怒ったり、苦しいと感じたり。
「思考と同一化している状態」でいることに、
気づかないことが痛みの原因。
なのではあるけれど。
それに気づくと、立て続けに、
気づきが深まる。
洞察力が高まるのでしょう。
たえず、それを意識していることは
出来ないことだけれど。
何かが起きると、気づく。
それは「当たり前」にあること
かもしれないけれど。
何かがあるよ。
何かが・・・。
見なければ「ない」ことに
なるようなことだけど。
いま、必要ではないものを、
私たちは、見ないで済ましている。
だから「ある」と気づいたら・・・
痛みのようなもの。
特に意識を強く向けさせるようなもの。
「見た」のであれば、それには、
見えること以上の深い意味がある。と。
たとえば、なにものかの
「気づけよ!」 という示唆である。
こともあるのかな。