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2016年09月21日(水)

人生を全力疾走した友

テーマ:まじめな話

 親友が逝ってしまった。
 五十九年というあまりにも短い人生だった。

 

 大会会場で会った時や水泳の話になるたび、彼はいつもこんな夢を語った。
「来年あたりのジャパンマスターズ、角皆さんと一緒の組で泳ぎたいなア」
 こう付け加えることもあった。

「いつか角皆さんの隣のコースで、ジャパンを泳ぎたいなア」

 長身で手足の大きな彼の泳ぎは、ほんとうに美しかった。

 同じトレーニングができたなら、すぐに抜かされると思った。


 病で倒れ、しばらく泳げなくなった時、友はこんなことを言った。

「これからはスプリントでなく、200や400メートルをねらいます」

 わたしもジャパンで一緒に泳ぎたかった。

「それでは、いつか200で勝負しましょう」

 200だと、きっと負けると思った。

 

 

 わたしにも夢があった。
 それは、彼と一緒にさまざまな本を書くということ。
 彼の主催する勉強会に、講師として参加するということ。
 

 出逢った時から、わたしが大怪我を何度か越えてきたのを知っていた彼は、病に倒れてからたびたびこんなことを言った。

 「角皆さんの復帰にくらべれば、わたしなんか楽なものです」
 

 つい一月前にも、これから二人で本を書き、しばらくしたら一緒に泳いでトレーニングしようと約束したばかりだった。
 

 そんな約束を宙づりにしたまま、一人勝手に逝ってしまった。


 友はいつも全力疾走だった。
 五分時間があれば、必ず勉強か仕事をしていた。
 それでいながら、やりたいことをやるため、捨てることが大切だと力説した。
 「もうわたしはいろいろやらないんですよ。やるのは、本を書くこと、講演すること、そして泳ぐこと。これら以外はもう一切やらないんです」
 こう言いながら、病に倒れても四日間で三回も名古屋と東京を往復した。

 常に全力だった。


 
 わたしは五十才になる頃、もう友人も親友もできないと感じたことがある。
 そして、ほんとうの親友と呼べるのは、ごくわずかだという事実に気付いたことがある。

 

 そんなわたしに、親友は何才でも現れることを教えてくれた彼・・・・・・。
 ふと、わたしが本音をもらし、「自分の人生は失敗だった」 と言うと、「角皆さん、人生はまだまだこれからだ。今までの失敗こそが、新しいスタートの土台になるんだ」、そう視線をそらさず真剣に語った彼・・・・・・。
 「六十からがほんとうのスタートだと、わたし自身も思っている」 と加えた。

 逝く寸前の一週間、ほぼ毎日いっしょにすごせたことを、心から感謝したい。
 大きなものを残してくれた親友。
 わたしに残してくれただけではない。
 死の直前、八冊もの貴重な書籍を残してくれたのだ。

 

 

 読み返せば読み返すほど、失うべきでない人を失ってしまったという想いが、心に突き刺さる。

 だから、わたしはこれからを、こんなふうに生きよう。
 「水泳大会のたび、彼と一緒に泳ぐのだ」
 「何か文章を書くたび、『彼だったらどう書くか』 と考え推敲しよう」
 

 休むことを知らなかった友よ、さぞ疲れたことだろう。


 今度こそしっかりと休んでください。
 そして、これからも、わたしたちに道しるべを与えてください。


 ・・・・・・合掌・・・・・・

 

 

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2016年09月12日(月)

音楽の力 ・・・・ 実現した奇蹟

テーマ:感動

 ここ3週間、深々と親友の音楽に浸ってすごした。

 8月28日に 『ナディーヌ』 公演を聴き、9月3日にモーツァルトの作品による演奏会に参加し、9月4日 『ラインの黄金』 公開練習を聴き、夜にライトモティーフを中心としたワグナーオペラの講演を聴き、そして11日 『ラインの黄金』 のゲネプロと本番を鑑賞した。

 

 

 『ナディーヌ』 はオペラというよりミュージカルだ。すべてを三澤洋史が仕上げた作品でもある。物語を創り、台本や歌詞を書き、すべてを作曲し、大筋の演出までおこなっている。つまり、これぞ三澤洋史そのものと云える作品である。

 内容は悲恋で、悲劇と言っても良い。

 ミュージカルに酔いながら、わたしは何か、自分の 『星と、輝いて』 と共通するものを感じていた。土台にある体験も、どこか共通しているのではないだろうか。


 しかし、わたしの作品が時代の潮流や社会の軋轢のなかで悲劇へと進むのに対して、親友の物語は悲劇のなかでバランス点を見つけ、新しい形の安定へと進むところが大きく異なっている。

