森の町内会 ☆ 建設業許可証
森を蘇らせるには、「間伐」が
しかし、間伐に掛かるコストの問題や安価で手に入る外材に押され
そして、そのために、適切な間伐を行えない状態に陥っています。
そこで、環境NPOの「オフィス町内会」が、新しい社会貢献として打ち
これは、“ 継続的なものとして、企業に使ってもらえるものは何か? ”
を研究した結果、
「紙」 にたどり着いたそうで、間伐材配合の再生紙を、企業に共同購入
とても、立派なことだと思います。
しかし、“ そっちに行ってしまいましたか・・・ ”
が、私の本音です。
だって、私は「建具やさん」なんですもの(建具製作マニュアル 参照)
前にも書きましたが、「けんぐや」とは読まないでね・・・汗(^^; ....。
「たてぐや」さんです。(笑)(^_^)。
木製品を創っています。
だから、だから・・お願い。
間伐材利用は、「建築」に帰ってきて。
が、本音ですね。(笑)(^_^)。
「木の家」は、良いですよ。(^_=)
他の工法が、どうこう言うつもりはないですから、そこのところは、
昔は、“ 家を造るときは、裏山の木を切って、乾燥させてから使え ”
と言ったんですよね。
だって、同じ風土、気候を一緒に生きているのですから、一番親しい
我々、木工業界の「PR不足」「努力不足」も否めませんね。
これは重大反省点ですね。・・・汗(^^;2 ....。
だから、というわけではありませんが、
以前、
心理ゲーム(ウサギの心ジー?) ☆ 建設業許可証
の時に書いた
「建設業許可証」取得しました。
&できました。(^_-)vブイブイッ
いろいろと必要書類等、多くて、
四苦八苦しましたが、先達の方々
のご協力アドバイスもいただいて、
どうにかこうにか取ることが出来
ました。
あまり馴染みがなく、ぴんと来ないとは思いますが、「建設業許可証」を取得して得られるメリットは、以下のようなものになります。
●お客さま・取引先・金融機関に対して、会社の信用力が高まります。
この許可証は、知事または建設大臣が許可したという証ですので、消費者の方へ「安心、信用」を示す方法となり得ます。
●金融機関等の融資条件となっているところがあるので、取得していれば有利です。
●官公庁の入札に参加できます。
●許可を受けているところには、500万円以上の工事であっても気軽に元請業者は発注できます。逆に言えば、許可がなければ下請業者は、
受注できません。
最近では、建設業許可を取得していない下請業者を敬遠、または、許可を取っていることが要件になっているところが多くなってきています。
こういったところでしょうか。
なんか、私的な文章になってしまいましたね。
すみません。m(__)m
最後に
『 みんなで、木の家を 造りましょう 』
今回は、これで勘弁してください。(笑)(^_^)。
ではまた。(^_=)
やってもうた 年賀状 ☆ お釈迦になる
今年は、はやばやと、年賀状の裏面印刷360枚を終え(年賀状 カレンダーの作り方 参照)
喪中等の確認の上、宛名印刷始まりました。(明日には投函できそうです。)
会社用とプライベート用がありまして・・
プライベートの方が終わり、次は会社用始まるか・・・というときに気づき
そうです。会社用裏面に
プライベート用宛名
印刷していました。・・・汗(^^; ....。
久々に、“ だいちょんぼ ”です。
もともと40枚くらい足りなかったようで、郵便局に行って、その分追加
お年玉抽選日(1/15←私の誕生日です。昔は、成人の日といえば、
確か、書き損じは、5円払って、切手かハガキに替えてもらえるんでしたよね?
当たりがあるかもしれないから、抽選日以降に交換してもらいましょう。(笑)(^_^)。
以前書いた、「郵便貯金話 」とは、少し話が違いますが、この制度は残って欲しいですね、こういう時の私のために(笑)(^_^)。
郵政民営化は、どうこう言いませんので。
風邪が治りきってないからかな・・・・と自分で言い訳をしつつ、只今刷り直しています。
みんなの冷ややかな視線が嬉しいです。
毎年、レイアウトから印刷まで、私だけにさせておきながら・・・
しかし、お金と時間もったいないですものね。
よく注意せねば(反省)
もう少しで、お釈迦になるところでした。
あれ、『 お釈迦になる 』
使い方は知っていますが、どういう意味でしょう?
