過去の投影として今現在を見ている。
ということを過去で生きるという。
それと、現在進行しているものごとを、
リアルタイムで見ていない
ということがあります。
つまり思考は、終わったものを
「こういうことが起きた」
というふうにしか見れないもの。
ものごとの瞬間には、立ち会えない
仕組みがあります。
思考は常に遅れてくる。
そして、こういうことが起きた。
というふうに、説明しているのです。
ほんの0.何秒の誤差。ではあるが。
それでは、今現在のことに、
瞬間瞬間対処しているのは、
何者でしょうか? となりまして。
ちゃんと物事に対してあるように、
なるように、対処されているのに、
思考は「後から」失敗しそうだとか成功するとか
これは損になるとか得になるとか、正しい間違いだと、
やっているのです。
そこで、実際に起きていることと、
自分の認識に当然ズレが起きます。
このズレが、思い込みや、独りよがりの元。
では、どう生きたらいいのか~ですが。
過去の事でも未来の事にしても、
判断をいれて見ないこと。です。
過去にあった事は、
あるべくしてあったこと、
起きるべくして起きた事なんです。
いっさい、間違っていない。
それが理解されると、
いまに生きることになります。
いまは否定されない。
これからもすべて肯定されるものです。
・・・そこで。そうであり。
どこにも問題は無い。
問題は起きてこない。。なのです。
それが開放された生。であり、
最初にある自由です。
おきて来ることを、一切、オッケーと受け取る。
という行為に転じると、案外「困った」ということがない。
どこからか助けが来たりするんです。
それこそ、思っても見なかったことが、展開します。
そこが、成り行きのまま流されて生きると
「つまらない生」というのとは、まったく別の、
任せて生きる。となるのです。
現象それ自体が見せてくれるものを、
ワクワクして、いきいきとして・・・。