皆さん、いかがお過ごしですか?
年末、今年最後の日、今年あったことをちょっと振り返っています。
滅多に振り返ることはしないのですが、やっぱりあんなに大変なことがあった今年、
いろいろと考えさせられます。
先月の13、14日、被災地を訪れました。
僕が普段からお世話になってる方が現地のボランティア団体の長とつながりがあり、訪れることに
したのです。
そして不謹慎な言い方かもしれませんが、自分の目に被災地の様子を焼き付けておきたかったという
思いもありました。
その時感じたことも含めて書きたいと思います。
あの宮城県沖の地震の日から、シンディ・ローパーとのツアーを終え、
今までしばらく経っていますが、なかなかここに書く気持ちになれなかったのです。
「ツイッターでは毎日何か書いてるじゃないか」という声が聞こえてきそうですが、
ツイッターはどちらかというと情報を収集したり、拡散したほうがいいと判断した時には
それを拡散したりと、書くというよりはそういう方に使っています。
あとはライヴの告知かな。
とにかく、自分の気持ちをしっかりと書くというとやっぱりここなんですが、
ずっと気持ちがスカっとしない日々が続いていました。
今ではだいぶすっきりしてきたので、そろそろ書こうと思った次第です。
この間にもたくさんライヴはあったので、それについても書けてなくてごめんなさい。
でも少しずつ書いていこうと思います。
シンディとの日本ツアーのことは、4月の27日に発売された僕の新しいアルバムの
プロモーションの取材でもいろいろと質問される機会が多かったです。
というか、ほとんど毎回かな。。新聞、ラジオ、雑誌、、その度に僕もあの時のことを
思い出したり考えたりします。
シンディは本当に美しい人。
地震の当日に日本に到着して、たくさんの海外アーティストが日本を離れる中、
今、自分を迎えてくれている日本に背を向けて帰ることなんてできないと言っていました。
これはアーティストの意向だけでなく、そのアーティストのマネージメントの意向も関わるので一概には言えませんが、演奏で海外から日本に来るケースが減っています。
一般的にもそうですけどね。
今はもう普通に来るようになりましたが、しばらくは様々な公演のキャンセルが相次ぎました。
そんな中、日本に滞在することを決め、スケジュールをすべてこなし、ありったけのパワーを
置いていってくれたシンディ。
心のどこかで怖れもあったでしょう。バンドのメンバーの家族がかなり心配しているということも
僕に話してくれました。海の向こうにいたらとくに心配でしょうね。スタッフ達だってそう。
それでも、シンディは前を向いていました。自分が歌うことで、先々の復興のパワーの源になると
思ってくれていました。そして、それは見事に足を運んでくれた人々に伝わりました。
正直、地震の日から5日後の東京公演、果たしてお客さんはいるのだろうかと思っていました。
会場入りしてシンディに会い、曲の打ち合わせをしてから軽くリハーサル、そして開場の時間がやってきました。僕は楽屋のモニターで会場の様子を伺っていました。
開場してからしばらくはパラパラと人が入ってくる様子。。「あー、やっぱり少ないかなあ。。
でも少しでも来てくれて嬉しいなあ。よかった。」と思いながら着替えなどをすませてふとまたモニターを見上げると、たくさんの人で埋まった会場の様子が!
そして開演時間、ステージに向かうシンディと「後でね」とちょっと会話を交わし、またモニターを見る僕。どんなふうにシンディは迎えられるんだろうとちょっと心配でしたが、ステージに表れたシンディを盛大な拍手で迎える観客!! 正直、感動とともに安心しました。
「ああ、音楽を聞く気持ちに少しでもなれたんだなあ」と安堵の気持ち。
そして、1曲め、シンディの威勢のいいカウントでドーンと音が出ると会場は総立ち!!
これには興奮しました。
僕は3曲めからの登場でしたが、その時が早く来てほしいという気持ちでいっぱいでした。
でも、やっぱり複雑ではありましたがプレイしてる時は不思議なくらいに没頭できていました。
僕もシンディに勇気をもらいながらプレイしていたんだなあ。。
嬉しいやら、ちょっと情けないやら。。
とにかく、精一杯歌うシンディ、プレイするバンドのメンバーに精一杯答える観客!