 わたしの作品は問題を提議するが、彼の作品は道を示している。

 ほんとうに彼らしく素晴らしいと感じた。

 それと同時に、高校時代からわたしたちを近づける二人の 『差』 とか、『相違点』 を強く感じさせられもした。

 

 モーツァルトでは、祈りの合唱曲 『ヴェスペレ』 がメインだったが、その前に交響曲39番が置かれていた。
 いちばん聴きたかったのは、これだ。
 知り合っていらい、モーツァルトの3大交響曲のなかで、彼がもっとも好きな曲。
 同時に、わたしにとってもっとも近よりがたい曲である。


 高校一年の時、39番が好きだという彼に 「どこがいいのか、まったくわからない。41番の高貴さや壮大さもなければ、40番の悲しみや孤独もない」 と言った記憶がある。
 あれから45年が経ってようやく、わたしは39番が好きだという彼が理解できるようになった。そして、この曲を好む彼をうらやましくも感じるようになった。


 この曲には、中庸という言葉に表されるようなバランスポイントがある。振り子の振動にある中心点のようなものだ。

 少し話題が飛ぶが、サリンジャーの小説 『フラニーとズーイ』 で、フラニーが次のように発言する場面がある。

「…もうエゴ、エゴ、エゴにうんざりなの。自分のエゴにも他人のエゴにも。なにかひとかどの地位に着こうとか、なにか凄いことをやろうとか、人々の注目を集めようとか、そんな人たちにうんざり。誰がなんと言おうが、ほんとうにうんざりだわ」

 I'm just sick of ego,ego,ego. My own and everybody else's. I'm sick of everybody that wants to get somewhere, do something distinguished and all, be somebody interesting. It's disgusting - it is, it is. I do not care what anybody says.

 フラニーの言葉には 、「なぜ、ふつうという状態に満足できないのか」 という疑問がある。そして、平凡な日常に幸福を見いだそうとする心がある。
 少年の頃から、わたしは振幅の両端を好み、親友である彼はバランス点を好んだのだ。

 しかし、わたしもようやく中庸を理解するようになり、彼も大きな振幅を楽しめるようになった。だから、彼の演奏でこの曲を聴くのは、ほんとうに楽しみだった。
 昨年はモーツァルトのなかで、わたしのもっとも好きな41番を彼の演奏で聴くことができ、今回は彼の愛する39番を聴くことができた。やはりこうなると、いつの日にか40番も聴いてみたいという願いが生まれる。

 それに、欲を言えば彼の指揮、志保さんのピアノで、ピアノ協奏曲20番、23番あたりも聴いてみたい。

 

 そして、いよいよワグナーである。

 高校二年の頃、よく彼とワグナーやバイロイトについて語り合った。
 「いつかバイロイトで、ワグナー聴きたい」 と夢を語り合っていた。

 あれから年月を経て、彼はバイロイトで実際に指揮を経験し、ついに日本でリングを演奏する時を迎えたのである。


 かつて彼が好んだワグナーは、何と言っても パルジファル だった。

 いっぽうのわたしは、何と言っても トリスタンとイゾルデ だった。
 これは今でも変わっていない。
 当時は二人とも、 『リング』 をそれほど評価していなかった。それはリングのストーリーに、強烈に心を打つ何かを認めなかったからである。
 たぶん、今回の演奏会がなければ、わたしが真剣にリングを聴くことはなかったかもしれない。20代の経験から、わたしのリングは先に進まなかったかもしれない。しかし、彼が演奏するということで、古くから持っているショルティ盤を聴き直し、DVDを購入して予習した。
 その過程で、「ワグナーならやはり トリスタン だ」 という想いが再発していた。


 しかし・・・・・・。

 彼の振る本番に、魔法が下りたのである。

 

 むなしいストーリーにもかかわらず、魔法が掛かったのだ。

 

 登場人物に誰一人、尊敬できる人はいない。下劣で、自分勝手な人間(神々)ばかりが、エゴと欲望をぶつけ合う。そんな世界が、異常に心に食い入ってきた。
 それは、まるで現代の世界情勢でもあるかのように、現実の問題として、わたしの心に食い入ってきたのである。
 気が付くと、まわりの観衆たちも、息を殺して音楽に集中していた。

