スマホを見ながら乗り込んできたギャル。
汚物の上に乗ったまま・・・
その人がどうだ、こうだ。
ということでなく。
自分にも「見ていないものがあるよ」という
天智のようにして、眺めていました。
めったに見られるものではない、ですからねぇ。
こういうのも、一種の「気づき」じゃないかな。
気付くか、どうか。なのでしょうか。
もしかして、それが「善いも悪いもなく見ている」ことで
起きてくる気づきかな・・・なんて思ったり。
世界を他人ごとにして見ていると
関係は生じない。
自分と他者・・・と切り離して。
人のことは、よく見える。
あの人はこうだ。。この人はああだ。。
自分なりの解釈をして、自分はその外に置く。
そしていつでも自分は正しいの位置で動かない。
と、なりますか?
世界はいつも単なる対象物となる・・・
自分のことは五里霧中。
他者になにか言われると
ただ反発・抵抗したくなる~
自分で自分を知らない。
だから意識の転換が必要
ということなのでしょう。