理想的なライヴの状況、これがこのタイミングで実現するとはなんとも嬉しい気持ちでした。
本当は、3日間の東京公演のうちどこか1日遊びに来て飛び入りする、という話が3日間になり、1、2曲の予定が初日の打ち合わせで6曲になり、次の日からは7曲になり、そういう意味でも刺激が多かった(笑)。
2日めのリハーサルの時に、シンディやバンドのメンバー達からとても重要なことを学びました。
とても音楽的なこと、僕にとってはすごく考えさせられることだった。
これはとても大きかったなあ。。ありがとう。
東京公演の最終日、シンディから「ねえTOKU、大阪にも来てくれない?」といわれ、すぐにスケジュールを調整してもらって大阪の2日目に参加できそうだという旨を伝えました。
同時に、僕が今回シンディにお願いしたかったことを伝えました。それは、コンサートのリアルタイムでの動画配信です。シンディはその話を聞くや「被災地の人も観れるの!?」と目を輝かせました。そして僕は「もちろん!パソコンがなくても携帯でだって観れるんだよ!」と答えると、シンディはすぐにツアーマネージャーにその旨を伝えてくれました。
いろいろと問題もあったと思いますが、そのへんをすぐにクリアにして、プロモーターのキョード東京さんも協力してくれて、なんとか大阪公演の2日目に間に合ったのです!
これには感動したなあ。
そして、最終的には13万人の人がコンサートの様子を各地で観るという結果になったのです。
そこに参加できたのは本当に嬉しかった!
そういえば、この東京公演と大阪公演の間に大変なことがありました。。
僕にとっては初めての経験! なんと、口唇ヘルペスに。。上唇の真ん中、つまり楽器を当てるところが痛くて吹けないほど腫れ上がってしまったのです。これにはびっくりしました。
東京公演の最終日を終えてシンディとメンバー何人かと軽く打ち上がり、それから仲間がやっていた
チャリティーのセッションに参加するべくそのお店に向かっていたのですが、どうも痛いなあと思っていて、着いて楽器を出して吹こうとしたらもうダメ! あんなに腫れてるとは。。
しかも次の日はアルフィーで自分のライヴだったのでヒドくならないように楽器はおあずけ、次の日の昼間ライヴ前に皮膚科に行って診てもらいました。自分では気付いてなかったのですが、震災のストレスはヘルペス発病のきっかけになるくらい、実は重かったんです。。
お医者さんにもらった薬を飲んでもやっぱり次の日には治らず、、結局アルフィーのライヴでは楽器は吹けませんでした。足を運んでくれた方、ごめんなさい!
次の日から少しずつ効果は見えてきましたが、シンディの大阪公演を控えていた僕は日々ヒヤヒヤする思い。。というのも、シンディのツアーでは僕は歌ではなく楽器での参加でしたから、音が出なかったらいる意味がなくなるのです!
なので、とにかく楽器は吹かずにできるだけ休み、腫れもひいて気持ちも少し落ち着いたところで大阪に向かいました。それでも、会場に着いて楽屋に入り、楽器を取り出して3日ぶりに吹いて音が出るまでは本当に怖かった。まず、音が出て少し安心、でも問題は本番です。果たして、唇がもつかどうか。。シンディにわけを話してリハーサルではできるだけ吹かずに、本番に集中することに。
そして本番、ドキドキでしたが、始まってしまったらもうある程度忘れてました(笑)。
アンコールも終わり、気付くとコンサートは無事に終了、あの時は本当にホっとした。。
「よかった、、なんとか最後までもった。。」と心の中で呟いていたのです。
こうして、シンディとの濃い~日々は大阪で最後となりました。
前のブログでも紹介したNHKの「SONGS」という番組の収録の話もそうだし、東京公演の2日目と3日目、そして大阪公演終了後、シンディとバンドのメンバー何人かと一緒に過ごす時間がわずかだけどあり、いかにシンディがピュアな人かが今回よくわかりました。
常に前を向いて、瞬間瞬間を精一杯生きてる、こよなく人を愛し音楽を愛する、そしてたくさんの人に愛されている。。
僕ももっと精一杯生きないと!
