地上生活の出来ごとには必ず目的があります。地上生活には偶然というものは何一つないのです。
私たちはあなた方と正反対の見方をすることがあります。肉体の死は霊の誕生という見方をします。混乱状態を進歩と見なし、人間が進歩と思っていることをわざわいのタネと見なすことがあります。
永遠を物的なものさしで計っても満足のいく解答は得られません。
たとえば、なぜ苦しみがあるのか。いたいけな子供がなぜ苦しまねばならないのか。痛み、病気、面倒、危機、こうしたものがなぜあるのか。
そういう疑問を抱かれるようですが、それもすべて霊の進化という永遠の物語の一部なのです。
その中には地上に誕生してくる前に、みずから覚悟しているものもあるのです。
霊的な身支度を整える上で学ぶべき教訓を提供してくれる、ありとあらゆる体験を経ないことには成長は望めません。とどのつまりは、それが存在の目的なのです。
光の存在に気づくのは暗闇があるからこそです。もしも暗闇がなければ、光とはいかなるものであるかが分かりません。
埋め合わせと懲らしめの原理というのがあります。神は厳正なる審判者です。差し引き勘定がきっちりと合わされます。決算書を作成するときが来てみると帳じりがきっちりと合っています。
どうか同情心はこれからも持ち続けてください。しかし同時に、見た目に気の毒なこと、理解に苦しむことの裏側にも必ずちゃんとした意味があることを理解するようにつとめてください。
シルバーバーチの霊訓(八)