ウタ・フリス:著 神尾 陽子:監訳 華園 力:訳 中央法規 定価:1800円+税 (2012.11)
私のお薦め度:★★★☆☆
会報でも、以前紹介させていただいた、“アスペルガー症候群”という言葉を日本の一般の方向けに紹介していただいた「自閉症とアスペルガー症候群」(1996年)や、自閉症についてシャーロック・ホームズの例などを挙げて分かりやすく解説してくれた「自閉症の謎を解き明かす」(新訂版 2009年)などの著者のウタ・フリス女史の「自閉症入門」書です。
女史の名前はご存知なくても、ロンドンでバロン・コーエン氏とアラン・レスリー氏の3人の研究者が研究・開発した「サリーとアン」の実験のことは聞いたことのある方が多いでしょう。そこから導きだされた「心の理論」、つまり相手の人にも「心」があるということが理解しづらい特性を自閉症の人たちは持っているのではないかという理論は、今では自閉症の本質を理解するための有力な仮説(ほぼ定説)となっています。
そんな、ウタ・フリス博士の書かれた入門書ですので、期待して手に取りました。
予想通り、丁寧に、自閉症に対して今、何がどこまでわかっているのか、まだわからないのはどの部分なのか、研究者らしく誠実に書かれています。
今でも時折話題になる、ワクチン接種原因説やそれに関連するキレート療法などについても、研究者の立場から提言されています。
研究に次ぐ研究によって、自閉症の増加は三種混合ワクチン接種(MMR)が導入されるよりずっと以前から始まっていたことが明らかにされました。このワクチンの導入は、症例の急増とは関係がありませんでした。
決定的だったのは、日本でMMRが中止になっても、ASD症例の増加を止めるのには何の役にも立たなかったということでした。ようするに、このワクチンは自閉症症例の増加とは無関係ということです。
もちろん環境因子が自閉症の原因かもしれないという仮説はもっとたくさんあるでしょう。しかし、そのような考えは基礎研究に支えられたものである必要がありますが、基礎研究はまだ信頼できる候補因子を明らかにしていません。
その一方、可能性があるかもしれない要因に関する、基礎研究の支えのない、現実性を欠いた環境因子説は、途方もない時間と労力の浪費になりかねません。
そして、第5章ではいよいよ本書の問題の核心、「対人コミュニケーション」について、どこまでわかってきたのかについて、5つの大仮説としてふれていきます。
ここで著者は「心の理論」あるいは「メンタライジング機構」の障害による相手の心をとらえにくいことを1つ目の大仮説として取り上げています。私たち親にとってはすでに納得できる説のように思えますが、やはりフリス博士は研究者らしく未解決の問題点や批判意見も取り上げ、あくまでも仮説として述べられています。
2つ目の大仮説は、自閉症の子どもたちが小さい頃からお母さんに抱きしめられることを好まず、体をそらせて、ぴったりそわせなかったり、体に触れられることを嫌がることが多いことから「社会的であろうとする、生物学的に組み込まれている動因が欠けている」のでなないかという仮説です。これもまた親には頷ける話ですね。
3つ目の仮説で取り上げられている「割れた鏡理論」、(私も「割れ窓理論」は知っていても、恥ずかしながらこの理論については聞いたことがありませんでした)自閉症の人は他人の表情や身振りを観察しているときに、脳の中のミラーシステムの活動が弱く、相手の動作の意味や共感が起こりにくいという説です。その根拠の一つとして日本人の研究者たちが行ったという、自閉症の子どもたちに“あくびはうつりにくい”という検証実験はユニークで、さもありなんという感じでした。
残る二つの大仮説は「弱い求心性統合説」と「遂行機能の不全」となるわけですが、本書の述べられた例を読むと、共に経験したことがあろうと思われます。
ただ、ここまでの紹介文を読んで感じられた方もあると思いますが、この入門書、初めて自閉症と告げられた、初心者(?)のお母さんが読むには少々難解なようにも思えます。
