人の言葉がカチンと来る | 朱鷺の“人生七転び八起き”

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フッと思いついて『指摘』という言葉の意味を、
はっきりさせるために辞書で調べました。

「『指摘』という言葉は、欠点や誤りを
指し示す言葉である」ということです。

私は指摘することと、批判・非難することとは、
別のものだと思っていましたが、同じようですね。

ゴハン粒が頬に付いているのを見て
「ついているよ」と言うのも、
指摘のようです。
つまり、ゴハン粒が付いているのは、
あってはならないこと、なので
「指摘する」となるのでしょうか。

さて、指摘する・・・マナーでは。
「指摘してください」と本人が相手に
依頼することなんですね。
論文を書いて「なにか気になるところがあったら、
指摘してください」とお願いする。ような感じ。
依頼されていないのに「指摘する」のは、
失礼である。という面もあるようです。

ある人と話をするとき、私の場合は
その個人に向けて話しているのではない
・・・のですよ。

だって、その個人なんて。知らないもん。
どんな考えを持っているかとか。
どういう人かとか。
どうなって欲しいという
希望も期待も持っていないし。

自分自身はまったくの白紙で
「これは、どうなんでしょうか」と。、

「自分に話しかけられた」
「自分の書いたものに対して、物申している」
と思うと、肯定されたというのや、
否定された・非難された。となることは、
よくあることなんですね。

でも、ただ単に「そこにある問いかけ」とか、
「問題点」とかに対して、相手が話しかけて
いると思うと、自分と言う色々なモノを
取っ払って、検討できるのです。

私は自分が書いたものでも、誰かが、
それに対して「あーのこーの」と言っても
「自分に対して」何か言ってきている。
とは受け止めていませんね。

ある文章があって、それに対しての、
相手のご意見だったり、するわけで。
変なんですけど「自分が話しかけられている」
と感じてません。

そうであればこそ、損得なし・条件付け・恐怖なし
批判が入ることもなく~
・・・まっさらの場でソレそのものを検討しあう。
が出来ると思うのね。

何事にも「自分を入れない」で、見る。
それが、ただ事実だけに向き合う。
ということ、じゃないかな。

私の場合、よく使う言葉は「提案する」
なのですね。苦肉の策ですけど。
そして「これこれは、これもありますが、
どうでしょう?」みたいな。
否定するのではなく、提案する方向。

ただ否定しても建設的ではないのね。
言われた方も、なにを指摘しているのか
分からない? では意味を成さない。
ただ「お前は悪い」と責められた
感じにもなるでしょうね。

ひとつの問題を「アナタの問題」にするのではなく、
お互いの問題としてコミュニケーションする。
・・・って、大事じゃないかな。

言葉は、正しく相手に伝わってこそ
道具として使えるもの。かな。
言葉って、簡単に人を傷つけることの
出来るものでもありますね。