思考はつねに自己弁護している | 朱鷺の“人生七転び八起き”

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自分なんてダメですよぉ・・・
そんなふうに、自分に自信がない。
だから、自分を開示できない
という人が多いのですね。

それから脱するためにはどうするか。
自分に自信を持てれば・・と考える。
防衛することなく、自由になれる。

しかし
これは。思考のワナなんですね。

「こうであったら」と時間の猶予を自分に与える。
ほんとうは、それが目的で、このような思考に
とらわれてしまうのです。

「いつか」そうなることを夢見て
本を読んだり、なんたらセミナーに行ったり。
「そのために努力しているんです」と言い訳。

ダメだから。自信がないから。
受け入れてもらえるはずがないから。

まあ、そんなとき
「ありのままで~」となるのが、スタンダード。
今の自分を受け入れたら、いいんですよって。
そうならないのには、そうならない理由がある。

そのようにして、自由に開示しない自分に対して
「だって」と理由づけをしている。
ということなんでしょ。


相手によって変わる、場所と時間で変わる。
あって、ない。そんな自分なのだから。

そもそも・・・ありのままも~クソも~
「自分」なんていうものは、ないんだし。
それでも「ここにある」存在の実態はある。

なんでこうなのか。
どうしてこうしているのか。
ただ事実を、見る、知る。判定することなく。

自分が何をしているのか、事実に向き合うこと。
「・・・だから」と言い訳をしている。
そこに気づくことから、すべては始まる
んじゃないかな。