I am a MOON RIDER
今日の金スマは最近発達障害をカミングアウトした栗原類クンをゲストに迎えて、同じ発達障害の野田あすかちゃんの話題をとりあげてましたね。素直にいい企画だったなと思いました。実は「のだめ」のモデルは彼女だったなんて話しも出て二ノ宮先生すごいじゃん!なんて・・・笑自伝漫画見てるかぎりそんな感じには見えなかったけどやっぱり人気漫画家だ。さて、あすかちゃんはというとピアニストとしても有名。☆広汎性発達障害、解離性障害が原因で、いじめ、転校、退学、そして自傷、パニック、右下肢不自由、左耳感音難聴などで入退院を繰り返してきたピアニスト。4歳の頃より音楽教室に通い始め、ピアニストの道を志すようになるが、子どもの頃より人とのコミュニケーションがうまくとれず、それがストレスとなり、たびたび特異な行動をとる。そんなときも、大好きなピアノがあすかの心の支えになる。22歳になるまで「発達障害」とわからなかったため、家族や周囲の人は困り、悩まされたが、あすか本人も「どうして、まわりの人とうまくいかないの?」と悩みつづけてきた。恩師となる田中幸子先生と出会い、自分の心をピアノで表現することができるようになる。2015年5月、両親とともにその頃の気持ちをつづった初の著書を上梓。同時に発達障害の人の気持ちを歌った自作曲「手紙〜小さいころの私へ〜」「生きるためのメロディ」を発表し、付属CDに収録した。たくさんの試練をのりこえてきたことで、あすかの奏でる「やさしいピアノ」は多くの人の感動をよんでいる☆公式サイトより公式サイトにもあった通り、自分の気持ち「うれしい、ねむい、がんばろうetc」を即興で音階にしてピアノで表現します。すごい才能。発達障害の特徴のひとつに「ひとつのことに一心不乱に集中して、時としてそこに才能が目覚めたりする」という傾向がみられたりします。その分、そこから離れると極端に注意散漫になったりもします。そんな時は見守る人が必要になるんですが・・・もちろん、確かに周りの人達は大変だったりもします。どんなことでも納得させてあげる必要があったり・・・そんな場面がとてもストレートに表現されていた番組構成になってました。いろんな人が発達障害の一面(ほんとに一面)を分かったと思いました。でも、それでいいと思うんです。発達障害は病気なんかじゃなく、一つの才能だとボクは思います。というか、なにをもって普通の人なんでしょうね。考え方によっては人間みんな障害者という見方もできます。なんてことをだらだらと書いてきましたが、本当に思っていたのはパラリンピックの時に騒がれた「感動ポルノ」という言葉。流行語のように広がって、今や忘れられてしまっているだろう言葉。あらためて考えるにはいい番組だったと思います。あすかちゃんは今22歳。でもちょっと幼く見えます。ボクが行ってるプールのチームはほとんどが発達障害と呼ばれているメンバーばかり。いつも思うのが、どうして一般的な年齢なりの見た目(すごく若く見える)のはなんでなのかな~ふしぎ。ま、それはいいとしてあすかちゃんの演奏もあげておきますね。本はここから買えますよ。興味のある方はぜひどうぞ!発達障害のピアニストからの手紙 [ 野田あすか ]価格:1,836円(2016/12/3 02:50時点)感想(0件)
ふと思ったことと言っても今日に始まったことじゃないんですが、いつも通り車椅子をコロコロしてたとき「なんだか、慣れたな-」と思ったと・・・確かに始めの頃はいろいろ大変だったような気もしますが、それなりに慣れてしまいました。多分、どんな人でも経験はあると思いますが最初は面倒でもやっているうちに当たり前になってしまうみたいな・・・スポーツの世界でも10年前はすごいことも時間が経つとそうでもなくなったりします。だから、出かけたときに階段なんかあっても「あー困ったな-」くらいにしか思いません。そりゃあ、通りやすい道ならうれしいですけど。最近はお店とかも考えてくれているところが多くて、設備は作り変えられなくても店員さんがドアを開けてくれたり、ファーストフード店もテーブルまで運んでくれたり。そんな体験をすると素直にうれしいんですがその気持ちだけはいつも新鮮です。逆に市町村の取り組みは今ひとつだなとも思いますけどね。それとイベント関係かな・・・先日の介護、福祉、健康関係のものなんかは通路が車椅子同志がすれちがえない。イベントの趣旨を考えたらちょっと配慮不足。まあ、そんなことくらいですね。結論、慣れてよかったなということなんです。加えて感謝することがこの歳になってよくわかりましたwwwただ、今だに夢を見るときは必ず普通に歩いています。やっぱり願望があるんでしょうか笑
天気が毎日コロコロ変わるのもこの季節ならではなんですが、できれば小春日和が続くとうれしいですね。ま、今日は雨でした。こんな時、車椅子は困るなーといつも思います。当然傘はさせませんから基本濡れるまま。辛いのが腿が濡れることと、車椅子のファブリック部分が濡れること。車椅子用のカッパもありますが、なんか一昔前の自宅サウナみたいだしタイヤが巻き込みそうで怖い。例えば、楽天で売っているのはこれ。ケアーレイン(9096)【介護 車いす用レインコート 車椅子 レインコート 高齢者 老人 敬老 車いす 雨合羽 レインコート 車椅子 ポンチョ 車椅子用 かっぱ 車椅子 カッパ 車椅子用カッパ 防水 雨合羽 レインコート 車いす用 シルバー 人気商品 車椅子 かっぱ エンゼル】価格:8,910円(2016/11/19 23:35時点)感想(0件)車で言うバルケッタというかスパイダーというか折りたたみ式の屋根もあるんですがそんなものは普段持ち歩けない。こんなの季節的に冷たい雨ですから、でかけなければいいんですがそうも言ってられない時もあるわけで。最近はネット通販も定番化しているので買い物なんかはそれで済ませられるんですが遊びに行くとか病院とか外食とか・・・でも、雪よりは良いのかもしれませんね。積もった日には完全にスタック、晴れていても消雪パイプの水で足下はずぶ濡れですから。と今まで長々と書いてきましたが、本当に言いたいことは雨や雪のことじゃなく、店舗に備え付きの車椅子のことを言いたかったんです。今日はやっぱり最初濡れてしまったので出かけ先に設置されている車椅子を使ったんですが。設置されているだけいいとはとても言えない状態の車椅子。ステップは固定がゆるくてくるくる回るしどんどん下に落ちて地面に擦る状態、タイヤのリムはこいでいるうちに手は真っ黒。タイヤの空気が入ってないのでやたらとタイヤが重い・・・これだけじゃないんですが、ボクんちの近所のスーパーです。かといって、病院のものもほめられたものじゃないですが、まだマシかな。まだまだ、改善すべきところはいっぱいありそうです。
