母は乳児2人を置き去りにした 毛布にくるみ同じ医院の前へ 今年・・・そして5年前 法廷で流した涙の遍歴

 

この記事にある事件について、乳児の置き去りや死体遺棄事件の根深さを改めて痛感しました。

誰かひとりを責めれば件数が減る問題ではありません。

 

「遺棄をした母親」を責めればいいですか?

 

「子どもを認知せずにいなくなった父親」を責めればいいですか?

 

「母親からの相談をただテンプレ通りに事務的にこなした役所の職員」を責めればいいですか?

 

彼らの背景にはどんな問題がありますか?

日本の性教育は十分でしょうか。避妊について間違った知識を持っている人もいまだにたくさんいますよね。

性教育の中に、パートナーを大事にする、パートナーとの将来設計をするといった内容はいらないんでしょうか。

モラハラを受けている方々のための支援や法改正は必要ないでしょうか。

母親はどのような家庭で育ち、父親はどのような家庭で育ったんでしょうか。(詮索したりするのはよくないが)

母親も、父親もそれぞれつらい立場だった可能性はないでしょうか。

彼らが支援の網から零れ落ちてしまったのはなぜなんでしょうか。

職員さんが一人親切で気配りができて優しい方だったらいいんでしょうか。

役所の職員さんの個人のやり方ではなく、そもそも支援の内容、行政の受け入れの体制が問題があるのではないでしょうか。

 

この事件が発生するまでの因果関係は先に挙げた三人だけではなくもっともっと根深く多岐にわたります。

ネットニュースのコメントを見ると、あまりにも短絡的で問題の表面しか見えていないような、他人事と感じているようなコメントが目につきます。

自分や自分の息子や娘がこの状況に置かれていたら、みなさんだったらどうしたでしょうか。

どんな支援が欲しかったでしょうか。

他人事じゃないんです。

皆さんが知らないところで、関係ないと思っているけれど身近な場所で、たくさんの人の目や今ある社会の支援から零れ落ちて、失われてしまうかもしれなかった命があったんです。

 

・子どもたちの教育

・家庭内での子育てやお子さんとのコミュニケーション

・親子の信頼関係構築

・行政の支援のありかた

・民間の支援のありかた

・法制度

・関係者の教育

 

挙げればきりがないほど、皆さんの足元にも根が広がっています。

他人事と思わないで、誰を責めればいいのかではなく、真剣に自分事として考えて自分にできることはないかを考えてください。

 

これが、実際に遺棄された一人の子どもである私からの願いです。

母は乳児2人を置き去りにした 毛布にくるみ同じ医院の前へ 今年・・・そして5年前 法廷で流した涙の遍歴

 

こんなネット記事を見つけました。

「乳児置き去り」その単語に私はとても敏感です。

私自身、25年ほど前に置き去りにされた乳児だったからです。

 

この記事がどこまでの真実を書いているのか、このお母さんがどれだけの真実を話しているのか私にはわかりません。

ただ、いえるのは誰か1人を責めて減るほど、乳児遺棄事件の根は浅くはないということです。

 

問題点については次のブログで記載しようと思います。

今回のブログでは、伝わることはないのでしょうが、このお母さんに伝えたいことを書こうかと思います。

※賛否両論あるでしょうが、あくまでも私個人の想いです。

 

(以下、このお母さんへのメッセージ)

 

確かに託し方が最善ではなかったかもしれないけれど、殺さずに託してくれたことにまずは「ありがとうございました」と伝えたいです。

 母親は自宅アパートの部屋で、1人きりで出産しました。赤ちゃんの体をきれいにふき、服を何重にも着せました。

 「十分なケアはできないけれど、体を冷やさないように暖かくしてあげたいと思いました」(母親)。  

生まれてきた小さな赤ちゃんを目にして、「元気に生まれてきてくれてありがとう、と思いました」。法廷に立ち、涙声で語りました。

記事から引用した内容です

私も遺棄されていた時、へその緒も付いたままでしたが、タオルでくるまれて遺棄されていました。

自分の母親が、このお母さんのように思っていてくれたのであれば少し気持ちが救われた気がします。

 