最近では、あまり使われなくなりましたね。
では、調べましょ。(^_=)
意味は、「出来損ないの品。不良品。または、
語源は、結構面白いもの発見しました。
●「阿弥陀像」を鋳るはずが、誤って「釈迦像」を鋳てしまったことから、「お釈迦になる」という語が生まれ、鋳物・製鉄工場などで使われ始めた
●「お釈迦」という言葉が、死を暗示させる事から失敗作をそのように呼ぶようになった。
●鋳物というのは、火の加減が、とても難しく、少し間違えるとすぐに失敗してしまうのだそうです。そして失敗した職人さんがひと言。
「しが強かった」と。
???「し」???
江戸っ子ですよね。
「ひ」が言えないわけですよ。
本当は、「火が強かった」と言いたかったわけです。
この「しがつよかった」が、「しがつようか」→「四月八日」になり、
四月八日は、お釈迦様の誕生日ということから、「お釈迦になる」
最後が一番面白いですかね。(笑)(^_^)。
皆さんはどう思われますか(^^)
「お釈迦になる」 テーマ提供 有限会社SのチーフTちゃん
しかし、失敗しても 「ブログのテーマに」と考えてしまう
今日この頃の自分が悲しいです・・・汗(^^;3 ....。
ではまた。(^_=)
☆ レターオープナー レタペット ☆ キーボードを買ったはいいものの・・・
「レターカッターあれこれ 」のときに
こっちを買えば良かったかな。
千円くらい高いですけど・・・汗(^^;2 ....。
でも、やはり便利です。
書類の開封が多いときなどは、逆に嬉しくなっちゃいます。(笑)(^_^)。
貴重な時間の有効活用ですね。(^_=)
そして、お次はこちら。
先日購入したキーボード、届きました。
上から、ゲッター1 ゲッター2 ゲッター3ですね。
(つまらないですね、自分で書きながらも・・・汗(^^;3 ....。)
どうでしょう?
木目調に黒のキーボード。
けっこう良い感じ。(^_=)。
しかし、賢明な皆様ならもうお気づきですよね。
この机の写真を見られて・・・・
うだうだ書くのはやめましょう。
そう、『 マウスが動く場所のないことに・・・巨汗(^^; ....。 』
少し幅広いです、キーボード。
でも、これを逆に、机の上を整理する好機と、とらえましょう。
お正月も近いですからね。
♪も~う、いくつ寝ると~~♪
あ、あそこで、鬼も笑ってる(^^)
ではまた。
「猿と竜のばかし合い」前編 独眼竜 伊達政宗 6 ☆ おめおめと・・・
「父の背中 母の背中
」の続きです。
「サル」と言われた男。
そして「はげネズミ」とも。
百姓の小せがれ、「日吉丸」として生まれ、「木下藤吉郎」、
「羽柴筑前守(ちくぜんのかみ)秀吉」、「関白太政大臣」
そして、「太閤」まで登りつめた英雄。
「豊臣秀吉」が、そこにいました。
場所は、石垣山本陣、
「太閤秀吉」は、黙したまま、ギッと「政宗」を見据えています。
小田原参陣に遅参した「政宗」の命運は・・・・
「政宗」が参陣に遅れた理由、これは、私が思うには、3つあったのではないかと考えます。
序盤、中盤、終盤に分けますが、
(序盤)
初めのうちは、「政宗」は、「秀吉」を侮っていたのではないか?
ということです。
まさか、「政宗」のことですから、情報収集に、抜かりはなかったでしょうが、かたや「下賤の成り上がり者」(あまり言葉がよくありませんね、ごめんなさいm(__)m)、そして「伊達家」は、「奥州探題」の家柄。
“ おめおめと、簡単に頭を下げて行かれるか・・・ ”
てなとこです。
また、「北条家」とも親交はありますから、「豊臣」と「北条」を天秤にかけていたようにも、私には思えます。
そして、相模の獅子「北条」が、わずか3ヶ月で、「秀吉」に降伏してしまうとは思えなかったのではないでしょうか?
だとすれば、これは「政宗」の大きな読み違いと言わざるをえないかもしれません。
のちに、「関ヶ原の合戦」の時も “ たった1日で終わるとは・・・ ”という
読み違いをしていますが、この時は、大多数の大名が読み違いました。
というよりも、“ 読めた人は皆無だった ”と言った方が良いのかもしれません。(笑)(^_^)。
(中盤)
これは不可抗力ですよね。前回のテーマである、
母による毒殺未遂事件。
これにより、大幅に出立が遅れてしまいます。
自分の手で、弟「小次郎」を殺してしまうわけですが、
“ 父に続いて、弟も失う ”悲しい事件でした。
(終盤)
袂を分かった、というよりは、分かつざるをえなかった
「北条領」の突破の困難さ。
そりゃそうですよね。小田原に着いたら敵になってしまうものを、
そうおめおめと通してくれるわけがありません。
あれ、ちょっと寄り道(^^)
「おめおめと」
よく使うけど、使い方あってるかな・・・?
