なにか失敗して、
「ごめんなさーい」と言う。
これ。
何に向かって、言っているのだろう。
と、考えてみました。
したことで、誰かを傷つけた
としたら、ごめんなさい、です。
したことの責任を自分で取れない
というときも、ごめんなさい。です。
しかし。
失敗をフォローできるのなら
誰に対して、謝るのか。
失敗なんてするはずがない
と思う人の「期待を裏切って、ごめん」
なのかも知れない・・・。
物理的には、処理できるけれど
心理的にあるものに対して
処理しきれないことがある。
のだろうか。
で、処理できるなら
単純に「失敗」と言えるものでもない。
ただ、そこには、あるものが、こうである
という現象があり、事実がある。
それがあったことで、大きな気づきが
あったとしたら、あって良かったことにもなる。
つまりは、
どういう処理をするか。
そこに問題がある。
だから~もしかしたら
謝るという行為は、処理からの退避・・・。
わたしには、責任がとれません。
ということ?