そんなわけで、シンディにはたくさんもらってしまったのでした。
それからも、今までいろいろとライヴはありましたが、ずっとスッキリしない気持ちでした。
でも、演奏を始めると集中することは出来たので、複雑な気持ちのままでステージに立ったことはありません。そんな時も、ライヴに足を運んでくれる皆さん、そして音楽の力に助けられているんだなと思います。
さて、被災地を訪問した話ですが、宮城県の石巻市と女川町を訪れました。
恐ろしい津波の様子、震災が残した爪痕をテレビでは観たものの、実際にこの目に焼き付けて
おきたいという思いはずっとありました。
今回、普段お世話になっている澤田拳也さんという俳優さんが石巻につながりを持っていて、
澤田自身も8月に訪れて以来、再度の訪問をずっと望んでおられたので、一緒に行こうと常々話して
いてようやく実現したという次第です。
13日の早朝に車で東京を出発、お昼過ぎに石巻に入りました。
日曜日の午後ということもあって、地元の人と待ち合わせたデパートには人がたくさんいて、被災地というイメージからは程遠いくらいでした。昼食をとり、市内を案内していただきました。
ここで待ち合わせた地元の人というのが、「石巻災害復興支援協議会」の会長を務める伊藤秀樹さんの息子さんで、秀太くん。仙台の大学に通う、とてもしっかりした青年です。
まず海沿いの道を走りました。打ち寄せる波、反対側は瓦礫となった車の山、初めて目の当たりにする震災の爪痕。。。
道路から波が見えるのは、地震で地盤が2メートルも沈下したから。。
車の部品を狙ってやって来る中国人の侵入を防ぐためにそこにいる警備員と少し会話をしました。
なかなか報道されない事実。
少し走るとまた瓦礫の山、山、山。。
次に、とっても強烈な印象だった、岸から2、300メートルの小学校跡地。
波が3階の校舎を呑み込んだのがよくわかる、変わり果てた姿。。
回りにはほとんど建物は残っていない状況。。壮絶です。。
状況を理解するのに時間がかかる。。
その後、女川町に向かうために少し市内を走ったのですが、あちこちに船が。。
波にのまれたまま流れてきた船がそのまま町の中に残っています。
とても異様で、でもそれがもう普通になりつつあるかのような光景。

1時間ほどで女川町に着き、ちょっとした高台に車を止め、町を少し見下ろすと。。
すぐそこにある船着き場は地盤の沈下でほとんど海の中。でも船は停泊してました。
その手前に、横倒しになったビルが。。回りにはもぎ取られた後に残った建物の基盤がいくつも。
とても生々しい光景です。
想像を絶する光景をたくさん目にして、なんとも言えぬ気持ちで石巻に戻ると、
橋の袂で路上ライヴの用意をしてる人に遭遇しました。
思わず車を止めてもらって、踊る気持ちを胸に様子を見に行くと、すぐ隣のビルの中のライヴハウス
でのライヴ前に宣伝を兼ねて数曲演奏するとのこと!
実はこの日、ギタリストの吉田智くんも一緒に行っていたのですが、なんと彼の知り合いのシンガーが大阪から来ていたのです!というわけで、僕らも後で乱入させてもらうことに。
いろんなことを見て、いろいろ考えさせられ、思い、音を出したい気持ちになっていたので、
とても嬉しい展開となりました。
その前に、会いに行きたい人がいたのです。さっきも書きましたが、ずっと案内してくれていた秀太くんのお父さん、秀樹さんです。この方は、石巻にやって来るボランティア希望の人を一手に引き受ける人。でも、それがこの人の本業ではありません。
本業の建設会社の敷地内に着くと、ボランティアの皆さんに外で焼き肉を振る舞っているところでした。紹介を受け、僕がどんな目的で来たのかを伝えると、最近の状況を話してくれました。
石巻のこと、政府のこと、ボランティアに来る人もいろいろだということ。。
普段の報道では知れないことばかりです。
伊藤さんは、機能麻痺していた自治体がボランティアの受け入れに消極的だった当時、ボランティアの必要性を訴え、その派遣と受け入れのための独自の準備をし、「石巻モデル」という今後の災害ボランティアの雛形になるべきシステムを作ったひとりです。
こういう人がいるからこそ復興できるんだと強く思いました。
僕たちも一緒にお肉をいただき、それからさっきのライヴハウスに向かいました。
名前は「Soul to Soul」。入り口へ向かう途中の階段の壁に貼ってあったフライヤーを見て、僕の友人も何人か来たことがあることがわかり親近感がわいてきました。
