解決は、見えているところには、ない | 朱鷺の“人生七転び八起き”

朱鷺の“人生七転び八起き”

心と体の健康の情報を発信していきます。

ちいさな1人の人間の内には、
これまでの全人類の痕跡があります。
1人立つというのは、それをすべて、
いったん背負うことじゃないかしら?

全人類が含まれるから、誰もが、
自分のこととして、自分の問題として
直面できる。と思うのね。

外にあるモノゴトをみて
「なぜ、こうなんだー」と。
許せないこととか、こうならないのかとか。
強く深く思うことがあるなら。

それは問いかけられた人生の課題。
自分で解かなければならないこと。

他の人が「なぜ?」と疑問に思わないことを、
自分だけが疑問に感じるのであるならば、
自分のために用意されている問題。

それは、たとえば、自分の回りにある
「自分は誰(何)を、拒否しているのだろうか」
・・・なのです。

そこに着手し始めたら、もう外にある
「なぜ・・」は、問題にならなくなる。

それは内なる問題を見つけるために
あっただけだから。

「問題」というのは、明らかに
「問題です」という風には、
人の前に姿を現さないものです。
深ければ深いほどに。