ブログ、なんだか久しぶりだなぁと思ったら先週末は風邪でダウンしてました。と言うか、昨日まで・・・いろいろな関節が痛くなったのもあって、1ヶ月位前から痛かった左手首もかなり痛い。熱もありましたが痛いので整形外科へ。ちょっと診察してもらって「あ~腱鞘炎だね。なんか身に覚えがある?」「いや、車椅子かな~・・・」「あ、車椅子腱鞘炎だね~」「あ・・・そーですか」と、まるで友達のような会話で終わり。知ってるお医者さんだったんで。笑「注射打つ?」「いやです」そんな感じで痛み止めをもらって。多分間違いなく車椅子が原因なんですが、こぎすぎというより乗り移りのせいだと思うんですよ。そろそろ車椅子生活も2年になるので大抵のことはできるんですが、そのせいかやたらといろんなことをしてしまう。外でテーブルにつく時は椅子に乗り移る。(乗り移ることを移乗と言いますが)ベンチがあれば移乗しちゃう。本屋さんでハンドサポート(手すり)に腰掛けて本を取っちゃう・・・などなどでも、一番左手に負担かけてるのは、ベッドから車椅子、家用の車椅子から外用の車椅子、への移乗。まるっきり座面が対面しているので身体を180度回転させないといけない。その時に左手が必ず支点になるという・・・腱鞘炎にもなるわけです。なので皆さん、車椅子の人が移乗するときは並行移動が原則ですから覚えておいてください。って、自分はどーするんだ!wwwでも、家の構造だったりいろんな理由がありますからね。できれば、一軒家の方は玄関前の階段はスロープ化、もしくは手すり増設は頭の片隅に入れといておいたほうがいいかもです。
なにを今さらバリアフリー・・・って感じですが、そもそもこのブログがそんなブログなのでこんな内容が多くなるんですが。今回はちょっとした実体験を元に思ったことがありました。今日のお昼に某うどん屋さんでうどんを食べたんですが(ちなみにそばよりうどん派)前から行こうと思っていて行かなかった。車椅子で困る(躊躇する)のが外食。先ず入り口が階段だとキツい、テーブルじゃないとキツい、通路が狭いとキツい、トイレが狭い(ボクの場合広ければ多目的じゃなくても大丈夫)とキツい、などなど。だから、いつも同じところになりがち。ボクは結構開拓派なんですが・・・今日行ってみると、時間的に仕方なかったんですがやっぱり混んでる。入り口狭い・・・おまけに入り口前の通路に柱が立ってる。 車椅子がギリ通れるかって感じです。もう80%はあきらめながら店の前で様子を見ていたら「はい、こっちから入って!」と車椅子を押してくれる人が。誰?お店の従業員のおばちゃんでした。「こっちから入って席について待ってて。 何食べたい?」出口専用のドアから入れてくれた上に席まで押してくれました。カウンター席のお客さんをつめてくれてスペースまで作ってくれました。テーブルが空いたら今度はそこに移動するように言ってくれたり・・・後で気づいたんですが、そのおばちゃん天麩羅あげてるおばちゃんでした。 天麩羅鍋が窓際だったんでボクに気がついたんでしょうね。でも、天麩羅は大丈夫だったのかな、なんて心配したりして。ま、当然そんな店なら気持ちよく食べれました。帰りの「また来てね~」 「はーい」のやりとりも当たり前。そんなことがあって、改めてバリアフリーって設備も大切だけど障害者1人1人に100%の設備はありえない。ホントのバリアフリーって人の心にあるもんだなと再確認したという話です。あと、障害者の方も設備が十分じゃないからとか道路事情が悪いからとか、自分でバリアを作ってしまうことのないようにするべきかなと思いました (*^_^*)
世間ではいろいろ熱い闘いが繰り広げられてますが・・・とにかく寒い (>_<)寒いと困ることがいろいろ出てくるんですが、そんなことをポツリポツリしゃべってみましょうか。先ず着るもの。 と言うより装備するものと言った方がいいかも。厚手のものを単純に着るわけにはいきません。ジャケットは大抵ツルツルの素材が多くて、それだと座っていて滑っちゃう。あと、長めのものはお尻の下にして座ると、これまた滑ったりつっぱったりする。それもそうですが、着るのに時間がかかる。今の状態になる前は出かけるのに5分かからなかったのが、30分は楽にかかる。これで雪なんか降ったら、いっそ出かけないってことにもなります。冬場の雪、加えて消雪パイプは障害者には辛いところ。障害者がひきこもりがちなのはこんな理由もあるんですよね。それでもなんとか出かけたとして、次は気温。立って歩くのと車椅子とこんなに体感温度が違うのか!ってことは障害者になって実感したこと。特にスーパーなんかの生鮮コーナー。 逃げたくなります。笑地面の近くは夏は暑いし冬は寒い!今年は気のせいか寒くなるのが早いようなのでちょっと厚手のパンツ(下着じゃなくて)を買いにいったんですが、試し履きができない。着るものはネットじゃ失敗が多いので実物を見て買うんですがパンツだけは・・・なんとかなりませんかね~。あ、それと上半身がやたらと筋肉が発達しているせいで、上がXL下がMという組み合わせ。なんだこれ?あと、冬とは関係ないんですが、銀行のATMとかコンビニとかの端末、駅の券売機。液晶画面、全く見えません。 もうすこし角度が・・・(T_T)これも、誰かなんとかしてください 笑
