集団自決 | 空気の意見 

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過去の規制緩和による捻れた競争社会に、公正な競争を導入し、不当な競争から労働者を保護しよう! 介護福祉は国営化。国が労働者管理機構をつくり、労使へのアクセスとバックアップ、フィードバックを強化し、労働者達へのセーフティーネット強化の土台をつくろう。

 旧軍による集団自決の強要がなかったというのが最近の識者の平均的な考えらしい。
玉砕戦をあれだけやっておきながら、まあ、思うところはいろいろありますが、
とにかく、自決した沖縄の方々は死んんでしまい、証拠も証言も、
あの沖縄戦の激戦のなかでは細部がどうだったかまでは、いかに、学問といえども断定はできないでしょう。

 やっぱり玉砕戦なんてやってはいけない。
孤島などならまだ住民はいないから被害を考えずにすむが、
沖縄のような場所で地上戦の玉砕は住民にどのような影響を与えるかわからない。
手榴弾での自決がどのように発生したかはもはや見当もつかないが、
旧軍管理の手榴弾が民間人の手に渡ったのは軍にも一定の非がある。
現地徴用された民間人が渡したのか、旧軍人が渡したのか。
(とにかく手榴弾を渡してゲリラ戦をしろなどとは考えられない、
その程度で戦局はまったく変わらないのだから。)

 とりあえず軍人にはそういった軍事品管理の責任がある。
交戦者規定を外れると捕虜としての扱いも難しいし、
手榴弾は公然と持っていることを確認し辛い武器なので、実際、
攻撃をしかければどんな扱いで反撃されるかわからないものだ。

 僕が問題だと思うのは民間人に手榴弾が渡ったことだ。そこにおいて旧軍の失敗が目立っている。

 軍人は玉砕する前に、戦争遂行者として、ただ戦闘を行うということだけでなく、
軍事管理者として、降伏と敗戦の速やかな交渉対応と調達した武器と人員の管理の移行、
あるいは捕虜としての権利の主張とそれと認められる正しい規定をクリアすることを広く徹底させることが必要だ。
(もちろん現場では敵対した相手に公然と殺されることもあるが・・・・・・)
管理崩壊まで状況を引っ張り無理してしまうのはあの時代につき物のことなのかもしれない。

 実質、ほとんど戦闘も終了し、占領され、それから後にようやく降伏の意思を伝えるのはどうだろうか。
戦場でしかるべき階級の軍人や民間の責任者がいないような状態にするのは良い状態とはいえない。
沖縄戦のような民間人を巻き込んだ過酷な戦場ではとくにそうだ。

 彼らは国のために素晴らしい奮闘をしてくれた。これは本当に立派だ。有難い。
けれども軍事品の管理すらままならない破滅的状態まで粘り、
さらに降伏を先延ばしにするのは軍人として適当な行動とはいえないだろう。
そこまで消耗すればもはや軍隊とは呼べまい。
そして集団自決が起こってしまった。
さまざまな物で自決したのだろうけれども、なかには手榴弾による自決があったのなら、
両者において暗黙の了解か、強要か、あるいは要求したのかはもうなかなかわからないが、
根本的に手榴弾のような武器はしかるべき手続きを踏んだ民兵ならまだしも、
民間人には渡ってはならない物なので、こういった事態を反省して今後に活かさねばならないでしょう。