自分自身を信じるとか。
誰かを信じるというのは。
実際は、なにひとつ、確証なんてない。
ただ、言うことに責任を持つとか。
することの責任を受け取るとか。
思うことにウソをつかない。
そんな「生」を行動していくことでしか
得られないものじゃないかな。
だから信頼するというのは「もしも」という
仮想を、持たないことかも知れません。
あることを、あるまま。
直面することから、信頼が揺るがない
強さと柔軟性として生じるもの。
「もしも、こうであったら」という思考法は、
現実逃避に使われやすいものなのですね。
とても、気軽に使えるから、便利だけれど。
それこそ「夢見る夢子ちゃん思考法」で、
現実と乖離していく。
そしてクセになりやすい・・・。
仮想を根拠に、立ち上げていると気づかない。
そこには、信じられるものがない。
ありえない「もしも」が、
あってもおかしくないもののように、
錯覚する。
私たちは、だから、そこからの脱却として
まず、一歩・・・。
現実を「思考を入れずに、ただ見る」。
何が起きても、ただ見る。
否定もなく、肯定もなく、
抵抗せず、それに乗っかからないで。
浮かれることもなく、落ち込むこともない。
真摯に。