私は、自分が生まれてきたことは自分の罪だと思っていた時期がありました。

生みの親の迷惑だったのだろう、傷つけたのだろう、たくさん考えて自分を責めました。

しかし、本当に今の自分が幸せだと思えるようになった時、初めて、生まれてきてよかったと思えるようになりました。

確かに、そこに至るまでお子さんは苦労するし傷つきはすると思います。

 

そんなお子さんが成長する過程を見守り、支えてくれる乳児院の職員さん、養親さん、里親さんがいます。

そして、その養育の過程を見守り支えられるように、支援団体があり、社会を変えようと動いている当事者たちがいます。

私がいつか、偶然あなたが遺棄したお子さんに特別養子縁組の当事者としてお会いすることがあるかもしれません。

あなたが孤独な中、命を懸けて生んで託してくれた命が、いつか生まれてきてよかったと思えるように、頑張ってくれている方たちをたくさん知っています。

もちろんお子さんが心の底から幸せだと思えるのは簡単なことではないかもしれませんが、きっと大丈夫。

ご自身もさぞ傷ついておられるでしょう。ご自愛ください。

 

私を生んだ母には伝えようがないので、あなたにとって救いになるのか、呪いになるのかわからない私の想いを伝えます。

お子さんのためでもあったかもしれませんが、ご自身のためにも手放すという選択をされたのだと思います。

その選択をしたからには、立ち直るのに時間はかかるかもしれませんが、健康に、少しでも幸せになってほしいと思います。

その「義務」があると思っています。

そうでないと、お子さんは、自分が生まれたせいで産みの母親を不幸にしたのかという思いから解放されることができません。

お子さんが手放された甲斐がなかったことになってしまいます。

せめて、これからの人生を大事に、ご自身を大事にして生きていってください。

私はいろいろなところで講演会をしてきましたが、その中で結構多くの方から

「何して遊んでいるんですか?まだ若いのに…」

だとか結構プライベートの生活を心配されるような機会が多かったので、私事ではありますが、一つご報告を。

 

確かに、仕事(特別養子縁組や児童福祉とは全く関係のない会社員)+当事者としての活動で忙しいため、自分の生活がおろそかになる期間があったりはします。

しかし、私にはそんな中その活動に理解を示してくれるパートナー(彼女)がいます。

2人とも25歳ということもあり、結婚前提のお付き合いをさせていただいています。

その方は、私が特別養子縁組であることを聞いても何の偏見もなく接してくれましたし、私の活動のことを理解してくれ応援してくれています。

私がお世話になった乳児院の職員さんも、私がいろいろな負担や苦労をしているのを知ってくれているので、

「はやくパートナーができるといいねぇ」と言ってくれていましたが、よい報告ができそうです。

 

私にとって、その方は結構長い付き合いになります。

もう、知り合ってから5年が経ちそうです。

価値観や、考え方が結構似通っているところが多く互いに求めあうものも似ています。

お互いがお互いに求めるものが似ていたところが、彼女と生きていきたいと思った一番の理由になったと思います。

特別養子縁組の当事者としての活動をしてくる中で、家庭を築くのに重要なのは、夫婦の仲の良さだと感じています。

お互いに、お互いを尊重しあい、「何かをしてあげる同士」ではなく「相手のために何ができるか」同士であること。

何をするかよりも時間や感情を共有できることに幸せを感じられること。

 

そういった一つ一つの価値観がしっくりと来たので、一緒にいると何より安心できるし、今まで以上にいろいろなことを精力的に頑張れる気がします。

また、相手が自分を大事にしてくれるから次こそ、大事にしてもらっている自分をおろそかにはできないなと感じて、食生活や生活リズムもがらりと変わり、今ではすっかり健康生活です。

 

今まで自分の家族を切望してきた私は、それと同時に家族を作るのに恐怖を感じてもいました。

私の良いところ以上に、私の弱いところを知ってくれているので、一緒にいて本当に安心できます。

今後、この女性と一緒にずっと生きていけるように、私も相手の支えになるとともに、相手を大事にしていければと思います。