「怯む(ひるむ)」「臆する」などを意味する動詞「怖む(おむ)」の連用形「おめ」を重ねた語で、恥ずべきことと知りながら、そのままでいるさま。
また、恥とも思わないで平気でいるさま。
なるほど。
「よくまー、“ おめおめ ”と帰ってきたもんだ。」
みたいな感じで使いますものね。
ということは今回も使い方違ったかな・・・汗(^^; ....。
本題に戻しておいて、
「北条軍も、そう“ やすやすと ”通してくれるわけがありませんよね。」
に直しておきましょう。(笑)(^_^)。
これにより、越後から信濃を経て参陣するという、大幅な迂回路をとることとなり、またまたタイムロスにつながってしまいました。
しかし、まだ「伊達家」は、幸せな方でした。
結果を急いでしまうようになりますが、この「伊達家の遅延」により、
“ 様子を見ていた ”はたまた、“ 動けなかった ”豪族で、のちに取り
つぶし、領地没収になった家が、多々あったのですから。
彼らにとっては、迷惑千万この上ない話ですよね。
そして・・・・・・・
ようやく参陣した「政宗」。
しかし、「秀吉」は、会おうとはしません。
しばらく、謁見は許されず、箱根の底倉というところに押し込まれてしまいます。
でも、これは、秀吉特有のパフォーマンスで、この時点で「伊達家」を
取りつぶす、または、「政宗の首をはねる」という考えはなかったのでは
ないかと、私は考えます。
秀吉には、メリットが少なすぎる気がします。
ならば、ここで恩を売っておいて、配下にしておいた方が得策と考えたのではないでしょうか?
もし、「政宗」を討てば、伊達勢が決起する恐れがあり、また「奥州」は、荒れ始めます。
そうなってくると、いまは恭順の意を示している「家康」や「島津」の動きも変わってくるやもしれません。
まもなく天下統一が出来るであろう彼にとって、それを遅らせることによる、“ 兵の疲労 ” 及び “ 余計な財の消費 ”は、望むところではなかったのではないかと思います。
それよりは、難しい「奥州統括」を「政宗」に任せておいた方が・・・・
こんな感じでしょうか?
個人的な意見が多々含まれてはおりますが・・・汗(^^;2 ....。
この時、「政宗 24才」「秀吉 55才」
「蛇に睨まれたカエル」状態。
「猿と竜」に置き換えるなら、さしずめ
「キングコング」に睨まれた「カナヘビ」くらいでしょうか
(カナヘビは蛇ではありませんが・・・(笑)(^_^)。 )
参陣後4日目、やっと謁見が叶います。
私の大好きな「政宗」さん、この時やってくださいます。
そう、かの有名な『 死装束 』で登場。
政宗は、この「死装束パフォーマンス」2回やっていますから、
その第1回目ですね。(笑)(^_^)。
こういうパフォーマンス、「秀吉」が、大好きなんですよね。
ちゃんと考えてますよね。情報収集能力高いです。(^_=)
しかし、いざというときには、刺し違える覚悟で、懐には短刀を
忍ばせていました。
見据える「秀吉」と、緊張の面持ちの「政宗」
固唾を呑み、居並ぶ諸大名。その中には、「徳川家康」や「前田利家」も
います。
「秀吉」が、「政宗」を呼び寄せます。
つーーっと、引きつけられるかのように進み出る「政宗」
「秀吉」は、持っていた杖で、「政宗」の首を軽く叩きながら、
「その方は、愛い(うい)奴じゃ。いま少し遅ければ、ここが危なかった。」
と言い放ちます。
(この頃の「秀吉」も大好きです。かっこよすぎます(^^)(^_=))
そして、どうせ来たのだから「陣立て」を見て行けと、政宗を案内します。
「奥州での小さな戦は知っていても、大きな合戦の陣立ては見たことが
あるまい。見て、手本といたせ。」
と話しながら、「秀吉」は、自分の刀を「政宗」に預けて背を向けるのです。
そばにいるのは、小姓ただ一人。
どうでしょう、無謀とも言えるこの余裕。
「王者の風格」ともいうのでしょうか。
「政宗」は、声も出せず、何も出来ませんでした。
しかし、この経験が、「政宗」を著しく成長させ、本来の意味の、
この時代の若き英雄(ヒーロー)、戦国武将「独眼竜 政宗」の誕生の
きっかけを創りだした瞬間であったろうと、私は思います。
今回は、秀吉の(大1勝 1分け)と言ったところでしょうか?
