日本の民話 | いとう歌織の夢見がちあれこれ。

いとう歌織の夢見がちあれこれ。

国内外で活動する振付家/ダンサー。
2012年よりダンスプロジェクトアマキオト主宰。
こども~大人まで、幅広い層を対象にしたワークショップや
赤ちゃんと保育者に向けたベビーダンス講師としても活動中。

三ツ石神社
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別名、『鬼の手形』
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ここは、悪さする鬼を戒めた三ツ石の神様が、もう悪さをしない様にと、石に手形を押させて約束させた、と伝えられている場所で、日本の民話にも出てきます。
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岩に手形⇒岩手、という由来があります。知らなかったー!
ちなみに、鬼がもう悪さしない事を喜んだ村人が、石の周りで踊って喜んだ時の踊りが、さんさ踊りの始まりだそうです。
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最近、日本の民話を読んでいて、面白い発見が沢山あります。
やはり、日本は八百万の神、という捉え方が随所で見られ、人々は当たり前の様に自然と共存し、神様を敬い、悪さをすると必ずバチが当たる、ということを、もう、サラッと一つの話に現されている。お見事です。

昔、日本昔話を良く見ていた。子供心に、面白いというよりは、怖いな、という感覚が強かった。ナレーションも絶妙だったし、悪いことすると必ず怖い鬼や大蛇が出てくるし、「神様が見てる」という感覚を私に植え付けてくれた気がする。
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今はまた、もうちょっと違った感覚で読めて面白いです。自分が如何に、日本の風習を知らないか。三十路にして、ちょっと恥ずかしかったですね。

身近な風習が、どうして始まったのか、というルーツを知ると、もう、馬鹿に出来ないというか、見過ごせない。菖蒲湯とかね…。

実際、たまたま訪れた場所に古くから伝わるお話があった、という事を知ると、何も知らないで居るよりも、その土地やその場所が自分にとって深みを増し、記憶に落とし込まれる気がします。そしてそのことは、きっと特別な事ではなく、私が今、毎日通り過ぎる道や、川の音や、買い物をするパン屋やスーパーは、何気ないものなのに、身体の奥に残って居るのだと思う。

良く聴く曲や、ふとした感覚。例えば、スーパーでお惣菜を買う、とか、すれ違った人の使う香水が知っている匂いだった、とか。そんな些細な出来事の中にも、幾つかの思い出があったりして、ふとした時に、記憶が引きずり出されて泣き出しそうな時もある。
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私の身体は、今は、勿論自分のものだけど、幾重にも重なる誰かとの、何かとの記憶が刻まれていて、哀しみも、喜びも、セットになってついてきて、中々凄い機能を持っているな、と感心する。そして、きっと遠い昔のご先祖様の記憶も、何処かに組み込まれているのだと思うと、1人の人間の力は果てしないな、捨てたもんじゃないな、と
思うのです。