被災地でのボランティア活動 | 計測工房社長・藤井拓也のブログ

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マラソン大会などのスポーツイベントのタイム計測のプロフェッショナル、株式会社 計測工房の社長である藤井拓也のブログ。

このGW期間中に、私の大学時代の陸上部(慶大では競走部 と言います)の
同期の仲間が東日本大震災の被災地へ行ってボランティア活動をしてきました。

今回の大震災を経て、多かれ少なかれ、ほとんどの人が何か支援活動を
しなくては、あるいはしたい、と思ったことでしょう。私もそうです。
ですが、実際に被災地に行ってのボランティア活動を実行できる人は、
全体からすれば限られていると思います。仕事があるから、家族がいるから、
あるいはその他の理由があるから・・・、何かしらの理由があって、もしくは
理由のせいにして・・・、なかなかボランティア活動の実行は難しい人は
たくさんいるように思います。私もそうです。
そんなふうに感じている人にとって、知り合いのボランティア体験はあたかも
自分の代理のようにとらえることが出来るのかもしれません。

本人から掲載しても良いとの承諾を頂いたので、私の同期の仲間の活動
報告を転載します。(原文はすべてfacebookへの投稿です)
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(ここから)

●2011年4月28日(木)
盛岡到着。微力ながら、明日から被災地で力仕事を頑張ってきます。
「遊べないのが嫌だから」ではなく、「また津波が来たらどうするの?」
「津波はパパより速いんだよ」という理由で、ボランティアには行って欲しくないと
言ってくれた5歳の長男に、成長を実感。こどもの日には帰京します。


●2011年4月29日(金)
大槌町へ向けて出発。岩手県社会福祉協議会が手配してくれている盛岡から
日帰りのボランティアバスに乗せてもらっています。
大槌は町長さんが津波で流されて亡くなるなど、「壊滅的」と形容された町の
ひとつですが、参加している人は20代から40代くらいが多そうで、男女比は6対4
くらい。屈強そうなサバイバルの猛者みたいな人はあまりいなくて、自分のような
初心者っぽい人が中心です。

大槌では、民家の泥出し。20人で1日作業して、やっと1軒を少しきれいにできただけ。
復興までの道程はまだまだこれから。1階天井まで浸水したお宅で、壁と畳をはがし、
床をとっばらって、床下に5センチくらい堆積したヘドロの下から、どこから流れて
きたのか写真やマラソン大会の賞状まで出てきた。。。
海岸沿いはどこまで行ってもテレビで観た通りの凄惨な光景で、言葉に出来ません。


●2011年4月30日(土)
今日は大槌のお隣の釜石で作業。昨晩のうちに花巻に移動して、東京から来た
ボランティアツアーに合流。無理なお願いを聞き入れてもらって深謝。昨晩は旅館の
大部屋で質問責めにされ、大槌で見聞きしたことを話す。「今日、人生で初めてボラン
ティアに参加したド素人です」と、ディスクレーマーはお伝えしたものの、さっき聞いた
ばかりのことを、さも10年前から知ってるかのように振る舞ってしまうのは、日頃の
仕事振りそのまんまか。。。

今日の釜石での作業は、甲子川の河川敷とそれに隣接する遊歩道や公園の片付け。
津波で河口から逆流してきた木材や魚、チョウザメ(和製キャビア生産のために養殖
してたとのこと)の腐敗した死骸が散乱してた他、商店や民家から流れてきた紙片や
書籍、カーテン、毛布などがそこら中に。ヘドロの下からは、なぜこんなに?というほど
頻繁に写真や葉書などが“出土”。物理的には軽作業だけど、近隣や通り掛かる人たち
にたくさんお礼の言葉を掛けてもらって、ちょっと嬉しい。確かに、毎日通る場所にいつ
までもこういうものが散らかってたら萎えるだろう。

夜は花巻の旅館に戻って、一日一緒に作業をした50人弱のメンバーで大いに飲み
明かす。ほとんどが、これまでボランティアなんてしたことも考えたこともなかった人たち
だけど、みんな「来てよかった」「周りに伝えていこう」という思いはひとつ。最高のおもて
なしを格安にご提供頂いた幸迎館のみなさんにも感謝。


●2011年5月1日(日)
今日は東京に帰る皆さんに別れを告げ、ひとり盛岡へ戻り、また明日からに備えてた
(ま、何もしてないということです)。
考えさせられることが多すぎて、暇つぶし用に持参した大量の本には全く手が伸びず。

盛岡も花巻も被災地からは遠く離れてるので、震災の物理的なダメージはなく、街角
では普通に合コンや飲み会が繰り広げられてる。こっちに来るまで岩手県内はみんな
ひどい状況にあると思い混んでた自分は、震災後に緊張しながら来日して「なんだ、
東京は普通なんだね」と拍子抜けしてる外国人の同僚たちと全く同じ。


●2011年5月2日(月)
今日は岩手県内では参加出来るツアーがなかったので、仙台空港のある岩沼市の
ボランティアセンターに行ってみる。民家の泥出しか、仮設住宅への入居の手伝い
かな。ただ今、新幹線で仙台へ移動中。車窓右手には奥羽山地の山並みの麓に
きれいな虹が出てます。

