話になりませんが、映画とはこうして作られるのか、その辺の裏話が網羅されていて、きれいな写真も多く、巻末につけられた「付録」も詳細で、そしてなんと言っても楽しめる本です。 定価3800円ソニーマガジン社の発行です。

例えば、「ふたつで充分」というのは、デッカードが遅めの夕食を注文する、映画の冒頭のシーンです。ヌードル・バーでデッカードが「Give me four.(4つくれ)」というと、スシ・マスターが「ふたつで充分ですよ」と答えます。デッカードはまた「No,Four! Two-two,four.(いや、4つだ!2足す2の4つだ)」という。するとまたスシ・マスターが「ふたつで充分ですよ」、デッカード「And noodles.(うどんも忘れるなよ)」、スシ・マスター「分かってくださいよ!」というシーンなんですが、このスシ・マスターが益田喜頓だと思うんですが、「メイキング・オブ」にはアジア系アメリカ人の「ロバート・オカザキ」と書いてあります。ハリソン・フォードが英語で、喜頓?が日本語で受け答えをする、これがホント面白い。ヌードルを食べているところに「ガフ」が現れて、デッカードが連れていかれるところから物語が始まります。まあ、細かいことを挙げればキリがありません。

ちょっとマニアックになっちゃうかも知れませんが、ここで建築について知り得たことを幾つか書いておきます。

ブレードランナーのオープニングショットは、広大な工業地帯の汚れた風景です。塔は音をたてて、気化した石油廃棄物の炎を噴き出しています。後方に「タイレル・ピラミッド」が見えます。この斜めの高層ビル、これはフランク・ロイド・ライトが1924年に発表した「ナショナル生命保険会社」の外観パースのイメージからきていると思います。残念ながらフランク・ロイド・ライトのこの作品は実現しませんでした。映画の「タイレル・ピラミッド」は、高さ1.6km、600階から900階建てで、タイレル社のオフィスに行くのに、高速のエレベーターを使うシーンが何度か出てきます。撮影は、精巧な750分の1の模型を使って、実写しています。「ブレードランナー」全編を通しての「冥界風景」に重要なイメージを与えています。大写しの芸者が笑顔で手に持った錠剤を飲み込みます。「強力わかも(と)」の看板が見えます。

デッカードのアパート」は、フランク・ロイド・ライトが設計し、1924年に完成した実在の建物、「エニス=ブラウン・ハウス」です。ロサンゼルス郊外の丘陵地帯、ロス・フェリッツに建っています。マヤ族の装飾模様を使った「テキスタイル・ブロック」システムと呼ばれている構造で、霊廟を思わせる形態です。レイチェルが、自分はレプリカントではないことをデッカードに納得させるために、子どもの頃の写真を見せたりしたところです。だが、デッカードは、彼女の記憶はタイレルによって植え付けられた他人の記憶だと告げてしまう。その後に「君は人間だよ」というのだが。最後にガフが、折り紙の銀のユニコーン一角獣をわざと落としていったところでもあります。

セバスチャンの住居」は、ロサンゼルスのダウンタウンにある1893年に建てられた「ブラッドベリ・ビル」です。設計はジョージ・ワイマン、地元の歴史的建造物になっています。大きな硝子の屋根がかかる吹き抜けがあり、露出した階段やエレベーターの金物の装飾が近未来を象徴しています。映画では、ビルの内部は、ゴミ、煙、滴り落ちる水などで汚しに汚したので、後で元に戻すのが大変だったそうです。ロサンゼルスでは有名なビルで、他の映画にも撮影に使われたビルなので、アメリカ人のスタッフはこの建物を使うのに反対したそうですが、イギリス人のリドリー・スコットは意に介せず、それを押し切って撮影に使ったということです。

「1980年<初公開版>はいかにして完成したのか?1992年<最終版>は本当に最終版なのか?バティはなぜデッカードを救ったのか?デッカードは本当にレプリカントだったのか?そして、何が<ふたつで充分>だったのか?」この空前絶後の制作クロニクル、日本では1997年3月21日に初版発行されています。そうか、もう7年以上前なのか。

