東京知的障害教育研究会:編 奥住 秀之:監修 大月書店 定価:1500円+税 (2005年1月)
私のお薦め度:★★★☆☆
今、自閉症児の教育・療育にあたっては、TEACCHを抜きにしては語れないのではないでしょうか?
賛成、反対、いずれにしても、TEACCHに触れずに論を進めることは難しくなっていると言えるでしょう。特に若いお母さんたちの間では「自閉症児の療育=TEACCH的技法の療育」といってもいいぐらい、広く浸透しているようにも思えます。
一方で学校現場においては、まだ必ずしもTEACCHが主流とはなっていず、それを求める保護者と担任の間で軋轢が起こっているという話も聞きます。本書はまさにその論点を正面から取り上げています。
現在の自閉症児教育は、TEACCHと切り離して語ることはできない。それほどまでにTEACCHは、学校の教育現場に急速に入り込んできている。また、就学前の段階ですでにTEACCHを受けている子どもも多く見られる。こうした場合、保護者が学校にも同じ教育方法を求めることも珍しくなく、その指導方法を巡って担任教師とトラブルになる例もあるという。
TEACCHという特定の療法が学校教育にそのまま入り込んだ場合、どのような問題点があるのだろうか。そもそもTEACCHとはどのようなプログラムであり、最終的に何を目指しているのだろうか。これだけTEACCHがクローズアップされている今、学校教育とTEACCHとの関係をもっと議論する必要があるのではないだろうか。
私たちが感じている通りの、本書のとりかかりです。第3章では、京都の澤月子先生が、養護学校でのTEACCHによる実践やその理念を紹介し、それに対する疑問点を東京の養護学校の先生方が提起し、さらにそれに澤先生が答えるという形で議論がすすめられています。往復書簡の形態をとっていますので、お互い冷静な分だけ、ダイレクトに議論がかみ合わないところはありますが、それでも大いに参考になる所は多いです。
特に先に触れていた、保護者と担任教師との指導方法を巡ってのトラブル、その理由の一つが私なりにわかったような気もしてきました。
私見ですが、それは発達保障や本人の内面の成長を最重視するかどうかにあるように思えます。
親にとっては、そのほとんどの方は初めて障害児の親となった、いわば若葉マークの立場です。理解の難しい自閉症という障害に親子ともども振り回され、絶望の淵からTEACCHを一筋の光明として、小学校の入学までやっとたどりついたという方もおられると思います。それまでの混沌とした世界から、やっと構造化という道しるべを頼りに安心した暮らしに抜け出せた子どももいると思います。
一方で、養護学校の先生方は6歳から12歳までの、多くの障害をもつ子を横断的に見てきています。
どのこにも「人間としての成長」を目標として、熱心に取り組んでこられたのが、ここでTEACCHに疑問を投げかけている先生方なのでしょう。先生の目から見ると、子どもたちの集団の持つ力や、先生との人間的な信頼関係を軽視したようにみえるTEACCHは、非人間的に見えるのでしょう。
本書のなかでも取り上げられている、「おしっこの仕方」の指導例の批判に、それは端的にあらわれていると思います。
写真4は、便器の横に貼ってある「おしっこの仕方」です。いつもパンツをぬらしてしまうU君のために先生が、おしっこをして、ズボンを上げるまでの流れを絵で示してくれています。彼は、はじめはこの絵を頼りにしていましたが、ルーティンができれば自分ひとりでできます。
このような実践例に対して批判としては
「年長のお兄さんみたいに、自分だってトイレでおしっこをしてみたい」と見よう見まねでやってみる子どもの内面世界。お母さんやお父さんに励まされ、ひとりでトイレでおしっこできた経験。ひっかけることなく、上手にできたことをほめられ、それが嬉しくてひっかけることに注意するようになった子ども。そうした発達の過程でよくみられる子どもの内面世界が、残念ながらこの写真カードの実践からは見えてこない。
浮かんでくるのは、子どもが便器の前に立ち、何かするたびにカードをめくる教師のどこかこっけいな姿である。
そうです、その「こっけいな姿」とは私たち親がそれまで必死に取り組んできた姿でもあるのです。
そもそも「年長のお兄さんみたいに」という意欲も、 「ほめられ、それが嬉しくて」という気持ちも少ないのが、自閉症児たちなのです。
確かに子どもたちを横並びに見て、全ての子どもの内面世界の大切を重視されるのは、立派な教育方針だと思います。
でもその前に、その入り口として自閉症の特性を理解して、子どもたちに分かる形で伝えていただきたいと思います。そしてそのためには、「子どもたちのもつ集団としての関わり」よりは、その子の自閉症としての障害に合わせた個別的関わりのほうが大切ではないかと、若葉マークの親には思えます。
ともあれ、本書を読んで先生方とのトラブルの根っこの部分がわかったような気がします。その意味、双方意見を正面から取り上げた本書はお互い相手の思いを知るという点で有意義なものと思います。
ただ編集の方針として、TEACCHに対して疑問視する先生(先の “こっけいな姿”とおっしゃる先生)が、別の章でも解説を執筆するなど、どちらかというと本書の中では、TEACCHを実践されている澤先生お一人が孤軍奮闘という印象です。
そんな澤先生にエールを贈る意味で、澤先生の結びの言葉を紹介して終わりとします。
気をつけておきたいのは、私たちが楽しいと思うことは楽しいに違いない、私たちが我慢できる程度のことは我慢できるに違いない、という発想で集団の学習が展開していくことです。
「『見てみて先生、金魚が食べたよ、見てみて』と言う子どもの顔が見たい」ということですが、これも私たちの感じ方を唯一のものとしているのでは、と言えば言いすぎでしょうか。
「内面世界」の解釈に、もう少し障害の視点を踏まえたアプローチが必要なのではないか。私が感じる違和感は、まさに、そこにあるのでしょう。もっと、もっと時間をかけて理解して欲しいなあと思います。
(「育てる会会報 83号
」 2005.4)
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目次
はじめに
第1章 自閉症ってなに?
自閉症の基本を知ろう
■ 国語・コミュニケーション能力を高めよう
第2章 悩んでいます 自閉症児の教育実践
ファーストコンタクト
いつでも・どこでも・誰とでも
クニオくんに教えられたこと
運動会って苦手だなぁ
心が触れ合えた時、手も触れ合えた
■ 生活・いい湯だな、ハハン!
第3章 論争・TEACCH
TEACCHとの出会い
TEACCHに出会ったこと・学んだこと
TEACCHへの疑問 1
TEACCHへの疑問 2
「疑問」に答えて
■ 自立活動・リラックスは、湯ラックス
第4章 私たちが目ざす自閉症児教育
現在の自閉症児教育、その論点
実践1 自分からのコミュニケーションを!
実践2 共に生きてこそ幸せを感じる
「葛藤」のある自閉症児教育をめざして
■ 表現活動・ああ青春
あとがき