岩沼に到着するなり、「じゃあ今日の受付はあなたまで。これを腕に巻いて、後から
来た人は全部帰してください」と岩沼市社会福祉協議会の腕章を手渡される。
やむなく社協スタッフになりすまして「もう8時半で本日の募集予定人数を超えて
しまいました。本当に申し訳ありません」と、後からやって来た人たちを追い返す。
遠方から来ていて諦められず食い下がる人たちの無念は痛すぎるほどわかるので、
これは本当に辛かった。
ただ、「車で来てるなら、気仙沼の小泉浜が人手が足りないみたいです」と昨晩発見
した情報を伝えると、「じゃあ、小泉浜に行ってみます」という人が何人も出てきた。
で、何十人も善意の人たちを追い返している間に、さすがに「ここにはオレの代わりは
いくらでもいるから、もっとニーズのあるところへ」と思い、社協の腕章は周りに並んで
いた人に託し、小泉浜に行くという人の1人にお願いして車に同乗させてもらった。

岩沼から気仙沼までご一緒させてもらったのは、八王子から車を飛ばしてきたという
看護師の男性。三陸道を北上していくので、岩沼市、名取市、仙台市若林区といった、
荒野と化してしまった仙台平野の被災地が延々と続く。大槌や釜石のようなリアス式
海岸とはまた異なる悲惨さ。
気仙沼に入り、小泉浜に近づいても、なかなか現地のボラセンに着かなかった。
国道は文字通り寸断され、目印になるはずの線路や駅は消えてしまっているので、
地図が役に立たない。13時過ぎにようやくボラセンに着くと、直ちに作業をあてがわれ、
三陸鉄道の鉄橋跡地近くの河原を瓦礫の仮置き場にして、軽トラックで運び込まれる
瓦礫の積み下ろし。

作業に参加した気仙沼市小泉浜は、本当に復旧作業が遅れていた。他地域なら
重機でやってるような瓦礫の撤去もボランティアの手作業。他県から駆けつけた数台
の軽トラックで倒壊した家の木材や瓦を瓦礫仮置き場に運んでくるが、半日かかって
やっと1軒分しかきれいに出来ない。電車もバスもなく、気仙沼の中心街から車で
1時間近くかかるし、宿泊するならテントか車中泊しかないという、ボランティア
中上級者向けの環境ということもあって、とにかく人手が圧倒的に不足。ただ、NPOの
Vネットぎふが精力的かつ効率的にボランティアのリソースのアロケーションをしている
ため、マンパワーさえ確保出来れば、急速に状況は好転しそう。
燃料等の調達資金の募金も受け付けている。赤十字の義援金に募金しても
「砂漠に一滴」という無力感を感じている人は多いと思いますが、ここならあなたの
善意がダイレクトにインパクトをもたらすはず!
http://hamacen.hida-ch.com/

ようやく盛岡帰還。今日は仮設住宅への入居の手伝いだけなら楽勝だと思ってたん
だけど、なかなかそうもいかず、ヘトヘト。
そして、今からもうひと仕事。これも人助けだと思って(?)、岩手特産の前沢牛と
紫波ワインを堪能して参ります!


●2011年5月3日(火)
盛岡は今朝も冷え込み、現在6度。山登りみたいなフル装備でも、少々寒い。
今から大船渡行きのバスに乗り込みます。

今日の大船渡では、河川敷のグランドと隣接する土手の片付け。木片や紙片なども
さることながら、近くの水産加工場から流れてきて腐敗している魚やイカの処分が
きつかった。100尾や200尾では済まないブツを片っ端からゴミ袋に入れて石灰を
撒き続ける。妻が調達してくれたプロ用の完璧な防塵防臭マスクをしていても、あまり
の腐臭でまさに鼻がもげそうだった。
江ノ島の砂浜みたいになってしまったグランドだけど、作業後の集合時に地元の方から
「ここは本当は芝生が青々としていて、大船渡の市民が毎日サッカーや簡易ゴルフを
楽しむ憩いの場でした。震災後ここを眺める度に皆が胸を痛めてましたが、今日こんな
にきれいにして頂いて頑張ろうという力をもらいました」というお言葉を頂いた。ついつい
海岸沿いの最前線で英雄的な重作業をしたくなる自分がいるが、釜石に続き、こういう
地味な作業でも地元の人たちのメンタルには着実にプラスの効果をもたらしていると
いうことをまた勉強。


●2011年5月4日(水)
viva! ココイチ! 岩手県内で活動する際につけるワッペンを呈示すると、活動当日なら
なんと1,000円まで無料。もともと世界で一番好きなカレーはココイチと公言してますが、
さらに好きになりました。

6泊7日の滞在中、東北ではちょうど桜が満開に。写真は、さっき散歩した盛岡城跡公園。
国語の時間にならった、石川啄木が15のこころを吸われたという不来方の城です。
桜の木の下でガンダムのテーマソングを熱唱しながら花見を楽しむ30代男性陣や、
ゴセイジャーのお面をかぶってボールを追い掛ける子供の姿を見て穏やかな気持ちに
なっていたら、突然大音響を立てて自衛隊のヘリがすぐ近くから被災地へ飛び立って
行きました。大槌や大船渡では、津波に枝をもがれ幹も大きく傾いた桜に花が咲いて
いて嬉しくなりましたが、残念ながら海水とヘドロで土壌が駄目になってしまったので、
木の寿命も長くはないそうです。

花巻空港なう。これから東京へ。
昼メシはわんこそばと決めてたはずが、岩手短角牛という看板の誘惑には勝てず…
盛岡ではそれなりにお金を落とした自信はあるが、体重は全く落ちず σ(^_^;)
(ここまで)
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自分の知り合いからの報告だと親近感があって、疑似体験をしているように
感じられます。被災地のリアルな姿が伝わってきました。この同期の仲間の活動を
私は尊敬します。

引き続き、自分に出来ることを模索して、やっていきたいと思います。