Synchronicity | In The Groove

In The Groove

a beautiful tomorrow yea


 Delano South Beach

 

ノスタルジーと記憶

 

水曜の朝5時50分。フレッテのシーツに包まれ、いつもより遅い目覚めだったが、ベッドの中からしばらくの間、SONY製ブラビアの大画面テレビで、テレビ東京の番組『モーニング・サテライト』にチャンネルを合わせ、視聴していると、ニューヨーク支店からの中継で「昨年10月29日にニューヨークを襲ったハリケーン・サンディから、ちょうど1年が経過しました」と報じていた。

 

ベッドのサイドテーブルから、SONY製タブレットを手に取り、海外ツイッターをチェックすると、ニューヨークのトレンドは“Miami”だった。その後、リビングに移動し、リビングのもう1台のSONY製BRAVIAの大画面で、BBCワールドニュースにチャンネルを合わせると、報じていたニュースは「ハリケーン・サンディから1年」という同じ話題だった。シンクロニシティだ。

 

その瞬間、俺の頭の中の宇宙には、鮮やかで美しいマイアミのイメージから、U2の曲『Miami』が聴こえてきたため、彼らのアルバム『POP』をBang&Olufsenのオーディオにセットした。91年の「アクトン・ベイビー」、93年の「ZOOROPA」と続いた、実験的・環境的三部作となる97年の完結編「ポップ」だ。

 

SONY製ノートパソコンのVAIOを開き、朝6時25分、ツイッター上で「Good morning, Miami! ハリケーン・サンディが昨年の10月29日、ニューヨークを襲来して以来、早1年が経過した。アルマーニ・プリヴェのショーに先週出演したスーパーモデル<ジャクリーン・ヤブロンスキー>ちゃんは今、マイアミのホテルのプールサイドか」と朝一のツイート。そして、彼女がマイアミのプールサイドで、(アルマーニ・プリヴェのショーに過去登場した)<ミルテ・マース>と一緒に、水着姿で寛いでいるツイートをRTした。

 

ここ最近のブログは、「ニューヨーク」を意識したものばかりだったが、水曜の朝から、彼女が俺を太陽の光りが燦々と照りつける「マイアミ」へと案内してくれたかのようで、青い空とプールサイドのその写真は、とても懐かしく思えたのだ。一方、東京都心のマンションの超高層階に位置する自宅リビングでは、U2のボノが歌う“Miami”が鳴り響き、俺の気持ちは朝方から、少しばかり高揚していた。朝から、シャンパンでも飲みたい気分だった。

 

 

このあたりの天気はコロコロと変わりやすい

空気を切ったり貼ったり

プリント柄のシャツに南部アクセント

葉巻に巨大な髪型

太陽も、砂もあるし

ビデオ・カメラに電池を詰めて・・・

俺は新しいスーツを二着買ったよ・・・マイアミ

君の写真を撮ったよ・・・マイアミ

俺はきみをマドンナみたいだねって言った

きみは言った・・・そうかしら・・・

わたし、あなたのベビーがほしいわ・・・ベビーが

俺らきっと、きれいなものがつくれるよ

マイアミ、マイアミ

 

 

そう、俺が気まぐれにブログを始めたのは2004年末頃まで遡るが、結婚を機にやめようと、2007年3月13日付ブログ“All the love in the world can't be gone.”が最後のはずだったが、あまりの反響に、2007年3月30日付ブログは、タイトルを“Do You Feel Loved ?(君は愛されているって感じているかい?)”に決め、当時2週間以上ぶりに更新したのだ。当時のそれは、U2のアルバム『POP』に収録された曲のタイトルだった。ブログのテーマは「音楽」だったが、当時取り上げたアルバムは、3枚組の『Defected In The House: Miami 2007』だった。

 

同年俺は、マイアミにも足を運んだが、熱狂的な女の子の読者数名から、その後も、毎日のようにメッセージが届いたため、1年が経過した翌年4月、このブログを再開するまでに至ったのだ。小説には始まりも終わりもない、このブログにも物語があるのは確かだろう。

 

狂気のアメリカ

 

水曜の夜。狂気のアメリカが生んだ20世紀の新人類であり、ニューヨーカー<ルー・リード>のノスタルジーと記憶を辿るため、ペリエ・ジュエのシャンパン片手に、

 
(俺が当時大学生だった)1992年1月号の雑誌『STUDIO VOICE』を書棚から取り出した。

 
同号の別冊付録は、「写真家の現在 写真の今をリードする個性派7人の保存版セレクテッド・インタヴュー」だった。BGMには、朝と同じU2の『POP』を選んだが、“if you wear that velvet dress”がとても心地良く聴こえてきた。

 

前回のブログ冒頭では、コリン・ウィルソンが論じた19世紀の新人類『アウトサイダー』から引用したが、偶然にも同誌には、コリン・ウィルソンのインタヴュー記事が掲載されていたのだ。シンクロニシティだ。また、同誌の79頁で紹介されていた15枚の新譜アルバムの中で、俺が当時購入したのは、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの『愛なき世界』と、リサ・スタンスフィールドの『リアル・ラヴ』の、対照的な2枚だった。

 