中に入るとライヴ中、たくさんの地元の人がしんみりとした歌に耳を傾けていました。
程なくして僕と智くんがステージに呼び込まれ、2曲ほど演奏しました。
その後はみんなで演奏、お客さん達もとても音楽を楽しんでいたのが嬉しかった。
普通の状態ではない、初めて来た石巻で、不思議な、ちょっと複雑な気持ちでしたが、
石巻の人達はとても熱く、こっちが逆に元気をもらうくらいでした。
生きてることに感謝し、亡くなってしまった人のためにも精一杯生きようとしているような気がしました。復興に向けるパワーはとても強いんです。
ここで一冊の本を紹介します。
「奇跡の災害ボランティア『石巻モデル』」中原一歩 著 (朝日新聞出版)
上述の伊藤秀樹さんの活動、当初の様子が書かれています。ぜひ読んでみてください。

石巻に向かう途中に、連れて行ってくれた澤田さんの知人に会うために福島県の桑折町というところに立ち寄りました。山のほうの地域、福島第一原発の回りに住めない人達が避難してくるところでもあります。
ところが最近、高い濃度の放射量が確認されたのですが、一般には公表されないままだそうです。
避難してくる人もいるところなのに、町を離れる家族もいるそうです。しかも、避難してきた人からよく思われなかったり。。その方のおうちの玄関先で咲いている花、その花が咲くのはもう今年3回めということ、今まで有り得なかったことです。明らかに放射能の影響だということ。。そんな話をしているすぐそばで小さい子供が遊んでいる。もうめちゃくちゃです。
するべきことをしない政府、責任を取らない東電、最悪です。
今回は本当に、そのへんの政府の情けなさが露呈されるかたちとなりました。
とにかく政府には失望させられた人も多いと思います。
でも悲しいかな、そんなところで生きて行かなかればならない。
とはいっても、前向きな人だって中にはいるはず。
そういう人達が活躍できるようになることを祈るばかりだし、僕らも真剣に選んでいかなければ
ならない。
政治の世代交代はどんどんされるべきだし、そうしないと世の中変わっていかないでしょう。
被災地には、まだまだ音楽を聞く余裕のない方もいらっしゃると思います。それを考えると本当に心が痛みますが、僕が出来ることはやっぱり音を出していくこと。
これからも、演奏を通じて癒しになりたい。そして、いずれたくさんの音楽が被災地を癒すことになればと、願ってやみません。
復興はまだまだこれからです。
精神的な復興も。。
もうすぐ年を越すという実感がなぜか今年は薄いんです。
時が経つのはあっという間だったけど、そのわりには物事が進んでいない気がしてならない。。
2012年は、どうか、いろんなことがスムーズに行く年になってほしいと願ってやみません。
利権のために理不尽なことが起こらないよう、もっとシンプルに考えて、良心的に、常識的に、そうすれば向かう方向を間違えることはないと思うし、それを信じたい。
「石巻災害復興支援協議会」の伊藤さん曰く、
「なぜやってるかってよく聞かれるんだけど、生きてるからやってるんだ」
ズシっときました。。
皆さんも、できることからやっていきましょう。
ネガティブなことには惑わされずに!
何かできることが、少しでも必ずあるはずです。
そして、それは必ずいろんな形で助けになるはずです。
僕もがんばります。

今年とても嬉しかったこと。それは、僕の生まれ育った場所でコンサートができたこと。地元の新潟、市内や湯沢のスキー場など、新潟県内には年に一度は訪れて来たので、冷めたように感じるかもしれませんが、いずれそんな時が来るのかなって思っていましたが、いざ来てみるとやっぱり嬉しいものです。前日には地元の中学生とクリニックをしたり、中学校時代の同級生が来てくれたり、吹奏楽部の顧問の先生が来てくれたり!びっくりしたし、嬉しかった。また、小さいころに来たことのある場所が会場だったのも新鮮でした。実現につなげてくれた皆さんに本当に感謝します。写真は、その育った町に一緒に行ったメンバーと、デビュー直後ライヴをやらせて頂いたことがある「Sato's Bar」で。左から柴田敏孝(p)、吉田智(g)、平陸(ds)、楠井五月(b)。大変な事が起きた今年、そんな状況の中でもミュージシャンをやっていられることに
感謝します。
皆さん、ありがとう!
Have a great year !
Have a great life !
Love & Peace.
TOKU