江~姫たちの戦国~ 第1話 その背景 浅井家三代~姉川の戦い~そして滅亡 その2 | テレビ番組 時事ネタなど書いていきます。はい。

江~姫たちの戦国~ 第1話 その背景 浅井家三代~姉川の戦い~そして滅亡 その2

大河ドラマ 江~姫たちの戦国~ 第1話 「湖国の姫」
大河ドラマ 『江~姫たちの戦国~』 第1話
その背景 浅井家三代~姉川の戦い~そして滅亡 その1


これらの記事から続いております…



足利義昭を奉じて上洛した信長は、
もちろん、彼をお飾りとしてしか考えておらず、
実権は信長が持ち続けていました。
信長の力により、第15代将軍にはなったものの、
自らが傀儡に過ぎないと気づいた義昭は、
信長の以前に身を寄せていた朝倉氏と通じるようになります。
また、信長はその立場を明確にするために、
朝倉義景に対し、上洛を命じ臣下の礼を強いてきました。
それに従わない義景。
そして、義景との繋がりを強くする義昭。

こうして、織田信長の朝倉討伐が始まり、
浅井長政の元にも参戦が命じられます。

先々代の頃に恩があり織田家以前から同盟関係の朝倉家、
そして、義兄・信長との板挟みの長政。

隠居の久政は元々、信長との同盟には反対だった事もあって、
朝倉家につくようにと意見します。

ドラマでも描かれたように、
長政は信長から離反、朝倉家との同盟を守るんですが、
その理由が謎です。

一番よく言われているのは、
義理堅い長政は、先々代の頃に六角氏との戦いで世話になった朝倉家を、
また、信長は市の輿入れの時に交わした約束を反故にしているので、
そういう理由からも朝倉家と共に戦うことを決意した、というもの。

ただ、実際、この時点での朝倉家と浅井家の繋がりは、
そんなに強いものだったのだろうか、という疑問があります。
記録がないので、先々代の時代に対六角氏において、
朝倉家がどのような役割を果たしたのかが不明ではあるものの、
何かしらの世話になっていたとしても、
既に長政は朝倉家と一定の距離を置こうとしていたのではないでしょうか?
その証に、15歳、元服の時の六角氏からの独立戦争では、
数的不利にもかかわらず、朝倉家には援軍の要請をしていません。
そうであるならば、今更、朝倉家を助ける義理も薄いとも考えられます。

義理の他に考えられる理由としては、
織田信長勢力の急成長、もしも、越前朝倉を信長に押さえられると、
琵琶湖以外周囲全て織田勢に取り囲まれる形になってしまいます。
また、同盟締結時には対等であった同盟関係も、
上洛後には主従関係に近いものとなり、
浅井家としては、北近江のみならず、
近江全体を所領としようと考えて信長と結んだのに、
既に、織田家は近江他家とも結んでいて、
それも叶わぬ夢となってしまった。

それよりも何よりも、朝倉家と共に信長と戦ったならば、

勝てる

という自信があったのかもしれません。
長政が信長との戦に「勝算あり」と見ていたならば、
それはあながち間違いではなかったと思います。

ともあれ、何らかの理由で信長と戦うことを決意した長政でありました。



さて、約束を一方的に反故にしての朝倉攻めの信長。
金ヶ崎城を織田徳川連合軍が攻撃します。
攻略も目前かと思われた中、
織田信長の元に一報が届きます。

浅井長政、離反

この報に信長は当初、それを真に受けようとはしなかったらしく、
しばらく、その場から動かなかったとか。
妹・市を娶らせた義弟が裏切る事など信じられなかったようです。
しかし、我に返った信長は、
殿軍を明智光秀・木下秀吉に任せ退いています。

なぜ、信長は長政の離反を知ることが出来たのか?
それが一昨夜にもお書きした

夫・長政のこの決意を知った市は、
悩んだ末、兄・信長への使者を送る。
手紙は書けない。
もしも浅井の者に見つかれば全てが露見してしまう。
そこで使者に持たせたのが小豆の袋。
上下両端を紐で縛った袋で、浅井と朝倉両軍で、
織田軍が挟み撃ちにされることを伝えた…


とするお市の方が兄に知らせたとするものですけれど、
織田軍との開戦後も浅井家に残り続けた市ですから、
ちょっとありそうにないかなと思っています。
元服した長政が、六角氏から独立した時も、
送りつけられた妻を送り返しているように、
こういう場合は、妻を里に送り返すのが普通のようなんです。


とにかく、裏切った人間を決して許さないのが信長。
浅井家を滅ぼすべく準備を進めます。
一方、長政も朝倉義景に援軍を要請、
義景は2万の兵をよこしています。
浅井軍と合わせれば2万8千。
数では織田勢と渡り合えるはずです。
しかし、義景は信長が来ないことに焦れたのか、
越前へと帰ってしまい、兵も退かせてしまいました。