別冊付録の中で、特に印象に残った、1928年ニューヨーク生まれの写真家<ウィリアム・クライン>と、1936年ニューヨーク生まれの写真家<ジョエル・マイロウィッツ>のインタヴューを紹介したい。尚、彼らについては、2013年9月28日付ブログ“Too Handsome”で、国際写真フェア『TOKYO PHOTO 2013』について触れた際、少しばかり取り上げた。

 

昨夜、渋谷の雑踏をみてて、不思議な事に気付いたんだ。みんな一つに固まって、同じ体の大きさに黒い髪、服装も似てるし、みんな無表情なんだな(笑)。ところが彼らの頭の上を見るとクレイジーな建築物がボコボコ建ち並んでいるんだよね。その時、何を思い浮べたかと言うと、スタインベルグのイラスト。平然と同じ表情で歩く人々の頭から、とんでもない形をした建物が突き出てて、あたかも彼らが頭の中で考えている事を表しているかの様な構図が目の前に出現したんだ(笑)。今の東京って、そういう感じかな、と思ったよ。

―ウィリアム・クライン

 

僕は「セントルイス・アンド・ジ・アーチ」をシューベルトを聴きながら編集していったんだけれど、なんと偶然、カリフォルニアの女性から「この本を見ていると、音楽が聴こえてきます」という手紙がきたんだ。少なくとも世界でたった一人は分かってくれた人がいた。これは非常に意味のあることだったと今でも満足しているよ。瞬間に経験したものを真実の目で見て、捉えればいいんだよ。

―ジョエル・マイロウィッツ

 

サイケデリック文化

 

今年5月に亡くなった精神科医の<小田晋>(1933-2013/享年79歳)氏のコラムが、スタジオ・ヴォイスに掲載されていたことに気が付き、少しばかり驚かされた。「狂気のアメリカ特集にふさわしく、彼のコラムのタイトルは『ドラッグ 善意のつもりの社会政策が、逆に煽りたてているドラッグ・シーン』だ。それは、故ルー・リードにも繋がるテーマだろうか。一部抜粋して紹介したい。

 

激しい競争社会で、無力感に襲われ易い人々は、コカインのもたらす一時的な自我拡大感や高揚した気分に救いを求める気にもなるであろう。それにしても、大麻の喫煙がこれほど米国に根を下ろし、特にインテリ層がそれに罪悪感を感じなくなったのは、1960~70年のベトナム反戦運動の中で、

 

ヒッピー族やビート族の若者たちが、“bed in(セックスをし)、turn on(薬物でハイになり)、drop out(学校や職場を抜け出そう)”と言い、長髪と徴兵拒否と大麻とLSD25(幻覚剤)の使用をシンボルにし、“Alcohol is their drug, marijuana is ours !(酒は大人たちの薬。大麻は俺達そのもの)”と唱え、彼らに内心同調する精神科医や心理学者が「大麻は煙草や酒ほどにも有害ではない」という論文を書きまくったことにも原因はあるであろう。

 

もちろん、それはいわゆる「サイケデリック文化」を生み出すなど、それなりの意味がなかったわけではない。米国社会が煙草についてあれ程目くじら立てるようになったのはこの時の「煙草がよくて大麻がなぜ悪い」という逆ねじにその一端を発している。

―小田晋

 
ところで、1992年のスタジオ・ヴォイスのバックカヴァーは、アルマーニのフレグランス『ARMANI eau pour homme』の広告だった。

 

最後になるが、先日ツイッター上で、「ルー・リード」で検索していると、精神科医<香山リカ>氏が、ルー・リード追悼ツイートに対し、「自分の関心をアピりたいだけ」と毒づき、炎上していた(笑)。俺自身、この50歳の黒縁メガネがトレード・マーク?のオバサンの事をほとんど知らないのだが、世間一般では「先生」と呼ばれる人である一方、彼女のツイートは日本語の言葉遣い然り、主義主張然り、支離滅裂だと気付いたのだ。

 

これもシンクロニシティというのだろうか・・・偶然にも、92年の同誌に、彼女の意味不明なコラム「スピリッツなしで寂しいとき、あなたは届けに来てくれますか?」が掲載されていたのだ(笑)。当時、彼女の年齢は29歳だが、その意味不明なコラムを斜め読みした限り、彼女が漫画とゲームに依存する女性だということだけは分かった。当時、学生だった俺は何を想ったのだろうか。

 

そんな彼女のツイートに噛みついていたのが、56歳のコラムニスト<小田嶋隆>氏なのだ。ふたたびのシンクロニシティなのだが、彼も92年の同誌にコラム「私は、漬物に依存する」が掲載されていたのだ(笑)。同誌の特集は、「狂気のアメリカ」で興味深かった一方、世界が動き、我々の目が回り、あれから21年もの時が滑っていったが、「ルー・リード」繋がりで、程度が低すぎる二人の「狂気の日本人」を今回、ツイッター上で、10月が終わろうとしているの夜長に、目にしたのは俺だけではないはずだ(笑)。ツイッターは瞬間に、どんなメディアよりもいち早く、世界の今を捉える点において、優れたツールだ。

 

 

君はそこまで品位を落とさなければ

愛というものが分からなかったのか

他人に頬を叩かれなければ

求められている感じがなかったのか

たった今まで、生きてる実感がなかったのか

―U2“Please”より

 

Where do we go?