過去に何回も取り上げた話題ですが、自分用に関わらず家族の誰かが使うこともあると思うので基本的なことは分かっていた方がよいと思います。まず購入するときはできるかぎりいろんな面から検討した上で購入すること。病院とか、スーパーに備え付けの車椅子によくあるタイプはできれば避けた方が賢明です。自治体から補助金が出るからと言って予算内で安易に選ぶと二次障害を起こしかねません。また、介護認定のレベルによっては補助金も無いかもしれませんが、結局後で困ることは一緒です。重くて積み降ろしが大変だったり上手く走ってくれなかったり・・・一番の問題は乗っている本人が苦痛を感じることでしょうね。それと、オーダーメイド、セミオーダーのいいところは乗っていて、その都度調節やグレードアップが可能です。今回ボクの場合バックサポート(背もたれ)の破れとシートクッションが長時間座っているには辛いので交換するんですが、多分ほとんどの人は車椅子の背もたれというとこんなのをイメージするはず。でも実はこのタイプは最も低機能。折りたたみのパイプ椅子に一日中座っているようなものです。 もしくは軽トラックのベンチシートで走りっぱなし的な感覚。できればホールド性のいいしっかりしたシートがいいですよね。車椅子の場合も一緒です。構造も非常に複雑で、少なくとも3層構造になっていてテンション調節やホールド調節が可能。座面も同様ですが、最も重量がかかるのでクッションが大事になります。ウレタン、ウレタン多層、エアー、ジェルetc今回はウレタンの特殊反発のものを選びましたが、これだけで3万円!でも身体の痛さには変えられません。シート合わせに1週間かけました。それでも短い。スキーをやる人なら分かると思いますが一日中スキーブーツは履いていられません。それでも一番フィットするタイプを選ぶには一日かかります。 それでも痛くなります。話しは戻って、車椅子の調整の最中に取り外し型のタイヤへの交換も考えましたが予算オーバー。 次回ですね。ここまで聞いているとオーダータイプの方が維持費がかかるじゃないかと思う人もいるでしょう。確かに・・・でも車検よりはずっと安い。(無理があるいいわけ?)レディメイドはあくまでその場しのぎだと思って間違いはないというボクの見解。フルマラソンに長靴を履いて出場するみたいなものです。それでも、いろんな事情でレディメイドにしなければならない場合もあるでしょう。そんな時はせめて車椅子専門の業者さんに相談することをおすすめします。自家用車を購入するときにカタログを見るだけで決める人は少ないでしょう。それと同じだと思ってください。業者に聞くのが一番、それも親切なところがいいですね。
発達障害という言葉が以前に比べてだいぶ認知されるようになってきました。そして発達障害児(小中学生)の数が全国で9万人を超えて20年前に比べて約7倍に増加しています。そこでこれから書いていくことを読んでもらう前に基本的に知っていてほしいことがあります。ひょっとするとその説明で今回は終わってしまうかもしれません。1 先ず何をもって「発達障害」と呼ぶのか?本当に簡単に言うと、自閉症やアスペルガー症候群、学習障害(LD)、注意欠陥多動性障害(ADHD)などの総称。症状としては、集中力が続かない、意思疎通が苦手、物事を計画的に進められないなどで、脳機能障害が原因とされますが、詳しいメカニズムは分かっていません。ここでひとつ問題があって、これだけの症状の違うものをひとくくりに「発達障害」でまとめてしまうのは日本の特徴だということ。海外ではあまりありません。これに対して論ずるのはやめておきます。(それこそ、これで終わってしまうので・・・)2 「通級指導」という言葉。通級指導というのは比較的軽い障害がある児童・生徒が、特別支援学校や特別支援学級ではなく通常学級に在籍しながら、各教科の補充指導などを別室で受ける制度のこと。みなさんも学生時代、学校にそんなクラスはありませんでしたか?例えば、「特別学級」とか「養護学級」とか。そしてこの比較的軽い障害の増加が注目されているという事実。昔であれば「ちょっと変わった子」や「落ち着きのない子」「カンの強い子」と言われていた生徒が、すぐ「発達障害児」にされてしまう時代となったということです。もちろん、医師の診断の上で。さて予備知識はここまでにします。(まだまだあるんですが)文頭に出てきた9万人という数は実は通常学級に在籍して通級指導を受けている生徒の人数です。そして7倍という意味・・・これは諸説ありますがワクチンなどの薬害障害だとか大気汚染などの環境問題だとか言われていますが子供だけが7倍の増加はこの理由だけでは考えにくいとボクは思っています。予備知識のところで言いましたが、以前は発達障害と呼ばれていなかった児童が現在では呼ばれるようになったのが大きいんじゃないかと・・・「発達障害」という言葉の認知が進んだということそのものなんでしょう。20年前にはスルーされていた子が、医学の進歩の結果か、社会が神経質になったせいかはさておいて、「発達障害」と認められるようになった。まぁでも、これはこれでよいことなんじゃないかと思うんですよね。学校が受け入れているんですからね。それに、自分のその頃のことを思い出してみると、「癇癪を起こしやすい子」や「突発的な行動をとる子」に対して周りはやさしくおおらかな態度で接していたかというと???「発達障害」と認められて安心する親もいるかもしれません。それが子供にとってよい環境であるならです。環境といっても設備だけじゃありません、というより設備は二の次。大切なのは教師、生徒などの人間関係が第一にくるんじゃないでしょうか。実はここからが本題です。受け入れの問題。文部科学省の発表を引用しますが、{発達障害の可能性がある中学3年生は40人学級に1人程度と推計される。だが、入試で特別措置を取った公立高は、全国約3500校のうち12年度93校▽13年度171校▽14年度177校▽15年度126校-と3%程度にとどまる。ある県教委の担当者は「申請がないと対応できない。周知が行き届いていない面もあるのではないか」と分析する。}ですが実際は、あえて申請を見送る保護者もいるんじゃないかと思うんです。目に見えない障害のため同級生の親から苦情を受けたり、教師の無理解から怒られてばかりだったりと、誤解や偏見に悩んだ経験を持つ当事者や家族が決して少なくないんじゃないかなぁ。児童本人の年齢も低いですから選択は親の判断にゆだねられるケースが多いはず。通級指導が「かえって受験に不利になるのでは」として申請をしない親もいるのでは?(ボクの個人的な見解です)そしてもうひとつ、高校などの設備と環境の充実。申請がないから、認知していなかったからなどで片付けていいとは思いません。