江~姫たちの戦国~ 第1話 その背景 浅井家三代~姉川の戦い~そして滅亡 その1 | テレビ番組 時事ネタなど書いていきます。はい。

江~姫たちの戦国~ 第1話 その背景 浅井家三代~姉川の戦い~そして滅亡 その1

現在、戦国時代の勉強中です。
というよりも、まずは室町、足利時代について勉強しています。
この戦乱の世の中に至る背景を理解するためには、
足利時代の理解なしには無理だろうと考えたからですけれど、
そもそも、戦国時代と呼ばれる現時点での大河の時代でも、
まだ足利時代でもあるんですよね。
そんなことも、わかっていたような、
わかっていなかったような私です。



さて、主人公出生前とはいえ、
あまりにもざっくり描いていた浅井家滅亡でしたので、
そのあたりを考えてみたいと思います。


浅井氏が北近江に覇権を築いたのは亮政の代でした。
仕えていた守護大名、京極家の跡目争いに乗じて台頭し、
小谷城を拠点に湖北一帯を支配下に置きます。
そして、南接する(京極家本家筋の)六角氏と一進一退の攻防を繰り返しています。
この頃、北陸の朝倉家と同盟を結んでいます。

この浅井亮政が長政の祖父にあたります。
諸侯がこの北近江の小国を重要視していたのは、
この地が、京の都へ、東海地方へ、北陸地方へと、
その途上の要衝であったから。
亮政の死後、家督を受け継いだ久政は、
父・亮政とは違い、内政面にその力を発揮したようで、
この間、宿敵であるはずの六角氏との戦闘はみられず、
さらには、六角氏の伊勢進攻戦にも参加していることから、
ついには六角家配下の浅井家になっていたのでしょう。

しかし、先代の亮政の頃をよく知る家臣たちには
その姿勢は軟弱とも受け取られていました。

そんな頃、嫡男の新九郎が15歳になり元服。
元服とともに、六角義賢から縁談が持ち込まれています。
六角義賢は当時の六角家の当主で、
嫁はその家臣の娘。
その頃の浅井家の立場では、久政の六角氏に対する融和策のために、
それを断る力はなく、また、新九郎は賢政と名を改めさせられています。
この賢政の「賢」は六角義賢の一字。
六角義賢は、浅井との主従関係を明確にしておきたかったようです。

久政の代になり、先代に武勇で仕えた者たちの多くが冷遇されはじめ、
その面でも不満が募っていた頃に起こった、この婚姻と改名。
ついに、配下の者たちが決起し、嫡男・賢政を担ぎます。
すぐさま、嫁と"賢政"の名を六角氏に返上、
六角氏に対し、戦闘を仕掛けます。

以前から、知勇に優れていることが知られていた浅井新九郎(元に戻った)。
浅井軍1万1千、六角軍2万5千と、
数的不利をものともせず、15歳長政が率いる浅井軍が圧勝、
こうして、久政の代になってから従属関係にあった六角氏から独立を果たしています。

そして、この戦の結果、家臣たちは
当主・久政を琵琶湖の小島、竹生島に追放、
強引な形で隠居させてしまいました(間もなく小谷城に戻る)。

そして、新たに当主となったのが新九郎。
彼は新九郎から長政へと名を改めています。

浅井長政

浅井長政の代になり、
浅井家は戦国大名の一つとして数えられることになります。

ただ、この時期がどうやら明確ではないようで、
それは、市の輿入れの時期が明確でないのと関わりがあるかもしれません。

長政の"長"は信長の一字だとする説があります。
だとすれば、市との婚姻とともに、
名を改めたということなのでしょう。

時期は不明確ながら、
この頃に織田信長から同盟の打診を受けています。
浅井家家中では、賛否両論。
先々代から同盟関係にある朝倉家と信長が不仲であること、
逆に、既に朝倉家には、先々代の頃のような力はなく、
織田家との繋がりを強くした方が浅井家の将来は安心出来る、と。
結局、長政の判断で同盟が成立、信長の妹・市を迎え入れます。

この時に約束があったらしく、
ただ、その約束というのがはっきりしないんですが、

・同盟がある限り朝倉を攻めない
・攻める時には一報を入れる
・攻める時には長政が調停役になる


などと、微妙に話が違うんですけれど、
そんな約束があって、信長は誓紙も入れていたようです。
そんな関係ではありましたけれど、
長政は義兄信長を得たことを、
心の底から喜んでいたともいわれ、
また、信長も知勇で誉れ高い長政を身内に出来たことを喜び、
実の兄弟かのような二人の姿に、市も幸せだったとも。

市


そんな三者の関係でしたが、
間もなくそれも壊れてしまいます。

約束を一方的に反故にして
信長が朝倉討伐を開始したからでした…


大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」 第1話
その背景 浅井家三代~姉川の戦い~滅亡 その2
へと続きます…





ねてしてタペ

(…続いちゃいます)