メイキング・オブ・ブレードランナー 」も凄い本ですが、「ブレードランナー・コレクション 」というウェブページも凄い。なにしろその中に「メイキング・オブ・ブレードランナーの間違い探し 」という項目もしっかりあるというから驚きです。そして、僕は読んではいませんが、「ブレードランナー論序説 」という加藤幹郎の本もあるようです。
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2005年01月24日 12時35分11秒

リドリー・スコットの「ブレードランナー」

テーマ:映画もいいかも
新聞読書欄の文庫本コーナーで、小さな記事が目に止まりました。フィリップ・K・ディック著「ドクター・ブラッドマネー 」。おー、久しぶりにディックの名前を見ましたよ。そうです、フィリップ・K・ディックは「アンドロイドは電気羊の夢を見るのか? 」の著者です。まずは「ドクター・ブラッドマネー 」の紹介記事を見てみると、「81年、1組の夫婦を火星に送るロケット打ち上げを報じるテレビに人々は見入っていた。直後に核戦争が起きた・・・。荒廃する都市、人心を描き核の時代を批判した米国SFの名作。原作は65年刊。新訳再刊。(佐藤龍雄訳、創元SF文庫・1008円)」とあります。新訳再刊か、なるほど、なるほど。

フィリップ・キンドレッド・ディックは、1928年12月にシカゴで生まれて、1982年に亡くなりました。ディックは、生涯36冊の本を出版しました。ほとんどがSFものです。「アンドロイドは電気羊の夢を見るか? 」は1968年、ベトナム戦争の最中に出版されました。人間と機械の決定的な違いが愛と哀れみの心にあるとする、ディックの考えを一番よく表している作品、と言われています。そしてこれが、リドリー・スコット監督の「ブレードランナー」の原作ということです。

そうはいっても映画はまったく違った作品になっています。この映画の魅力は、眩惑的なプロダクション・デザインにあると言われています。ディックの小説では、1992年の人が住まないサンフランシスコが舞台です。リドリー・スコットの映画は、2019年の人が行き交うロサンゼルスとしています。映画と原作は大きく違っていると言われていますが、また、原作に忠実に作られているとも言われています。議論百出、評価は分かれるとことですが、それがまたこの映画のいいところです。

さて、映画「ブレードランナー」ですが、イギリス人監督リドリー・スコット、主演はハリソン・フォード。1本の映画に「ディレクターズ・カット」や「インターナショナル版」はたまた「インテグラル」や「スーパー・プレミアム版」等々、複数のバージョンが存在するというこの映画。今ではそれが当たり前で誰も不思議には思いませんが、「ブレードランナー 」はそうした作品の「はしり」であったわけです。

僕がこの映画を見たのは、大きな劇場の封切館ではなくて、場末の汚く小さな二番館でした。というのも、この映画の公開時には、日本ではあまり話題にならなかったのかもしれません。その後、「最終版 」、「完全版 」とか「ディレクターズカット 」とか、何回かビデオを借りて見ました。その頃、月1回、友だち仲間と集まっての会合に参加していたのですが、その仲間でよく話題になったのが「エイリアン 」と、そしてこの「ブレードランナー 」でした。この二つの映画は、監督がリドリー・スコットだということ、デザインがシド・ミードやH・R・ギーガーだということなどからだと思います。1980年代ですね。SFもの中でも「近未来」ものに分類されるんでしょうか、「未来世紀ブラジル 」も、その中で話題になりました。

酸性雨の降る2020年の暗黒の未来都市、脱走した超高性能の人造人間=レプリカント4人を追う専任捜査官=ブレードランナーのデッカードは、1人また1人と彼らを仕留めてゆくが・・・というのが映画の導入部なんですが、エンディングにはいろいろと手厳しい批判があるようです。ハッピー・エンディングはどうかとか、一角獣の追加された映像はどうかとか、はたまた、ディレクターズ・カットでは、デッカード=レプリカント説を含んでいるという様々な解釈や批判があります。1982年公開時はわかりにくいとか暗いという否定的な評が相次いだが、1992年のディレクターズカットには好意的な批評が多くなったと言われています。

