徒然なる想い(その2) | トナカイの独り言

トナカイの独り言

独り言です。トナカイの…。

 もう十五年以上も会っていないアメリカの親戚からクリスマスカードが届きました。
 美しい写真と、温かい言葉が送られてきました。
 でも、一番感激したのはそこに書かれた彼らの住所です。
 Lazy Hammock Way, Flowery Branch
 「枝に花が咲き乱れ、のんびりハンモックでゆらゆら通り」
 こんな住所が日本にあるでしょうか?
 やはり西欧人独特の人生観を反映したネーミングですね。

 この住所を見ていると、ふと車のナンバープレートのことを思い出しました。

 初めてアメリカの親戚に会った時、大叔父と大叔母が、わたしをいろいろなところに連れて行ってくれたのです。たしかネバダからコロラド州あたりを旅行したと記憶していますが、その時強烈に思ったことがあります。それは、ナンバープレートの美しさです。
 まず州によって異なるライセンスプレートの多彩さに驚きました。しかも、それぞれに美しいのです。
 そして、街の景観の素晴らしさにも驚かされました。

 ライセンスプレートはそれぞれの州の特色を出した色彩で創られ、そんなプレートの縁を、凝った人たちが個性的に枠付けしていました。ナンバーを飾るさまざまな枠が、ディズニーランドをはじめ、有名スキー場などいろいろなところで売られていました。たとえば 「わたしのもう一台の車はポルシェよ」 よとか、「スキー大好き」 とか。
 それに較べて日本のナンバーの醜いこと。
 特に軽自動車の黄色に黒のプレートは、おしゃれを願う人たちの気持ちを叩きつぶしてしまうに十分です。あのナンバープレートが嫌で軽自動車を敬遠する人を、わたし以外にも数人知っています。

 アメリカの旅行中、大叔父夫妻に 「街並みがきれい」 と言うと、こんな説明を受けました。
「各通りや地域に、おおよその色や建物形式の指定があるんだよ。だから、そのルールに合わせて建てなければいけないのだ」

 昔の日本は、誰が決めるともなく、そんなルールがあったのでしょう。
 古い建物が残るところに行けば、アメリカで感じたのと同じような統一感を感じることができます。
 しかし、第二次世界大戦後の日本の街は、ルール無用で出来上がったに違いありません。
 特にリゾート法が施行された1980年代中盤から、全国で一斉にリゾートブームが起こり、そこで創られた多くの建造物が辺りの景観を無視したり、破壊したりしているように思えます。

 日本の気候から考えると、明るすぎたり、どぎつい色は、すぐに変色したり、カビが生えたりして醜くなってしまうようです。やはり木造で茶色や白を基調にした建物が似合うように感じます。
 わたしの住む白馬には、青鬼集落と呼ばれる古い民家の残る地域があります。そこに行くだけで、心を打たれるほどに、日本古来の美意識に洗われます。

 北米の有名観光地やスキー場に行くと青鬼地区と同じように、彼らの伝統的美意識を感じさせてくれる場所が多いです。
 彼らは景観作りを都市開発という大きな括りの中でおこなっているため、新しい街やリゾートに十分な美しさを生み出せるのでしょう。
 いっぽう、どこに行っても同じような建物で魅力のないJRの駅。味気ない都市計画ばかりの日本と大きく異なっています。日本の場合、それでも都市計画があれば御の字なのです。まったくの雑然と混乱に支配されたエリアも数多いのですから…。

 安倍さんはかつて 「美しい日本」をうたっていました。
 ほんとうの美しい日本を実現するには、わたしたちは今どうすれば良いのでしょう?
 

 Sidney Sheldon’s Mistress of the Game/Harper

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 シドニィ・シェルダンが残した草稿をバッグショーが完成させたミステリーをふたたび読んでいます。今回読んでいるのはあの 『ゲームの達人』 の続きにあたるもの。
 これも素晴らしいストーリー展開です。