CleverでCharming
たなかともこです。
《覚えてない小学校時代は 多分凄く幸せだった》
先日 松原靖樹さんが紹介されていた
行動経済学を生み出したノーベル賞受賞者 ダニエル・カーマンさんの動画
(動画そのものは記事の一番下からどうぞ)
この「経験の幸福」=今現在。
「記憶の幸福」=過去
に分けると 自分の小学生時代が
「暗黒の時代」だった理由が見えてくる ww
基本その年齢に与えられることなら
大抵なんでも器用にこなしたので
多分その時、その瞬間はそこそこ楽しかったんだと思います。
でも「記憶の幸福」ボックスには入らない。
それが小学校時代だった気がします。
実際、嫌なことしか、覚えてないもの・・・・
だからといって 幸せを感じなかった訳ではなく
むしろ いつも幸せでした。
だから少数の あまり嬉しくないこと が凄く心にのこっている。
そういう構造でしょうね。
登下校一緒だった友達とよくケンカしたこと とか
いじめられた記憶 とか
でもね
たいした事無かった と今では言えます。
少なくとも それらで処世術を学んだし
「心を許せる友達」って 早々居ないんだなと思ったし
それでも相性の良い 気のあう友達はいたし
その頃のその小学校は超マンモス校で
2500人くらい子供が居たから
小学5年生くらいのとき 近くにできた他の小学校に別れていった子もいます。
これでぐっと減って、1800人くらい?
まぁ、多すぎても 友達は逆に増えなくなるので
同窓生だったとしても 中学も一緒に行ってても
下手すると 高校まで一緒なのに
あんまり話したことなかった、って人も居ます 笑
あんまり 思い出さないんですよね、小学校時代。
やりたくて始めたミニバスケットも
水泳の試合が同じ頃凄く増えて 練習にすら出られなくなりやめました。
自分の時間は 自分だけじゃどうしようもならないんだなあと
初めて感じたときかなぁ?
(そしてもちろん 私の嫌な思い出として記憶された 笑)
自分の小学校・中学校時代を思い出すとき
「記憶のない時間」として覚えているんですね。
それぞれの瞬間を楽しんでた。
上手に自分を生かすことも出来たんだと思います。
でも同時に がつんごつんと あちこちにぶつかって
「何もやらないで結果を出す」こともできたから
そっちをしてしまった。
もったいなーい。
4姉妹です。
海街diaryのまんが読んだときは懐かしさできゅーんとした。
ちなみにこのまんがで3番目はちかちゃんね。
めっちゃ、アタシっぽい 笑
姉妹ゲンカも沢山したけど
あんまり おぼえてないかな。
ケンカしながらも 相変わらず大好きだった姉達の部屋に
忍び込んでまんがを読んだ、とか
姉達の部屋にあった 小さな飾りものとかユニコーンとか
羨ましく ウットリしながら見てました。
まだ 姉が学校から帰らない時間
開けた窓からはいる涼しい風と
スノーボールや 沢山のキラキラした小物を
窓から入る光に当てて見ていました。
姉たちの部屋に忍び込むことは
憧れのひとの空間にはいって
彼女たちになりきる、みたいな感じで・・・・
姉妹じゃなければ ストーカーですね 笑
2つ違いの妹とはいつも遊んでいたけど
あんまりこれ、って言う記憶がない。
小さい頃はお互いに意地悪だったしね。
意地悪の限りを尽くす相手でした 笑
だけど
夕立がきて 雨の匂いが遠くからしてくると
ふたりで部屋の電気をけして
二段ベッドの下の段から
雨の振り出しと 雷の光と
色が変わっていく地面と
みどりの葉っぱにツヤが生まれるのを
じーーーっと見てたなぁ。
あっという間に 水たまりが出来ていくのを。
彼女は 覚えてるのかな?
二人でただ 外を見てたの。
多分 子供の頃って
「経験の自分」の比重が高くて
「記憶の自分」は比率敵に少ないんだろうな。
それは 時間の長さをどう感じるか、にもつながるのかもしれない。
その瞬間、その瞬間がとても長かった。
15分のうちに 沢山のものを見ていた。
そんなもの 覚えていたらキリもないから
きっとつぎつぎ 忘れていくんだよね。
きっと「この先生きて行くに必要な 防御のための記憶」だけ残されるんだよね。
何も覚えてないってコトは
そういう幸せを感じてたことか、って
今は思います。