今回、ネットで検索してみると、あるんですねマニアックなサイトが。ということで、ここでは「ブレードランナー・コレクション 」というウェブを紹介しておきましょう。

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2005年01月23日 02時59分50秒

メル・ギブソンの「パッション」

テーマ:映画もいいかも
やっぱり、どうしても「メル・ギブソンの」と、アタマにつけざるを得ないですよね、この映画は。アカデミー賞を席巻した「ブレイブハート」の監督、俳優メル・ギブソン。彼が12年もの構想歳月を費やし、約30億円という私財を投じて完成させた渾身の衝撃作。と、必ず書かれていますから。映画の内容よりも、メル・ギブソンがうんぬんが一人歩きし、過大に宣伝に使われていました。僕は、この「パッション 」という映画を見るまで、メル・ギブソンの映画は、1本も見ていないことに気がつきました。名前は聞いてはいたんですが。あ、この映画にも出ていませんね。

どうして突然、脈絡もなく「パッション」のことを書き出したのかというと、実は、近所の映画館で、昨日から「パッション 」が「息子のまなざし 」と2本立て上映されているんですよ。「息子のまなざし」は見ていないんで見てもいいけど、「パッション」の方はもう1回と言われると、ちょっと考えちゃう映画なので。僕がこの映画を見たのは半年前ぐらいかな、新宿の「テアトルタイムズスクエア 」という映画館で見ました。その時は長蛇の列で、階段に沿って延々と何階分か並ばせられました。その1週間前に、新宿へ行く用事があって、その帰りに見ようと思ったんですが、間違えて紀伊国屋新宿南口店紀伊国屋サザンシアター の方へ行ってしまい、時間が合わなくて、見ることができませんでした。

パッション」とは、キリストの「受難」のことです。って、そうなんだ、と、解説を読んで初めて知りました。テーマが僕らにとっては難しいですよね。この映画の「」を見ると、だいたいの人は、私は信者ではないですがで始まり、この映画に感動して、信仰心を持たなくちゃいけない、そして神の存在を少しは信じるようになりました、というような書き方がほとんどです。それがいいのか悪いのか、はっきり言って僕にはよく分かりません。聖書に書かれている「受難」とは、実際は無力で無惨な死に方をしたイエスが、死後、弟子たちや彼を信じる人たちに、強い信仰を吹き込んだ過程を描いているんですよね。

諸外国ではどうなのか詳しくはありませんが、気候・風土が異なる我が国日本でも、このテーマを扱って小説を書かれている作家は何人かいます。カトリックの洗礼を受けた作家って、けっこういますね。例をあげれば、筆頭はやっぱり遠藤周作ですね。「沈黙 」は別として、「イエスの生涯 」「キリストの誕生 」、そして「死海のほとり 」は、そんなテーマじゃなかったかと思います。辻邦生の「背教者ユリアヌス 」も、そんな感じの本でした。小川国夫の「或る聖書 」も、そんな感じかな。なにしろ、だいぶ昔に読んだ本なので、かなりうろ覚えですが。

映画はどうだったか、今まで僕が読み聞きしてきた「イエスの受難劇」からすると、史実に忠実に描かれている、と感じました。あくまで僕が読み聞きした限りですが。そうそう、イエスになった俳優もよかったですが、イエスの母親役とマグダラのマリア役、二人の女性になった俳優、そしてその演技には、イエスを思う思いが十分伝わってきて感動しました。音響がうるさ過ぎる、暴力的なシーンが多すぎる、イエスの身体がミミズ腫れになっていく特殊メークがあまりのアップにちょっと耐えられない、等々、細かいところはいろいろありますが、全体的に見ると、消極的ですが「そうなんだろうな」と納得せざるを得ません。なにしろ気候風土や、信仰的な生活・習慣が基本的に違うところに、多くの我々日本人は立っていますから、仕方がないとしか言いようがありません。
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2005年01月22日 01時24分29秒