では、次回「猿と竜のばかし合い 中編
」にて
またお会いしましょう。
(♪そこ~に、行~けば~~、どん~な夢も~~♪byゴダイゴ(笑)(^_^)。)
☆ 二の舞? 二の足?を 踏む? 演じる?☆ 新型インフルエンザ ☆ タミフル
先日カキコした通り、完璧に
今日は「忘年会」。
注意せねば・・・汗(^^; ....。
そろそろ始まりますね。忘年会シーズン。
この前の「二の舞を踏まないように」、
あれ?、“ 踏む ”のは、「二の足」?
「二の舞にならないように」の方が良いのかな?
やはり、ここは、いつものように調べましょうね。(^^)
まず、「二の舞」についてですが、雅楽の中のことばで、
「安摩」の舞に続いて「二の舞」が舞われるもので、「二の舞」とは、
ここから、“ 人のあとに出てそのまねをすること。特に、
「二の舞」自体が、失敗を繰り返すことなので、
「二の舞を繰り返す」は、間違った使い方のようですね。
「二の舞を演ずる(演じる)」が、よく使われる使い方のようです。
では、「二の舞を踏む」は・・・・・?
間違いではありますが、「場数を踏む」などの経験という意味で
ちなみに、本家「踏む」を使う『 二の足 』は、
実際に「歩く2歩目」のことで、
歩き出して、1歩目2歩目と歩み出す過程で、2歩目を思い悩むこと。
つまり、「物事をはじめるのに躊躇すること、思い切れない」
といった意味ですね。
どう考えても、使わないと思うけど、
“二の足を演じない”ようにしよう などと
使わないようにしなければ。(笑)(^_^)。
依然、まだまだ風邪が流行っていますね。
「新型インフルエンザ」も騒がれています。
皆さん、お気をつけください。
以下は、ニュースを抜粋します。
参考にしてください。
ちゃんと「手洗い」「うがい」はしましょうね。
基本ですよね。
それは、「 私 」か・・・汗(^^;3 ....。
さて、次は「政宗」書き始めますか・・・
ではまた(^_=)。
【新型インフルエンザ】
アジアで流行していた鳥インフルエンザがヨーロッパでも確認されたことから、病原体のウイルスが突然変異し、人間にも感染するようになり、爆発的な流行を引き起こすインフルエンザウイルスが出現する可能性が高まっている。
従来のヒト型ウイルスは、感染してもある程度は免疫が働くために重症化することはあまりないが、鳥インフルエンザに由来したインフルエンザは、これまで遭遇したことのないタイプなので免疫がまったくないため、大きな被害をもたらす可能性が高い。
厚生労働省はこの新型インフルエンザが出現した場合の政府の対応策を「新型インフルエンザ対策行動計画」として、2005年11月に発表した。平常時から大流行するまでの感染の状況を6段階に分け、その各段階における国内と国外の状況についての具体的な対応策を示している。
その第4段階では国内での小規模感染が起こった場合を想定し、大規模集会の自粛や患者の入院の勧告などの対策をとる。
第6段階の国内大流行時には国民の4人に1人が感染する前提で、厚生労働大臣が非常事態を宣言し、すべての医療機関をあげて、治療や診断にあたる。治療用の抗ウイルス薬「タミフル」を2500万人分確保することにしている。
【タミフル】
リン酸オセルタミビル製剤の商標名。スイスの製薬会社ロシュが製造を行っている。日本では中外製薬から発売され、病院の処方箋に基づいて薬局で購入できる。
インフルエンザの特効薬で、これまでA型インフルエンザ、B型インフルエンザに有効とされていたが鳥インフルエンザに由来する新型インフルエンザにも有効とされる。
ほかの薬のようにインフルエンザウイルスを覆うのではなく、インフルエンザを引き起こすウイルスを攻撃して体内に広がるのを防ぎ、根源からインフルエンザを治療する。
副作用として、腹痛、下痢などが起きることもあり、その程度が強いときには服用を中止する必要がある。
また、ときとして幻覚作用が生じるともいわれているが、これについてはまだ解明されていない。 政府は鳥インフルエンザや新型インフルエンザの蔓延などに備え、5年で2500万人分の備蓄を行う計画である。
「父の背中 母の背中(後編)」 独眼竜 伊達政宗 5
その独眼を疑いました。
「何を食べた?・・・・・・」
「そして、この痛みや苦しさは?・・・・・・・・・・」
いや、痛みなどという、