まして人数が少ないから、義務教育ではないからなんて言語道断。さて、あなたの卒業した高校はどうでしょう? と言っている自分の卒業した高校は対策ははっきり言ってされていません。(-_-)情けないですが、公立校はこの傾向が強い。一億総活躍が聞いてなんとかです。対策としては専門の知識を持った教員の増員やひとクラスの人数の減。つまりクラス100人の中の1人ではなく、50人、40人、30人の中の1人であればきめの細かい配慮ができます。たった1人のためにそこまでできない?ボクはそう思いません。クラス全体の数が減ることで他の生徒にも質の高い学習環境を提供できることはちょっと考えれば分かるはず。逆に分からない教師がいる学校など行かない方がいいとも言えますが・・・・受け入れでは身体障害の場合も同様です。例えば階段。 エレベーターなんて付けなくても方法はいろいろあります。まぁ我が卒業校は玄関から段差で門前払い状態。 ほんとに言葉がありません・・・あ~ (T_T)ちょっと話がそれました。ともかくみんなが「発達障害」というものを理解してよい環境をつくるべきじゃないかなということが言いたいんです。「発達障害」と呼ばれる人の数は確かに全体からみれば少ないです。でも一般の健常者とは一線を画する才能を持つ人が多いのも事実。芸術家と呼ばれる人にそんな人が多いことでも分かります。才能を活かすために大学進学を目指す時に高校卒業は必ず関わってくる問題です。ここの門戸を開いてあげないと・・小泉元首相が「米百俵うんたらかんたら・・」と言っていましたがボクの学校はその流れをくむ学校。古いことが良いことじゃないし、そんなことより未来に向かって先進的な模範校になってほしいし、日本中がそうあるべきだと思うんです。やっぱり長くなりました。 お疲れ様でした。
「自立」ってボクが言うと障害からの立ち直りとか気持ちの切り替えみたいに聞こえますが、一般的には誰に頼ることなく存在することですよね。精神的、金銭的etcといろいろありますがここでは精神的に自立することにしぼります。これは年齢には全く関係なくて、かえって年を重ねたほうがその人自身の生き方がはっきりしてくるみたいです。なんだか死に際に言う言葉で一番多いのが「もっと自分らしく生きたかった」だそうで・・・要するに何にも左右されずに生きてきたか、ということ。これって自分の人生に責任が持てているかってことじゃないでしょうか?まあ、面倒なことはいいとして、自立できない人の特徴をあげてみましょうか。「感謝の気持ちがない」これは何気ないことに感謝できるかってことです。例えばボクなんかだと自分の脚で立って歩けることに感謝すべきかなって思ったりします。「当たり前」は実は「当たり前」じゃないことに気づくことってむずかしいんですけどね。「依存体質」アルコールだったりギャンブルだったり、ともすれば仕事だったり。要するに「一人でいること」に耐えられない人。自分に向き合えず逃げ出してしまう、そんな人のこと。「自分に自信がない」そもそも自分というより周りが気になってしまう。自分に意見を周りにおかまいなしに押し通す人も実は自分に自信がないために高圧的な態度と攻撃をしてしまうみたいです。ざっくりあげてみましたが、ではどうしたらいいんでしょうか?まずは「自分の人生に責任を持つ」ことでしょうか。子供の時に親に言われたことをやってきたことを、大人になったら自分の基準、価値観をもって選択していくことが大切かなと思います。自分の人生は自分のものです。アドバイスは受け取った上でどう判断するかは貴方次第。そうすると必然的に自分に向き合うことになります。ポジティブな感情ばかりじゃなくネガティブな感情も出てきます。大切なのはそのマイナス感情に対し向き合って自分に問いかけること。マイナス感情は「相手が自分の思う通りにならない、思う通りにしたい」という気持ちから発生することが多いようです。その欲望に気づくことで、間違いがあれば改善していこうとすることで自分をコントロールできるようになるのでは・・・そんな自分を受け入れることは意外に辛かったりします。自分の悪いところを認めるわけですからね。でも大切。ただし自分を卑下することのないように。「自分はダメだ・・・」と思ってしまってはいけないんです。理想が高ければ高いほど深刻になりがち。「自分は自分のままでいい」と認めてあげましょう。難しいですけどね。下げろ、上げろと。自分に対峙することは時として傷つくことあるかもしれませんが、それを乗り越える勇気を忘れずに生きていきたいものです。偉そうに書いてきましたが、全てボクに向かってのことでもあります。こうやって考えると、改まって障害があるないに関わらず自立は大切なことだし時々は考えてみるもんだなって思います。
交通機関のバリアフリーといってもいろいろありますが、電車に限定しましょう。つい先日もまた視覚障害者の人の電車ホームでの事故が起きてしまいました。ホームでの事故が年間どのくらい起こっているか知ってますか?大体、200件越(障害者にかかわらずですが)・・・確かに多いですね。そんなこともあってホームドアの設置が叫ばれていたところに再発。鉄道会社がいくつか原因をあげていましたが「予算が無い」というものもありました。ん?どこかで聞いたセリフだと思ったら、プールの入水用のチェアをもう少し動きやすいものにできませんか?とお願いしたら同じこと言われました。ま、それはいいとしてホームの問題は命にかかわりますからね。でも、会社の方もいろいろ対策をして死角を無くそうとしているのもわかります。とくに都内なんかはカメラやミラーを使っているのも分かっていますが、目線が鉄道会社社員なんですよね。できれば障害者目線で考えるとちょっとちがったアプローチもできるかな。そうなるとやっぱりホームドアになるんでしょう。それもフルスクリーンタイプ、せめて腰高タイプの可動式。先日、地元で新幹線に乗ったときは、普通の柵のタイプが部分的に設置されていました。多少はいいでしょうけど、乗降口にあたるところはなにもないし、人はそこに並ぶわけで、おまけに点字ブロックもそこに誘導するように設置されていて・・・設置は無理と言ってしまえばそれでおしまい。まだ事故が起こりそうな気がするのはボクだけ?