「東京タワー」、あるいは江國香織について・2

テーマ:本でも読んでみっか
「世の中でいちばんかなしい景色は雨に濡れた東京タワー だ。」というフレーズで、この物語は始まります。港区芝の坂の上に大叔母の家があり、母に連れられて遊びに行き、替えるときに正面に東京タワーが見えたという。19歳の少年たちの物語 を書こうと思ったときに、東京タワー が見守ってくれる場所の物語にしようと、江國香織は思ったそうです。

1980年3月には生まれた。父と母は透が小学校に入学したときに離婚した。以来、透は母親と住んでいる。父親は設計事務所を共同経営している建築技師、母親は女性雑誌の編集長。なにしろカッコいい職業ですね、二人とも。この辺があまりにも出来過ぎだと思いますが。

母親から、透が17歳のときに「詩史(しふみ)」を紹介される。すんなりとした手足と豊かな黒髪。白いブラウスに濃紺のスカートをはいていた。目と口の大きな、エキゾチックな顔立ちのひとだ。代官山にあるセレクトショップを持っている。と、ここまで書けばもう黒木瞳しかいませんね。その二人が「恋はするものじゃなく、おちるものだ。」と、なるわけです。

マリー・フランク、カルティエ、ショット・バー、スザンヌ・ヴェガ、「渾成の大地 」という写真集、ギャラリー、パーティ、ワイン、チーズ、カナッペ、スモークサーモン、ホテルのバー、グラスシャンペン、バーボンのオンザロック、ラフマニノフ、シャトー・マルゴー、ブラウンマッシュルーム、グレアム・グリーンの「情事の終り」 、ビリー・ジョエル、シートはモスグリーンの革張り、ジン・トニック、ローズマリー・クルーニー、テックス・ベネケ、ウォッカ・トニック、たらば蟹と野菜の生春巻、オマール海老の汁で蒸した赤米のリゾット、ケッセルの「ライオン」 、赤いフィアット・パンダ 、ジョニ・ミッチェル、キャロル・キング、エルトン・ジョン、ローリング・ストーンズ、グレープフルーツサワー、週末、軽井沢、別荘、バスルーム、テニス、レンタサイクル、チーズとハム、ジャーマンポテト、鰊のマリネ、ロバータ・フラック、スリー・ドッグ・ナイト、オリビア・ニュートン・ジョン、遠藤周作の「沈黙 」「白い人 」「 」、カリエールの芝居、エスプレッソ、ラルフローレン、フィービー・スノウ、ロレンス・ダレル、アレキサンドリア四重奏、等々、全編に渡ってこのような字句が散りばめられている。いかにも江國香織好みの、ほとんど生活感のない背景ですね。これにいちいち注釈をつければ田中康夫 の「何となくクリスタル 」になっちゃう?

一方、透の友達の耕二は、「透とは、いくつか共通点がある。用心深さとか、まわりの人間に流されないところとか。それから、年上の女。」と、思っている。耕二は8人の女と寝たが、喜美子が群を抜いていると思っている。合性もいいと思っている。喜美子は習い事は諳んじている。華道も茶道も究め、今はフラメンコに夢中だ。その他にヨガと料理とフランス語を習っている。そして二人は当然のように「くんづほぐれつ」となるわけです。喜美子は、映画では寺島しのぶ。映画を見ていないで言うのもなんですが、たぶん、黒木瞳より、寺島しのぶの方が感情の赴くまま、自由奔放、より人間的で共感を呼ぶんじゃないでしょうか。ということは、寺島しのぶは適役だった、ということなのかな?

小説の中では、大学生二人の年上の女との恋が、お互いに交差し補完しあいながら同時進行します。透は「一緒に暮らそう」と、そして、耕二は「どっちみち、いつかは別れなければならない。」と。

東京タワー 」という恋愛小説は、確かに江國が「あとがき」で言うように、「あらまあ」という小説ですね。
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