生やさしいものではありません。
まさに、生死にかかわる激痛。
この世の地獄。
そして、まっさっきに駆けつけて、
介抱してくれるであろう母の姿を探し求め、
あろうことか、うつむき、まぶたを閉じている
母を見つけました。
そう、政宗は、母「義姫」に毒を盛られたのです。
政宗22才の春でした。
18才で、家督を相続し、父「輝宗」の死という悲しみを乗り越え、
まさに「仙道の覇者」にふさわしい快進撃でした。
この短期間での制圧は、辺境の地の利ということを加味しても、
と私は思います。
「政宗が、あと30年早く生まれていれば」とはよく言われることですが、
信長1534~1582
秀吉1536~1598
家康1542~1616
政宗1567~1636
信長が「40歳」の時に
秀吉「38歳」
家康「32歳」
そして、政宗は、わずか「7歳」
“ 30年の「時の差」さえなければ、「政宗」が天下を取っていた。 ”
と言い切る人もいますが、私としては“ 疑問符 ”ですね。
「政宗」大好きの私としては、そうあっては欲しいですけど、
空想することを楽しむこととしましょう。
昔、テレビゲームでは、散々天下を取らせてあげましたから(笑)(^_^)。
ただ、戦国武将あまたいる中で、「信長」「秀吉」「家康」をのぞいて
「武田信玄」と「伊達政宗」が、10指の中に、それも上位に入ってくる
「上杉謙信」は、領土欲がないため、はぶかせてもらえればですが・・・。
常勝「武田」 甲斐の虎「信玄」
不敗「上杉」 越後の龍「謙信」
こうやって、書くだけでもこの二人は、絵になりますね。(^_=)
この「信長」と「信玄」と「政宗」は、似ているといわれています。
正確には、「信長」と「政宗」
そして、「信玄」と「政宗」がですね。
良き理解者としての父を持ちながら、早くに死に別れ。
母の愛情に恵まれず、肉親である弟を殺してしまう。
という悲しみを背負う「信長」と「政宗」
辺境の守護大名の子として産まれ、
身内に敵(信玄は父、政宗は母)を持ってしまい、領国から追放。
信玄は嫡男を 政宗は弟を殺害。
どちらも宿敵(ライバル)に悩まされ続ける。
「信玄は、謙信」
「政宗は、最上義光」
どうでしょう?
似ていると思いませんか(^^)
話を黒川城(会津若松城)別称・・・鶴ヶ城にいる政宗に戻しましょう。
破竹の勢いで快進撃を続け、宿敵「芦名家」も破り、名実共に「奥州の覇者」たらんとする「政宗」の前に立ちふさがったのが、
「信長」亡き後の後継者「豊臣秀吉」でした。
当時、政宗の宿敵といえる「芦名氏」や「佐竹氏」は、すでに「秀吉」の
(実は、この二家は、兄弟です。詳細は省きますが、そのつながりには、「秀吉」が絡んでいます。)
その「芦名家」を滅ぼしてしまったのですから、当時、天下人まであと
特に、勝手に戦はしてはいけないという「私戦禁止令」も発布しているの
この時、「秀吉」にとっては、九州征伐も終え、最後の仕上げで残って
「小田原攻め」のはじまりです。ついでに奥州も攻め「政宗」の首も
しかし、「秀吉」は、「小田原攻め」に参陣すれば、こたびのことは不問に
この辺は、さすが「秀吉」、計算が早いです。(朝鮮出兵の頃には、脳みそ腐っていますが・・・汗(^^; ....。)
「北条」ともよしみを通じている「伊達家」。
当然、援軍要請の使者も来ています。
伊達家中は、もめにもめます。
決定打は、その陣立ての報告でした。
豊臣軍「21万」 迎え撃つ北条軍「5万」
いかな、難攻不落の「小田原城」とはいえ・・・
閣議は決定しました。
「小田原参陣」です。
いざ、出立という前日、
母「義姫」(保春院)から、送別の宴に招かれます。
予感は、少しはしていたのではないか・・・・
と、私は考えてしまいます。
しかし、今回の参陣で、ひょっとしたら命を落とすかもしれない。
「秀吉」に、ていよく殺される可能性も少なくはありません。
その前に、わだかまりを持ってしまった母と、ちゃんと話をしておきたい。
母も同じ気持ちなのではないか・・・
私との別れを悲しんでくれているのではないか・・・・
そう思って、母の元を訪れたのではないかと思います。
余談ですが、彼はのちに「自分の画や彫刻を作る際には、必ず両目を入れるように」と家臣に命じています。
これは、親から授かった身体の一部を欠いたことを親不孝と考えたからだと言われています。