障害者とひとくちで言ってもいろいろありますが、ここでは精神的、知的障害の場合、それもボクの住んでいる新潟に限ってのことなのですがちょっと数字を実際に見てびっくりしたのでその話をしていきます。その数字というのが、障害者の72%が年収100万円以下だということ。加えて、200万円以上はたったの5%。まぁ、これでも決して多いとは言えませんが。同居者の年収も200~299万円が27%、300~399万円が24%と続きそのうち7割が老齢年金だという事実。単純に言うと親と同居のパターンが多いということ。親が亡くなってしまうと、急に困ることになるわけです。特に知的障害の場合はキーパーソンの存在は不可欠で、見守ることが大切になります。知的障害を持つ人は往々にして特出した才能をみせる場合があります。物事のとらえ方や見方、集中力が一般の人と違うんでしょうね。天才と言われる人に知的障害者が多いのも事実。でも、それを生かすも殺すも周りの環境が関わってきます。障害者をとりまく人の存在もその一つです。社会にいかに参加できるか・・・というより参加できる場があるかどうか。そこでよく言われるのがどこが一番障害者が住みやすいの?ってことなんですが、金銭的な問題やサービスの充実度で考えると自治体によって様々。よく言われるのが名古屋がいいとか大阪がいいとか九州がいいとか・・・その逆にあまり好意的に思われていないところもありますが伏せておきましょう。ボクは思うんですが、結局のところどこも同じかなと思っています。一般のひとが会社に勤めていて他と比べたりするのと一緒かなって。目に余るほどのことは別ですけどね。やっぱり人なんじゃないかなって思います。プラス教育。でもそれも難しいんでしょうね。現状は障害者本人もしくはその親などが自主的に活動しているにとどまることが多いです。せめて自治体はそんな状況に目を向けて、持ちかけられた問題には、「予算がありませんから」とか「そういう決まりですから」とかで片付けるんじゃなくぜひ前向きに考えてもらえるとうれしいな。少しでも自分を生かせる場が多ければ多い方がいい。それをサポートしていこうという気持ちだけでもありがたいでしょう。障害者は雨のなか傘も差さずに歩いているようなもの。でも雨のあとには虹が見れると思えるような社会になってくれたら少しは住みやすく感じるんじゃないかなと思うんです。
最近は2020年の東京オリンピック、パラリンピックについてのドタバタ騒動のおかげでリオオリンピックの話題も陰になっていますがパラリンピックの閉会式での東京への引き継ぎセレモニーのすごさは記憶に新しいですね。大会自体も蓋を開けてみれば210万人動員で史上2番目の売り上げでした。そんな中での閉会式だったんですが、引き継ぎセレモニーはみなさん見ましたか?椎名林檎さんの演出で構成されたパフォーマンスは義足のモデルのGIMICOさんから始まりピチカートファイブの「東京は夜の7時」まで素晴らしい流れ。その中で2番目に登場した片足のダンサー・大前光市さんのことをとりあげてみます。解説者が言っていましたが「失意の底から立ち上がり~」ってどんなことなのでしょう?本人の言葉をいくつか転用させてもらいます。16歳の頃からダンスを始め、国内外のオーディションにも参加してその最終審査目前の時です。夜、雨のなか落とした携帯電話を探してレッスン場と家の間を歩いていた大前さんは、雨の中、横滑りしながら凄い勢いで突進してくる近づいてくる車に遭遇します。危ないと思った次の瞬間、大前さんは鈍い衝撃を感じ、歩道に投げだされました。この時、運転手は泥酔状態だったそうです。「目の前が真っ暗になり、地面にたたきつけられた。下半身をみる。靴がなかった。ふと見ると道路に転がっている。そして、靴をはいていたその足を見る。足首から先が、とれかかっていた。ぷらんぷらんになって、骨が見えている。動かそうとしても反応がない。どうしようもない感情がこみ上げる。なんで俺がーーーーーーーーー!!!!!!」当然の気持ちだと思います。こんな状態での事故が一番立ち直りに時間がかかると言われますが、彼はどうだったのでしょう。「なんで神様はこんなに俺を苦しめるのか?いつもそう思ってました。毎日のように、脳を突き刺すような激痛に耐えながら生活をしていました。いつまでこんな痛みと戦う生活が続くのか?言葉にならない奇声を発する「う~¨ж%#ЯΛ:Ш!クソー!!」近所から苦情がくるまで発し続けた。」彼も例外ではありませんでした。それでもダンサーの夢をあきらめずに、義足を着けてレッスンを再開。しかし事故の前の様に体を操ることはできず、オーディションに落ち続けます。挑戦し続けることだけでも素晴らしいことです。でもそんな彼に向けられる言葉はつらいものばかり。人に言われたネガティブな言葉は、いつまでも大前さんの頭から離れませんでした。ある演出家から言われた「昔どれだけ踊れてたか知らないけど、今の君は必要ない」という言葉。主治医の「君の汚い方の足はポイしといたわ」という言葉。信じられませんが現実です。「布団の中でうなされて、朝おきて いつも泣いていたダンスの仕事はほぼ無くした たとえ出演したとしても自分だけギャラ(報酬)がなかったりした自分には価値が無いのだと思えて 悲しくなったもういいよべつに 周りの人達も、上っ面な笑顔で壊れた電化製品のように私を見てくるまるで粗大ゴミ粗大ゴミ扱いされるとよくわかる」地下鉄の階段をホラー映画の貞子のように這い上がったこともあるそうです。「どうにもできない痛みをアスファルトや壁に足や拳を何度も叩きつけた。痛すぎて、拳から足から血がタラタラでてきた。痛すぎる!心も体もボロボロになっていた。俺はもうどうなってもいい 飢え死にしてもそれでいい 生きてる意味がわからない道端で気が済むまで叫び続けて、人目なんかクソくらえにまた泣いてしまっていた結局自殺する勇気はなかったが、、いつ死んでもいいとは思っていた」義足での仕事は限られたものしかなく、激痛で休みを取れば「そんなのは理由にはならない」「休むなら辞めてもらう」と簡単にクビになったそうです。