筆者自身が「遅々として進まず」と書かれているように、研究者として誠実であろうとすればするほど、短い文章の中に証明された真実と、まだ仮説の部分をその反論の部分も含めて正確に述べようとすることには大変な苦労がかかったと思われます。
例えば、自閉症の人が全体より細部にこだわってしまう現象を元にした「弱い求心性統合説」に対する反論を述べた部分です。
研究者たちが数多くの課題を用いて調べた結果、自閉症の人たちはゲシュタルトを知覚するのに何の困難もないことが明らかになりました。その代わりに、細部を処理する能力の増強がみられました。弱い求心性統合とは対照的に、この仮説は知覚処理増強説と呼ばれます。
この仮説が提案していることは、細部の処理それ自体に優位性があって、たんにゲシュタルトの処理が劣位にある結果ではないということです。システマイジングは、自閉症の人たちが単に小さな細部を見ているだけではなく、システムが好きなのだということを強調するまた別の考え方です。このシステムへの好みによって、カレンダー計算のようなサヴァン能力を説明できるかもしれません。
書かれていることには納得できるのですが、文章や語句が少し専門的で、やはり自閉症と診断されたばかりのお母さんへの入門書としては、佐々木正美先生の「自閉症のすべてがわかる本」や「じょうずなつきあい方がわかる自閉症の本」など、イラスト付きでわかりやすい本をお薦めしたいですね。
むしろ、ウタ・フリス先生の本では「自閉症の謎を解き明かす」の方が、ボリュームはありますが初心者向けかもしれません。
本書は「自閉症入門」とは言いながら、ある程度基礎知識のある方が、今どこまで自閉症のことがわかってきたのか最新知識を知りたい方にお薦めの一冊だと思います。
(「育てる会会報 180号
」 2013.4 より)
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目次
監訳者まえがき
謝辞
第1章 自閉症スペクトラム
自閉症かしら?
自閉症という謎
自閉症スペクトラム
3つの症例
自閉症はいつ始まるのか
共同注意とは何か
体腔あるいは発達の欠如
自閉症の診断はどれくらい早めることができるか
第2章 変化する自閉症の姿
自閉症小史
偉大な先駆者たちの足元で
差し迫った現実的問題:子どもに何をすべきか
自閉症の多面性
アスペルガー症候群
第3章 大幅に増える自閉症
ASDの人はますます増えるのか
診断基準の拡大
恐ろしい話
さらなる頻度の増加についてのその他の理由
結局のところ ― 本当に増加しているのか
第4章 神経発達障害としての自閉症
なぜ自閉症は神経発達障害なのか
なぜ遺伝子のなかをのぞいてみるのか
なぜいくつもの障害が同時に生じるのか
自閉症の脳
大きな脳
いくつかの予備的結論
第5章 対人コミュニケーション:問題の核心
対人コミュニケーションの問題は何か、それはなぜ存在するのか
1つ目の大仮説:心を読むこと
2つ目の大仮説:社会的であろうとする動因
3つ目の大仮説:ヒトのミラーシステム
言語とコミュニケーション
全面的な社会的障害はない
第6章 違う目で世界を見る
サヴァンの謎
予想外の能力
興味関心の狭さと行動の限局
弱い求心的統合
最上部の異常
5つの大仮説のあいだの関連性:トップダウン処理とボトムアップ処理の不釣り合い
いくつかの予備的結論
第7章 理論から実践へ
3つの箱のトリック
どのようにして箱をまとめ上げられるか
脳内の結合と統合の誤り
自閉症スペクトラム概念内の葛藤
テンプル・グランディンのような人に出会ったら
自閉症と知的障害をもつ人に出会ったら
自閉症スペクトラム障害には費用がいくらかかるか
教育と治療教育
どのような教育整備や社会対策が必要か
医学的治療法
エセ医者
ストレス
もっとよく知る必要があること
専門的な参考文献
理解を深めるための読み物
訳者あとがき
索引