彼の肉親への愛情のあらわれと考えて良いのではないでしょうか。
しかし、母の気持ちは違っていました。
このままでは「伊達家」は、立ちゆかない。
「政宗」を殺し、弟「小次郎」を立て、その死を持って「秀吉」に詫びを入れよう。 というものでした。
そして、悲劇は生まれました。
「母と息子」悲しすぎます。涙(ノ_・。)
「政宗暗殺」に失敗した「保春院」は、兄の「最上家」に逃げ去ります。
弟「小次郎」には罪はありませんが、後顧の憂いを断ち切るために、
悲しみの中で、しかし、悲しみに暮れている間もないままに、
「鮎」の香りは、「スイカ」の香りに
こう言う人もいます。
“ 鮎の香りは、母ちゃんの
暑い夏の日の夕暮れ、
その母ちゃんの、汗の香りに
だから、僕は、鮎の香りが忘れられないんだ ”
たしか、こんな感じでした。
政宗の見つめる夕日。
その独眼の奥にも、この光景が映って見えていたのかもしれません。
遠い昔、母に愛され、抱かれていた日々が・・・
そして、その母の背中が。
第5部 完。
p.s 今回の章を書き終えて。
今日は、「デロー ボルドー・レゼルブ Bordeaux Reserve Rouge 」
いつも通り美味いですが、今日はやけに苦いです。
ではまた。
次は、小田原攻め参陣です。
「間に合うか?政宗!!」
秀吉との騙し合い「猿と竜のばかし合い 」は、
次回の講釈で。
年賀状 カレンダーの作り方 ☆ 迷惑読者登録
2回目なので、公表します。“ overthereさん あなたです。(`_・) ”
コメントも「よろしくです!」だけ。
行くと「URL」のみのCMなので、意思の疎通できません。(名前覚えていたのに、行ってしまった私が悔しい・・・汗(^^; ....。)
コメントやトラバも嫌ですが、「読者登録」は、しないでください。
トラックバックは、私も利用しているので、迷惑と思われていることもあるかもしれません。
ただ、自分なりに、丁寧にお詫びして、訪問させてもらっているつもりですが・・・汗(^^;2 ....。
当然、「読者登録」は「未公開」にしてありますが、出来れば、消えてください。!!
と書いても聞こえないのでしょうね。涙(;;)。
・・・すいません、皆さんにも、嫌な話はじまりで。m(__)m。
気分を変えて(^^)。
来年用の年賀状とカレンダーが出来ました。会社用だけ公開します。
プライベート用は、「私のブログの3原則」に抵触してしまうので。(笑)(^_^)。
ちなみに3原則はこちら(知ってる方は、くどくてごめんなさい。m(__)m)
●票を狙うような、品の悪い、下ネタ話やその描写はしない
●身元がばれるような、身内ネタは使わない
●政治の話はしない。
しかし、これは個人の自由なので、これを見て自分のテーマと比べて、気分を害される方もいると思います。
勝手な私の原則なので、気になさらないでくださいね。
文面側は、恐らく今日終わります。
宛名印刷は、15日以降印刷ですね。
プライベート用は、目茶苦茶カラフルに、写真ふんだんに、いつも使っているので、K先輩から、
年賀状作成には『 デイジーコラージュ6 』と『 金筆2 』を使用しています。
- 市川ソフトラボラトリー
- デイジーコラージュ 6
- 市川ソフトラボラトリー
- デイジー立体金筆 2
- 市川ソフトラボラトリー
- デイジーコラージュ 9
- インプレス年賀状編集部
- 年賀状CD-ROM 2006
今年は、Amazonで、ユーズド商品として売ってしまいました。
1,500円で買って、1,000円で売却。(結構うまくやったかな。(笑)(^_^)。 )
来年度の年間カレンダーです。
両開き名刺の裏側にも印刷します。
カレンダーは『 フォトカレンダー倶楽部2004 』を、名刺は『 らくちん名刺&カード 』を、他のカード作成は『 ラベルマイティ5 』を使用しています。
- メディア・ナビゲーション
- フォトカレンダー倶楽部 2004
- メディア・ナビゲーション
- らくちん名刺 & カード
- ジャストシステム
- ラベルマイティ 5
お~~、なんかお店みたい。
一度、これしてみたかったんですよね。
見づらかったら、ごめんなさい。m(__)m
次は、「政宗 5」いきます。
というか、これから書きます。・・・汗(^^;5 ....。
