アナタの人生1区間伴走プロ
クレバーでチャーミングを目指す
 
たなかともこです。



まつかわちえちゃん
潜在意識を掘り下げるセッション」を受けています。
コチラその1はこちら
コチラその2はこちら


ええと、不思議なのですが
ちえちゃんはぜんぜん「誘導しない」のに 私のアタマの中に
なんかつじつまの合わない?映像でもでてくるのです。
記憶なのか
自分の思いたいこと(創作のお話)なのか(←これ、かなり自分を疑いたくなる)
なにかそんなものじゃないことなのか
もう 自分が何を追いかけてるか分からないんですけど
みえてくるものにストーリーがあって
それ自体 結構自分の知らないものであって

でもタッピングのおかげか
ちゃんと現実世界の自分もいて


「では、幸せ度合いを上げるようにこの辺りを・・・」って
上手にアドバイスくれるちえちゃんが
現実世界の人で
場所や設定を変えるのを決めるのは私なのに
勝手に場面が変わっていく
「小さい朋子ちゃん」の様子も変わっていく
それはとても不思議な感覚です。




(セッションに入る直前のちえちゃんと私。)


とにかく 変な子 な小さい朋子ちゃん
みんなと遊ぶのもすきですが
「こうしよう、と打ち合わせていないのに みんなで同じコトをはじめるとき」が
とっても楽しいらしい。


ありますよね、「ごっこ」遊びで
シチュエーションをかなりおおまかに決めて
たとえば遠足に行こう!と言う。
みんなでそこへ向かっていく
だれかが「草の上に段ボール置いて滑ってみよう」という
みんなやる気満々になる
また誰かが 「あの岩から飛び降りごっこ」という
みんな すぐそこの塀によじ登って
飛び降りる、を永遠にやる・・・・

そういう、「なぜかみんな同じコトを考えてやり始める」こと


それが楽しいらしいね。


うーん、そんなに時間経ってないのに
どんな話をしていったか、おぼえてないぞ?あれ?




でもまとめると(ヲイ)
そのときの「小さい朋子ちゃん」は
この世界を大好きで どんなものも楽しんでいたようで
この世界から離れてはいけない と思っていたようで
空をとべても 砂場の砂が好きな色に変えられても
この世界にいなきゃつまらない と信じていたようで



しかもそのとき会いに行った小さい朋子ちゃんは
「傷つく」とか「悲しい」とか
そういう言葉を持っていなかった。
『みそっかす』『オマケ』という 私がつかった表現には
でもそういうモノだし アタシ、それで良い思いしてるよ?みたいな
逆に優越感というか 愛されてる感がいっぱいだった。
しかも双子の姉達に私が置いてけぼりにされたのではなく
大抵は「私が興味をほかに感じて」離れて行っていた!!!
 (おねーちゃんたち、ゴメンナサイ。。。)



友達もいて幸せ
家族にもふっつうに 愛されてた(これはずっと知ってたけど)
でも一番楽しいのは
指先に 地面だとか雑草の葉っぱだとか 蛇口から流れ出る水だとか
そういうものを感じるとき




指先をこするそれらのモノと
目に入ってくるいろと
その季節の匂いや はっぱの匂いとか
なんか、そういうものをとっても大事にしてて
そういうものをじっと眺める時間をもらえてることも
心の奥底で嬉しいって思っていて
ただ そうあるモノ達に囲まれて
この満ち足りた感じが 私のスタートした場所なんだなぁと
・・・いま、ほんとに感謝を感じます。



セッションで出てきた 幼い頃の私って
想像と全然違ってて かなり拍子抜けというか
この子を見ていたときに「子供らしさ」はよく分からなかった。
なんか 妙に悟ってて 変な子としか思えなかった。
でも 姉達のことを
コンプレックス、ではなくて 
いつも大好きで ああはなれないけど 自慢の姉達って
そこに戻れたから 良かった。



なんか、ほんとーに今のワタシの人生って
最初から満ち足りてて
最初から いろんなものが溢れていて
もう「大変」とか「くるしい」とか「悲しい」とか
そういうモノからは離れて
ただ自分の気持ちを見てご覧、って
言われてたんだなぁと思いました。


46年経ってもまだ
自分のすっごくやりたいこと、が
きちんと見えてないようだけど 笑




スタート時点から「ある」
人生をどこで輪切りにしても「ある」
その状態を戴けてるって
昔、私どれだけ良い事したんだろ!?(笑)




ちえちゃん、今回は
私の中でもの凄く深い深い変化をみました。
上手く言葉に出来ずスイマセン
そして いつもありがとう。


まつかわちえちゃんのブログはこちら。
セッションは 多分直接問い合わせた方が良いと思うよ。
あなたに最適なモノを一緒に考えてくれるから。