ただただ、日々を食いつなぐ為だけのアルバイト生活の中、心はどんどんとすさんでゆきます。その辛く苦しい時間は、10年にもおよびました。それでも「踊ることが好き」という気持ちを失うことはありませんでしたが「「障害者でダンスがんばってるね!」と扱いを受けることには虚しさを感じていました。そうなんです、「障害者なのにすごい」という言葉は時に障害者を傷つけてしまいます。安易に手を差し伸べることもです。難しいですね。助けてあげることが相手にとっていいこととは限らないということ。そんな中、大前さんは、そのままでは終わりませんでした。身体を楽に使うためのあらゆる方法、この体でできるダンスの動き、それを使って自立する方法を模索し始めました。片足しかない身体で上手く踊れる為に、体の動かし方を研究。あらゆる角度から体の動かし方を研究しました。バレエだけではなく、ストリートダンス、カポエイラ、ピラティス、武道、解剖学、アレクサンダーテクニーク、初動負荷トレーニングなどだそうです。そしてついに、それらを取り入れることで体を自由に操り、大前光市だからこそ踊れるダンスを生み出します。それは大きな評価を得、第47回なにわ芸術祭・舞踊作家部門新人賞大阪府知事賞、大阪市長賞、第4回ダンスクリエーションアワードにて審査員特別賞など数々の賞を受賞。大きな自信につながったそうです。「無様になることはあっても、負けることはない。僕はダンスを通して自由になりたいと思っている。だからチャレンジしつづけている、自由になり続けているんです」「障害を持つということは 別の可能性を持つということなんだ。今の自分が既に持っている才能を形にする ということだ。努力をしたらその可能性が 少しづつ形になっていくそれを大切にして磨いていれば 武器にも宝物になる。そして、それを見た次の誰かの可能性になる」彼はこう言っています。でも、やっぱり不便なところはあるとボクは思います。ポジティブな気持ちをキープするのは大変です。でも今の彼には自分を見てもらうことで誰かの可能性になるというはりあいがあります。それが彼にとっては幸せなんでしょうね。人間の生きる目的は幸せになること。障害はそれをスポイルするものではないということですね。
今日はびっくりする場面に遭遇してしまって、そこで思うことがあって、こんなことをまとめてみたいと思いました。なにがあったかというと・・出先で息子さん(多分)がお母さんを車椅子に乗せて押していました。ちょっと危なっかしい感じがしたんですが、案の定ほんの小さな段差で前輪(キャスター)が引っかかってお母さんが前に落ちそうになって。近付いて助けてあげました。車椅子で車椅子の人を助けるってちょっと変な光景ですが周りの人は気が付いてないみたいで。全然、大事には至らなかったのでこの話はいいとして、問題はどこにあるかというと、介助する人はほとんど素人で何をどうしたらいいのかが分からないということ。車椅子に乗る方も同じことが言えるんだから当たり前と言えば当たり前。普段、車椅子に接している看護師さんでさえ街中にでると困るくらいですからね。ケアマネージャーも車椅子のプロじゃありません。おまけに「何かあったら大変」という理由で家の外に出ることには消極的な人もいるでしょうね。だからある程度は介助する側に予備知識が必要かなと。ちなみにボクは前職のTVドラマ制作で車椅子がなくてはならないものだったので予備知識は充分すぎるほどあります。ロケの現場で監督さんやらタイムキーパーさん、技術の各チーフがひとかたまりになってみているモニターは実は車椅子を改造(もちろん自分達で)したもの。モニターだけじゃなくカメラのリモコン、波形モニター、スピーカー、VTRが全部乗ってます。子供2人分の重さはありましたね。ロケ現場には狭い階段だろうが、浜辺だろうが、渓流下りの船上だろうが、富士山の七合目だろうが運んでいくのでいろんな地形での動かし方はお手の物でした。それで、車椅子に乗ってるというのもなにかの縁? 笑話がそれました。細かく説明しても状況は千差万別なので簡単に必要最小限で・・・でも絶対役に立ちますから覚えてください。車椅子を押す機会は普段はあまり無いと思うので、台車に例えます。台車なら重いものを運ぶ時なんかに使いますよね。その台車に・・・そーですね、ボクの住んでる新潟なら灯油の入ったポリタンクなんですが、都内とかだと一升瓶の入った買い物袋にしましょうか。その台車を押すときどうしますか?段差は勢いよく乗り越えますか?下り坂はそのまま前を向いて押して下りますか?デコボコの道と平らな道どちらを選びます?車椅子の時もこの時と同じ考え方で介助してください。それともうひとつ、段差の前で一旦止まったり、下り坂は逆に引いたりするとき、とにかく止まったり動いたりする時には必ず声をかけてください。大げさに言うと、乗っているものは自分ではどうにもならないジェットコースターに乗っているような感じなんですね。だから、ボクは人に押してもらうのがあまり好きじゃなくて一人で動きたがるのでよく怒られます。笑簡単ですが、まずこの2つに注意してくださいね。
パラリンピックに出場する選手は皆障害者ですが、障害の程度や状態は一人一人違います。考えようによってはオリンピック選手も体格やメンタル面なんかでそれぞれ違うとも言えますね。能力的な問題もあります。だからドーピング違反なんてことがあるんでしょう。まあ、それは置いておいて・・・障害者選手で最も違うのは経歴かもしれません。オリンピックのメダリストが幼い頃からその競技一筋にやってきているのは良くある話。卓球の福原選手をはじめ、テニスの錦織選手、体操の内村選手などほとんどの選手がそうですよね。逆にそうじゃない選手を探す方が難しいかもしれません。パラリンピックは障害を負うまでスポーツとは無縁だった人、全く別の競技をしていた人がほとんど。90年代に活躍した元F1レーサーのアレッサンドロ・ザナルディがパラリンピックに出場していることはあまり知られていません。F1時代はジョーダン、ミナルディ、ロータス、ウィリアムズと渡り歩きましたがマシンの信頼性に泣かされて華やかな成績は残せていません。