ここで仕掛けてくる織田信長。

火を放つなどして、
小谷城から姉川にまでおびき寄せた浅井軍との戦闘になります。

いわゆる姉川の戦いです。

織田軍に徳川軍が加わり、
また、朝倉義景もその一報に再び援軍をよこしますが、
なぜか義景自身ではなく、一族の景健を総大将にし、
さらには2万だった兵も、1万に目減りした状態での援軍です。
とはいえ、それでも徳川軍5千余りと当たった朝倉軍は
数の上では有利な状態での開戦です。

他方、朝倉軍と徳川軍の東では、浅井軍が織田軍との戦闘。
こちらは浅井軍8千、織田軍2万と圧倒的不利でしたが、
浅井軍は勇将・磯野員昌の活躍などにより、
織田軍全13隊のうち、11隊までを突破したとも。
戦局は浅井軍優勢へと傾いていきます。

一方、朝倉軍は数では徳川軍よりも上回っていたものの、
義景が戦場にも出ていなかったためか、
こちらは徳川圧勝の形勢に。

浅井軍が織田軍を圧していた頃、
側面から徳川軍が襲来、
形勢は逆転し、浅井軍は小谷城への撤退を余儀なくされます。
この姉川の戦いは夜明けから始まり、
昼過ぎまで続いたとされ、浅井・朝倉方の死者は1800、
織田・徳川方は800人が死んだとされています。
そして、現在もその死屍累累の血に染まった姉川の名残として、
付近には「血原」「血川」という地名があるそうです。


敗れた浅井長政。
しかし、まだ望みは残されていました。
比叡山の僧兵、石山本願寺の一向衆です。
彼らと浅井・朝倉は合力し、織田勢に当たり、
信長は弟・信治、森可成(蘭丸らの父)を失っています。
これに手を焼いた信長は、比叡山を焼き打ちにしてしまいます。
死者は3~4千人とも。

その後、浅井家のみを相手にしている訳にはいかない信長は、
石山本願寺や三好三人衆らと渡り合い、
これら裏で足利義昭に繋がる勢力と戦うことになります。
義昭は、六角義賢もこれら信長包囲網に加わらせ、
ついには甲斐の武田信玄をも動かします。

しかし、信玄は上洛途上に病死、
義昭はそれを知らずに戦端を開くものの、
敢えなく降服してしまいます。

ここに、織田信長は浅井・朝倉のみに
狙いを集中させることが出来るようになりました。

まずは木下秀吉が、姉川での浅井方の勇将・磯野員昌を
内通の風説にて離間、投降させる事に成功し、
磯部員昌が守る支城を含め、
周囲の支城を着々と手中に収めていき、
さらに浅井軍の力を奪います。

これらの周到な手順を踏んで、
織田軍が浅井家を襲いますが、
織田軍の行軍中、長政からの援軍要請で小谷城へ向かっていた
朝倉義景の軍、2万と遭遇し、開戦。
ここで義景の軍が総崩れになり敗走、
そのまま織田軍が追討し、義景は自刃。

籠城する浅井長政にとって、
唯一の頼みの綱は、朝倉軍の来襲に合わせて開門し、
双方で織田軍を挟み撃ちにすることのみでした。

その望みが、既に絶たれてしまいました。


朝倉軍を打ち破った織田軍が小谷城にやってきます。
敗戦は決定的です。
それでも、降服しなかったのは、
長政の意地でしょうか。


織田信長の小谷城攻略が始まります。
が、その前に、長政と秀吉の間で会談がもたれたのか、
それとも書簡によるものなのかは不明ですが、
一つの約束が交わされたとも言われています。

市と茶々、初、江の娘たちの処遇です。

その約束により、
彼女たちは小谷城から逃がされることになりました。


実は、信長は長政の助命を考えていたという記録もあります。
ただ、長政は度々断った上で、
父・久政の命も約束してくれるならばとの条件を付けて返事していて、
信長は久政の命も助けると約束したものの、
その時には既に久政は自刃していたため、
それが叶わなかったとも。
あるいは、それ自体が信長の罠だった、とも。


そして、浅井長政、自刃。


長政には3人(?)の男子がいました。
女子の命は助けられても、
男子はそういう訳にはいきません。
命を奪われることになるので、
織田軍が小谷城に到来するまでに逃がしておいたようです。
しかしながら、長男・万福丸は
余呉湖に隠れているところを織田勢に見つかり、
磔にされ串刺しに。

この時、まだ10歳でした。

そんな時代です。

また、次男(あるいは三男)万寿丸は寺に匿われ、
その寺の住職に(または豊後細川藩を頼る)。
もう一人、喜八郎という男の子がいたともいわれ、
その子は各地流浪の後、姉の初の元で出家、
そして、500石の客分として過ごしたとされます。


戦後、織田信長は浅井長政と父・久政、
そして、朝倉義景の頭蓋骨を酒肴に宴をあげたとか。
それを杯にして信長が酒を飲んだという話があるものの、
彼は下戸でした。




以上、1回の放送にまさかの3日がかりの長文となってしまいました。
いつもよりも増して、
まとまりのない記事にお付き合いいただいた方々、
お礼申し上げます。

なお、資料に当たりながら作成しましたが、
何かございましたら、ご指摘下さいませ。








ねてしてタペ

(資料ごとに記述が違いすぎる…)