 音楽を命のように呼吸しているのが、手に取るように感じられた。


 オーケストラと歌手たちが、音楽に没入し、自分たちを表現しているだけでなく、それが聴衆の心に届き、掴んで離さない 『場』 が劇場全体を包み始めていた。


 第4場になると聴衆のエネルギーが、指揮する彼を通してオーケストラに環流し、そこで圧倒的な力に増幅され、ふたたび吹き出してくるようにすら感じられた。
 彼の指揮も、後半になればなるほど生命が宿り、躍動した。


 特別な空間が生み出され、劇場全体が特別な場となった。

 



 『奇蹟』 が起こったのだ。
 わたしだけでなく、高名な音楽評論家である友人の瞳や妻の瞳にも涙が浮かび、それが多くの聴衆に広がっていた。


 親友は自身の音を見つけただけでなく、マイスターに成長していた。


 そんな彼の成長は、彼だけの力でなく、『奇蹟』 を実現させた愛知祝祭管弦楽団の力でもある。

 わたしは、これほど魅力的なオーケストラを知らない。
 確かに技術だけ見れば、まだまだという点はある。今回の演奏も完璧からは遠い。

 しかし、ここには表現者による確かな表現と、表現者自身の束ねられた情熱と感動がある。

 その音の渦が、聴衆を飲み込み、焼き尽くすような感動となって劇場を支配した事実がある。
 『ラインの黄金』 でこれほど感動してしまったら、来年から、いったいどうなってしまうのだろう。‥‥ そんな不安さえ感じてしまった。

 

 

 アマチュアでありながら到達した、アマチュアだからこそ到達した究極の音楽が鳴り響いた夜だった。


 公開練習を聴いた時、その素晴らしさの一端を理解したようにも思った。

 楽団長の不休の努力によるマネージメント。そして、音楽性の核となるコンサートマスターと三澤洋史の音楽の共鳴。そして、全楽団員の無限とも呼べる情熱である。
 昨年ウィーンにおいて、マーラー交響曲第2番を大成功させた経験も、彼らの底力を上げ、大きな自信を与えているに違いない。
 

 オーケストラと歌手のみなさま、いつも暖かい心でお迎えいただき、心から感謝しております。素晴らしい音楽、素晴らしい体験でした。

 これからも、みなさまの音楽を見守らせていただきます。
 確かに無謀とも云える挑戦かもしれません。ですから近い将来、大きな壁や試練にぶつかる可能性もあります。そんな時も、みなさまの音楽への愛と情熱が、必ずや道を開いてくれると信じております。
 素晴らしい感動を、ありがとうございました。

 

 そして、三澤君に心からの 「ブラボー」 をビックリマーク

 

 

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2016年08月30日(火)

『シンクロの鬼と呼ばれて』 by 井村雅代

テーマ:スキーの話

 

 今回のオリンピックには、なにかを深く感じさせられた場面が、いくつもありました。
 すべてを見ていた訳ではないので、きっと見逃しているものもあるでしょうね。

 あるとすれば、とても残念です。

 

 そんな何かを深く感じた場面の一つに、シンクロのメダル獲得シーンがありました。

 井村コーチと抱き合う選手たちに、深く感動させられたのです。

 

 これまでシンクロに興味がないこともあり、井村コーチのことも良く知らず、ほとんど知識もありませんでした。しかし、このシーンから井村さんを知りたい気持ちが大きくなり、こんな本を読んでみました。

 

 

  スポーツ関連の本でわたしが涙したのは、これまでダン・ミルマンとダーラ・トーレスくらいでしたが、この本では何度も涙しました。
 読みながら、かつてナショナルチームのコーチをしていた頃に経験したいくつかの素晴らしい思い出や、反対に苦しかったり、悔しかったりした思い出が、いくつも甦ってきました。


 もしこの本が35年前に書かれていて、わたしが読んでいたなら、「もっともっと選手たちに素晴らしい経験をさせてやれたのに・・・・・・」 とも反省しました。

 この本はリオデジャネイロ・オリンピックより前(2013年)に書かれているため、オリンピックを知る目で読むと、いっそう感動的です。
 

 スポーツは結果がすべてだけれど、スポーツをおこなうのは、結果のためではなく 『心を育てるため』 とする彼女の姿に、ほんとうに賛同します。加えて、それを強く貫く姿に深く心打たれます。そして、権力の中にいる人たちの中途半端さや間違った意図、思惑に、かつての自分の怒りが重なりました。


 近頃、猪谷千春さんや猪谷六合雄さんの本に、大きな感動をいただきましたが、こちらからも素晴らしい感動をいただきました。
 いつか、お逢いしてみたい方です。

 スポーツに真剣に取り組む方のみならず、育児をされるご両親に、ぜひ読んで頂きたい書籍です。

 

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