そのせいか、ファンからは「壊し屋」と呼ばれたほど。その彼が最後にCARTのカテゴリーに移籍した時に事故で両足を失ってしまいます。でも、なんと彼はたった2年後にツーリングカーのWTCCに特別に改造したマシンに乗りBMWのチームから参戦します。その後6年間をレースの世界で過ごしましたが、彼のすごいところは並行してハンドバイク(手で駆動輪を回す自転車)をトレーニングしていたこと。その選択は見事にはまり、前回のロンドン、今回のリオとメダルを獲得しています。それもリオでは金メダルです。ここで彼にまつわるもう一つの噂があります。彼のレーサー経歴の最後のチームはBMWでした。実は今回のオリンピックにBMWが競技車両を出してきました。ザナルディが開発に関わっていてもおかしくありません。サーキットやラリーでの膨大な走行データを持っている自動車メーカーが参入してきたら単なる福祉車両メーカーの立場は非常に過酷なものになります。それでなくとも世界から周回遅れの日本は早急に対策を練らないといけないでしょうね。ここまで書いてきて、ザナルディが何事もなかったかのように金メダルを獲得したかのように見えますが、両足切断の事故の時には血液の90%を失うような状態。リハビリも大変だったでしょうし、精神的なショックも大きかったと思います。年齢にしても今年50歳を迎えます。普通に体力的問題もあるはず。その中で立ち上がってこれたのは彼自身の強さもありますが、同時に彼をささえた周りの環境もあったでしょう。まさに日本がこれから構築していかないといけない部分。そういえば、同じF1レーサーだったミハエル・シューマッハは現在も全身不随で療養中です。オフシーズン、スキーの最中での事故は広く知られています。ヘルメットを着用していたのにです。彼にも一刻も早く笑顔が戻ればよいのですが・・・
昨日も言いましたがリオオリンピック、パラリンピックともに終わりました。オリンピックは過去最高のメダル数を記録して金メダルも10個以上の成績でした。そこで、パラリンピックはというと金メダルはゼロ。単に金メダルを獲ることが目的ではないのでしょうけど、現実的な結果です。そもそも障害者スポーツの現状はどうなんでしょう。2008年北京大会から、オリンピックとパラリンピックを同じ都市で同じ組織委員会が運営することになって以降、メダルの価値が高まって、各国が強化に乗り出しました。例えば、中国は北京大会に向けて専用のトレーニングセンターを建設、その後も強化を続けて新たな選手を育成しています。一方、日本はというと・・・12年のスポーツ基本計画にパラスポーツの推進が盛り込まれましたが、実際には次回に東京大会誘致が決まってから本腰を入れたのが現状です。各国に比べて周回遅れの現実が、金メダルゼロという結果になったといっても間違いではない気がします。多分・・・実際に東京大会に向けて選手発掘は今からじゃ遅すぎるって言われています。別の方向から見てみましょう。ボクが今まで車椅子の選び方や調整の仕方を書いてきましたが、ハード面にも問題がありそうです。今大会で金メダルを期待されていたテニスの国枝選手ですが、彼の乗っていた車椅子は約50万円と言われています。国内では「車椅子界のポルシェ」と言われるOXという日本のメーカーのもの。アルミフレームの改造車です。ちなみにボクのもOXです。一方、金メダルのステファン・ウデ選手のマシンは1500万円のカーボンファイバー製。彼の希望で片膝をつくようなスタイルで乗車します。実際のプレイを見るとまるでセグウェイに乗っているかのようにクルクルと機敏に走ります。値段で比較するのは一概には正しくありませんが、結果として・・・「義足の仙人」と呼ばれる臼井二美男さんは「日本に新しい技術、製品が入ってくるのは2年のブランクがある」と言っています。とにかくハード面でたちおくれている日本はどうしたらいいのでしょう。まずは選手の育成と環境整備、ひいては国レベルでの障害者用の環境整備が第一なのかなと思います。そして、結果をあげることで認知度をアップしていかないことには、ずっと悪循環のままでしょうね。今大会でメダルを獲ったボッチャなんて、一般の人はともかく障害者施設での競技の認知度が50%いってないってなんなんでしょう。問題といえばもっと大きなことが、障害者の参加にかかる費用です。リオ・パラリンピックでは、チケットの売上が伸びず大会の運営まで危ぶまれました。日本でも選手の渡航費用など、余計な不安もあったようです。選手にとっては、費用が助成されないからといって「行かない」という選択肢はないでしょう。選手自身は自費や身近な人々の協力で行けたとしても、介助者が2~3名必要な場合は? 介助者全員の分まで旅費をまかなうことは、選手自身に可能? 世界大会は年間いくつもあり、パラリンピックの出場資格を得るためにそこで結果をださないといけません。海外でなくとも試合や大会のたびに、費用負担はものすごい額になります。自分で車を運転できる障害者なら、移動については、やや負担が軽くなるかもしれません。でも、障害者仕様の自動車を入手するための費用は? それ以前に、運転免許取得のコストは? そもそも、全国どこの教習所も障害者に対応できるわけではありません。それに、障害者スポーツでは健常者以上に必要にならないコストが必要になります。おまけに「床が傷つくから」と車椅子での利用を断る体育館もあります。ボクが「プールサイドは車椅子では入れません」と言われたようにです。それでも日本で、障害者が健常者とあまり変わらないコストで楽しめるスポーツは、水泳くらいでしょうね。その水泳も「安全に関して責任を持てないので、介助者を連れてきてほしい」と言われたり、公的介助は「危ないから障害者をプールに連れて行っちゃダメ」とされたり。実際ボクも公的な団体すら無くて、民間でのグループで泳いでいるわけですから。さらに、競技人口の少なさ・競技できる地域の少なさといった問題が重なります。地方で機会が制約されているのは、障害者スポーツに限りませんが、障害者の場合、そもそも少数派ですから、さらに問題は深刻になります。