ではまた。
預金者保護法 ☆ 人口オーナス & 人口ボーナス
わたしの「ブログ3大原則」の中に「政治の話はしない」というのが、ありますが、「モラル」的なものと思って、読んでくださいね。(^_=)。
2006年2月からとなっていますが、銀行が、約款を改訂することによって、施行前からスタートすることもあるようです。
「偽造・盗難キャッシュカード犯罪の被害補償を“銀行側が全額補償”を行うことを事実上の原則としている。」ということで、預金者からすれば、
以下、詳細です。
「“ 被害にあった預金者に過失があった ”ということを立証する責任を
ということを前提にしていますが。
盗難カードの被害については、
(1)過失を立証できなければ、全額補償。
(2)重い過失(暗証番号を知らせたり、カードに書き込んでいたりする
(3)重い過失以外の過失を立証できれば、75%補償。
となっています。
ここで、昔から私のブログ読んでくれている方は、思い出してくれるで
通帳と暗証番号で、お金が引き出せる郵便局。
この場合はどうなるのでしょうか?
このテーマのときに書きましたが、「キャッシュカード」に「暗証番号」を
特に年配の方は。
そして、この場合、上記詳細の (2)「重い過失」に該当してしまわない
該当してしまえば、一切保証はしてもらえません。
先日、電話で「郵貯の問い合わせ窓口」に、「通帳と暗証番号で、お金がおろせる理由」について聞いてみました。
答えは「利便性」のみでした。
確かに、通帳でもキャッシュコーナーで「引き出し」が出来れば便利です。
私も利用していますので、充分にわかります。
しかし、“ 落とし穴もあるのでは? ”
ということです。人間の考えることですからね・・・汗(^^; ....。
けれど、窓口の方は、こうも言っていました。
「カードを作る際に、通帳でも引き出しを可能にするかどうか選べると。」
そうです。暗証番号で、“ おろせる通帳 ”と“ おろせない通帳 ”があるんです。
このことをちゃんと説明して、カードを作ることを勧めているかどうか?
ということも大事ではないでしょうか?
うちの場合、今年両親が、どちらもカードを作りましたが、このことに関する説明は全くなかったですね。
「便利だよ。」しか・・・。
通帳に暗証番号を書く人はいないし、ここまで書いたことは皆さん知っていたら、ごめんなさいね。m(__)m。
知らないの私ぐらいだったりして・・・汗(^^;2 ....。
しかし、生産年齢人口が急減し、同時に高齢人口が急増する
また「 I T化 」が進み、お年寄りには住みづらくなってしまった
そして、ある意味「自分の財産は自分で守れ」と言われている
小さなことかもしれませんが、
風邪のせいか、うまく文章が、まとまらなかったです
&
内容が、ちょっと固かったですかね。
次回は柔らかく行きますね。
ではまた(^_=)。
私のブログの作り方4 ☆ SEO対策 検索エンジン最適化 ☆ おとぎ話 お椀
喉が痛いです。熱はありませんが。
甲状腺機能亢進症も、喉が痛むので、少し心配しましたが、咳が出てきたので違うようです。ホッ(^^)。
しばらく、ノンアルコールでしたが(酔想なのに)、後輩の結婚式の日、
ちゃんとメンテナンスせねば・・・・
ということで(どういうことで・・・汗(^^;2 ....。)メンテナンスの話。
自分のブログ、ここしばらく、久しぶりに全部見直してました。
見やすくしたいのと、SEO対策 検索エンジン最適化するために。
(たいしたことはしていないので、もっとこうしたら良いよと ご存じの方は、アドバイスしてくださいね。m(__)m)
その前に、まずお詫びを。
わたしのブログ、恐らくずっと、更新中になっていたと思います。
紛らわしくてすみませんでした。m(_ _)m
内容の変更でも「更新」になってしまうのですね。
他の方のブログ訪問中に、更新していないのに、トップにわたしのブログがあったので、そこではじめて知りました。
すんません、本当に。m(__)mm(__)m。
メタタグの作成と、タイトルの訂正、リンクの張り直し、ロボット検索エンジン登録等をしていました。
メタタグに関しては、ここでお書きするほど、詳しくないので、よく把握してからにします。(^_=)
タイトルに関しては、かなり、単語の羅列が、自分のは多すぎた感が、あったので整理しました。わかりやすいように、見やすいように。
