存在の軽さ | 朱鷺の“人生七転び八起き”

朱鷺の“人生七転び八起き”

心と体の健康の情報を発信していきます。

わたしたちは、いつでも、
自分は正しいと思っているし、
自分の感じていることも、間違いないと・・。

でも、ホントに、たかだか
「自分が感じている世界」なのですね。

ずっと前。
20代のときに仕事場で、仲間と
楽しく働いていました。
そこで、仲良くしていた人が、
退社することになりました。

仲が良かったので、
また遊びに来てください。
何かあったら連絡していいですか?と聞くと
「そんなことは、とんでもない!」 と
拒否されました~

そのときは、去ることの寂しさで
未練を残したくない、と思うのかな
と解釈していました。

ところが・・・です。
普通は、自分の担当していた仕事や、
担当していたお客様への対応を指示して、
自分がいなくても良いように、あとの
憂いない状態で、辞めて行きます。でしょ?

でもTさんは、色々なことを
シークレットのまま、
突然に去って行きましてね。

いなくなってからの対応は、
まだ仕事を続けている人たちにとって、
混乱・困惑・・になりました。

飛ぶ鳥。あとを濁さず。
といいますが。
たいそう後は濁ったというわけでして。

あとあとまで、Tさんは、どういう関係性を
自分で作っていたのか~と思いました。

まぁ・・・そんなに、仕事が嫌だったのか、
職場が気に入らなかったのか、責任感なく
働いていたのか。
その後は。
接触がなかったので、知る由もない。

去った後の自分に対する他者の評価が・・・
怖かったのか。後ろは見ない。
ということだったのか。

去る人に対して、人に悪口しか
言われないだろう・・・も、ありますか?

人は、この後、関わりがないとなったら
今まで言えなかったことも、言う。
こともあったりするし。

どうなのだろう・・当人は
見たくない。聞きたくない。知りたくない。
ってココロを閉じてしまったのか。

じっさいは、仲間にとっては高評価で、
担当していたお客様にとっても、
惜しい人~でありました。

ただ去り際の混乱を、Tさんは
想像していなかったのかな。

自分はそこで重要な人間ではない
というように、自分を軽い存在と
していましたか?

自分が人生の一時期に、、、
そこに、確かに居た。
とは思いたくない?

Tさん本人は自分に対しての
評価が、低かった。
自信がないと、いつも言っていました。

そこを、ひとつ乗り越えて・・・
評価に素直に向き合えば、違った展開が
あったのでは? と思いましたが。

他者は、自分を正面から見直すための、
鏡として使えるものなのです。
どんな評価であれ。
あれですねぇ。。
そのとき、シンクロしたのは。

死んだあと、閻魔大王の前に出て、
自分の生涯を、自分の目で見せられる。
良いこと、悪いこと、恥ずかしいこと、
隠すことなど出来ない、すべて。を。。

しかし、ねぇ。死んだあとで、
見せられてもどうしようもないこと、でしょ?
起きたことを見せられて、閻魔さんに、
自分を正当化しようとしても、ダメでしょ?

わたしたちは、つねにプロセスの中にいる。
まだ結果はでていない。死なない限りね。

どんな関係を作っているか。
作ろうとしているのか。

対人。ではなく、自分に対して、密接に
どこまで深い関係を持つのか。
みたいな感じがします。

どこまでいっても、自分に、戻る。
天にツバを吐けば、自分に降り注ぐ。