仏教では、
入我我入、
という表現がありますね。
帰命
(心に浮かぶ眼前の如来に自分の存在を
余すところなく投げ入れていく)
勧請
(自己を完全に無にして、自らの心に如来をお迎えする)
全托
(自己を解放し一切を如来にお任せする)
如来顕在
(自己の存在の全てに如来が顕れる)
この状態があって歓喜がない。
ということは、なさそうです。
そうしてみましょう。と言われて
そのまま、何も考えずに
やってみると、できる。
しかし~ですね。
これがまた・・・
如来様を自分の中に入れられるか。
如来様の中に、飛び込めるか。
・・・
「こんな自分で、いいですか?」
という不安や、恐怖があると。
無になって、できない~。
なんてことが、起きるんですね。
「こんな自分を知られたくない」と
隠しているものがあると。ね。