また、リンクもこの訂正したタイトルに飛べるように張り直しました。
この辺は、見栄え的なものですね。
皆さんに、見やすいブログでありたいので。(^^)。
長い文章のテーマは、アメブロにある「続きを読む」機能を使おうと思いましたが(長いのは読みづらいとも聞いたことがあるので・・・)、短くなりすぎてしまうので考え中です。わたしのテーマは、初めに絵や写真を使っていますが、これも消えてしまうみたいなので。
「他にも方法あるよ」的なものがあったら、教えてくださいね。m(__)m
そして、これらすべてを終えて、全ページをロボット検索エンジンに登録しました。
しばらくはしません。疲れました。(笑)(^_^)。
使い勝手と見栄え的には、少しつらいかもしれませんが、ご容赦を。
しかし、何はともあれ、これからも皆さんに
(それほどのものでもないかな・・・汗(^^; ....。)
家の整理をしていたら、奥から出てきました。
『 漆塗りのお椀 』です。
またすぐ、しまってしまうと言っていたので、その前に写真を撮っておきました。
次に、日の目を見るのは、いつになるのでしょう。(笑)(^_^)。
けっこう綺麗ですよね。『 おとぎ話 お椀 』。
「桃太郎」と「かぐや姫」
「金太郎」に「浦島太郎」
以前テーマにした「御伽草子 」にもでてきた、
クリスマスドア? 手作りクリスマス ☆ マジックミラー
よく刑事番組で、犯人確認に、
あそこで使われているものです
遊びで、いや、新製品開発の出展作品として(汗(^^; ....。)
14年くらい前に、青年部の仲間3人で作ったものです。
けっこう物持ち良いです。(^_=)
サイズは、高さ6尺の巾1尺5寸くらい。
わからないですよね、高さ1800ミリの巾450ミリくらいです。(笑)(^_^)。
初めは、1800ミリ×900ミリくらいで、ドアを製作する予定でしたが、
マジックミラーが高く、予算オーバー。
やむなく、ミラーを半分に切って「姿見」に変わりました。(笑)(^_^)。
しかし、あとから思えば、これで良かったかなと。
かなり重いです。これでも・・・汗(^^; ....。
900ミリ巾で、予定通り作っていたら、恐らく、いつか倒して、
で、
で、
で、
ジャン!!
どうです。
けっこう綺麗でしょう?
中には、クリスマスツリー用の
電球と一緒に、ツリーに飾る、
雪やサンタ・トナカイ・もみのき・
ベル等々が詰まっています。
よく見ると、電球が光るたびに
浮かび上がってくるのがわかります。
そして、数種類のクリスマスソングが流れます。
ツリーにつけるセットをそのまま使用しているので、点滅のパターンも
3段階に切り替えられます。
版権の問題を当時は少し心配した記憶がありますが、部品等は購入
した時点で、どう使おうが、権利はこちらに移るので、問題なかったよう
ですね。・・・汗(^^;2 ....。
あともう一つは、耐久性。
ちゃんと一日持つかな?・・・と。
途中で発火してしまうのでは・・・汗(^^;3 ....。 などと心配していました。
(今まで持っているのですから、充分ですね。(^_=))
10年以上前にしては、良い発想
していたかなと、我ながら思ってい
ます。(笑)(^_^)。
一緒に作った仲間とは、今でも
懇意にさせてもらっていますし、
良い思い出のひとつですね。
後輩達に、
「クリスマスデートのときには、いつでも貸してあげるから言いな」
と、毎年言っていますが、未だ誰も借りには来ないですね。(笑)(^_^)。
また、これを制作したのは10月だったので、デパートに行っても、
クリスマス関係商品は置いてなく、友人とさまよったこともありました。
そして、最後の最後で入ったデパートに置いてあった瞬間の喜びは、
今でも、はっきりと覚えていますね。(^_=)
今なら、いつでもネットで購入出来ますけど。
しかし、これもまた、忘れられない、大切な思い出です。(^^)
仲間と一緒に、ものを作ったり、勉強をしたり、もめたりしながら、
その思い出が、今でもこうして残っている。
こういったことを、後輩達や子供達に、我々が伝えて、
そして、時代を超えて、伝え続けていって欲しいものですね。
(ちょっと大げさかな・・・汗(^^;4 ....。)
ではまた(^_=)。