酒井駒子さんの、静かでやわらかい、油絵のようなタッチ。


じっと見つめていると、どこかヒンヤリとするような、


奥行きの深ささえも感じ、いつもドキドキしてしまいます。



当ブログでも、これまで『よるくま』『よるくま クリスマスのまえのよる』 など、


酒井さんが手がけた作品を紹介してきましたが、


今回は、クリスマスの絵本クリスマスツリークリスマスツリー として、


『ビロードのうさぎ』を紹介したいと思います。


ビロードのうさぎ/マージェリィ・W. ビアンコ


作者は、マージェリィ・W・ビアンコという、ロンドン生まれの女性作家さん。


彼女は結婚してからアメリカに渡り、


たくさんの童話を生み出しました。


この『ビロードのうさぎ』は1922年に出版されたもの。


オリジナルのウィリアム・ニコルソンさんの絵は、


読者である子どもたちに親しみやすい、


素朴な色合いのタッチで、これまた素敵。


コチラがオリジナルです。 日本語版は石井桃子さんが訳をつけています


↓ ↓

ビロードうさぎ/マージェリィ ウィリアムズ




さあ、肝心のストーリーですが・・・・・・



クリスマスの夜、ぼうやのもとに、


くつしたの中にプレゼントとして入っていた、


ビロードでできたうさぎのぬいぐるみがやってきます。




おおよろこびのぼうや。


だっこしたり、なでなり、うさぎとたくさんあそびますが、


月日が流れ、いつしか、うさぎはわすれられ、


ほかのいろいろなおもちゃといっしょに、こどもべやのすみっこで


くらすことになります。



きかいじかけのおもちゃたちは「じぶんたちこそ、ほんものだ」


とアナログのぬいぐるみをばかにしますが、


うさぎには、「ほんもの」の意味がわかりません。



そんなうさぎに、ウマのおもちゃが、やさしく声をかけてくれました。



「ほんものというのはね、ながいあいだに


子どもの ほんとうの ともだちになった


おもちゃが なるものなのだ。



ただ あそぶだけではなく、 こころから たいせつに


だいじにおもわれた おもちゃは ほんとうのものになる。



たとえ そのころには ふるくなって


ボロボロになっていたとしてもね。



おまえさんだって そうなるかもしれないよ。



子どもべやには ときどき まほうが おこるものなのだ」




思わず、ウマのことばを、全文紹介させていただきました。


それほど、私は、この絵本のなかで、


このウマの一言がとても大きな位置をしめていると思うのです。



さあ、ウマの言うように、


果たして、子どもべやのまほうはおこったのでしょうか???



そうなんです。


キセキのような瞬間がおとずれ、


ビロードのうさぎは、再び、ぼうやに愛され、大事にされ、


本当の友だちのような存在になりました。



しかし、年月が流れるうち、


うさぎにとって、この上ないほどくつらく、せつないときが


おとずれ、ぼうやとの別れがやってきます。



親友だったのに・・・


家族と同じぐらい、大切だったはずなのに・・・


どうして? どうして?



小さなうさぎの心の中を思うと、


読んでいるこちらも、


胸がしめつけられます。


クリスマスの絵本が、そんな悲しい結末だなんて、


せつなすぎる!


と思われた方、もちろん、マージェリィさんは、


私たちの胸にすとんと落ちるような、


穏やかでやさしい物語に仕上げてくれています。




たくさんのおもちゃに囲まれている、いまの子どもたち。


同じく、


たくさんの便利な道具に囲まれている、いまの大人たち。




どのおもちゃが、あなたの「ほんもの」ですか?


どの道具があなたの「ほんもの」ですか?


いや、「ほんもの」かどうかなんて、考える前に、


次から次へと、新しいものを求めてしまっているのかもしれません。