これらの障害による溝を埋め合わせる何かが、日本に存在するのかと考えると、はっきり言って、ありません。障害年金も障害者福祉も、縮小され、使いにくくなるばかりです。何年か前から福祉給付金が支給されてきましたが、最初は15000円、翌年6000円、今年は3000円ですからね。年間で3000円って・・・介護事業所・車椅子などの補装具業者は、既に廃業・事業規模縮小が続いています。公費の範囲が縮小されたとき、私費で支払える利用者はごく少数ですから、公費が絞られれば廃業するか縮小するかしかなくなるわけです。当たり前ですね。日常の生活に必要な車椅子の修理や買い替えもままならなく、状況が悪化していく一方なのに、「パラスポーツの振興」? それって、マジ?「パラリンピックでメダル獲得」に足りないのは、パラスポーツ振興だけではありません。障害者にかかわる何もかもが不足しています。走り幅跳び女子の選手に中西摩耶ちゃんがいます。彼女は費用を工面するためにグラビアまで出しています。純粋にパラリンピック出場のためです。そんなにまでしてがんばって、今回は4位で終わりました。4位、素晴らしい結果です。でもなにか納得がいかないんですよね。多分、次回に続きます。
クールファイブでも長崎でもないですが、雨ですね。話は変わりますが「長崎は今日も雨だった」って藤圭子さんも歌っていましたね。いろいろありましたが、ヒッキーも歌手活動を本格再開して8枚目のアルバムの発売までもうすぐ。彼女もいろいろありましたが、立ち直ったんですね。よかったよかった。いろいろと言っても具体的にどんなものなのかは、その人それぞれです。そもそもなにがそうさせるのかもよく分からない。障害者でいえば障害を負ってしまった時になにかがそうさせるんでしょうけど、それがはっきりしていれば立ち直りまでの時間なんてなくなります。まあ、強いていえば現実をうけとめるまでの時間なんでしょう。でもそんな時間なんて短いほうがいい。受け止めた上で自分がそれからどうするかを考える時間の方がずっと大事。今の自分になにができるのか?なにができないのか?ここでボクが考えるのは、今までの自分の常識で考えてもみなかったこと。今まで、何の問題もなく生きてきたイコール何も変えようとしてこなかったんじゃないかな思うんです。一歩踏み出すとか、チャレンジとか、へたをすれば会社の方針の変化にさえ抵抗があるのが一般的。自分もそうだったなーなんて思います。ちょうど今年はパラリンピックもありました。選手のほとんどが障害を負ってから始めた種目。彼らのように明確な目標はありませんが、探していくことも楽しいなと思ってます。これって障害者に限ったことじゃないのかもしれないなぁ・・・落ち込んでる場合じゃないですよね。ww
最近朝夕が寒くなりましたね。涼しいをすっ飛ばした感じで・・・(-_-)))))するとボクみたいな感じの身体はどうなるかというと、ゆうことをきかない部分がさらにきかなくなるという・・・もともと、動かせないところなのに、さらに動かせないってなんなの?って思いませんか。でも、事実なのでしょうがないですけどね。基本的に低い気温のなかだと、一般の人でも消費カロリーは多くなるようです。ま、そんなせいもあり障害者は冬時期はなかなか外に出ることはどうしても少なくなりがち。だから定期的な運動、それも習い事みたいに行かざるをえない状況にある方がいいのかな、なんて思います。実際、今日も少し肌寒い雨でしたがプールには行かなきゃならない。でも、やっぱり終わってみれば「よかった」しか残らないですからね。水泳初めて1ヶ月半ですが、5kg体重が減りましたからね。張り合いが目に見えるのが1番いいなって思います。でも、大学生の女の子が「今日は軽めでいきましょう」と笑顔で言いながら800m泳がされるのはかなりの飴とムチです 笑
今年のパラリンピックは今までになくマスコミ上での露出が多いですが、それは今までが少なかっただけ。オリンピックの時のように「感動!」とか「泣けた」とかの視聴者のリアクションはありませんね。まぁ当たり前な話で・・・結果をみるだけじゃ感動のしようがないですね。リオの会場ではパラリンピックサポートスタッフが会場を実際に見てまわっています。各会場への導線や会場内の設備など・・・細かいようですが、道路の排水溝の蓋の孔の大きさやスロープ、手すりなど。これ・・・かなり、考えられているようです。さて、4年後はどうなるんでしょうか。例えば、車椅子の観客がいたとして、単にスペースをつくればいいというもんじゃないことに気がつきますかね。ボクが今年の花火大会で障害者席で見た時のことを以前書きましたが、車椅子の目線は普通の人より低いことに気がついてる感じはしませんでした。スロープもちょっとキツかった。実際に車椅子に座ってみれば分かることなんですけどね。TDRのキャストの人がボクの目線にあわせて膝まづいたのにはびっくりしたことありますが、障害者のことに限らず相手の目線に立って考えることは大切。まだまだ改善すべきところはたくさんあります。今はそうでなくても、4年後は車椅子にのっている人は必ずいます。その時、自分がそうだった時にどうするか?という考えでの街の整備をしていかないと。まだ時間はありますからね。長岡も(ボクの住んでるとこ)良くしてかなきゃな~。
今日はいよいよ本格的な水泳だったわけですが、感想は「本格的すぎ・・・」大学生の子たちは教育学部 健康スポーツ科学課程を専攻しているということで現場実習にもなるので、代々引き継いでかれこれ20年!だとか。それを運営している女性に先週声をかけられたわけです。「日本スイミング協会指導者」「アクアセラピー&リハビリ研究所認定指導者」「日本身体障害者スポーツ指導員」と肩書きも聞いてびっくりでした。今日は、そうですね、ざっと30人くらいの知的障害児の子たちがいました。障害の軽度、重度で分かれるんですが、ボクはやっぱり軽度の方。軽度と言っても身体能力には問題はないわけですから、早い子はめちゃくちゃ早い (-_-;)25mの往復をトータル30本・・・15本やってちょっとインターバルがありましたが、ボクの場合ペースがどうしても遅いのでほとんど連続。死にそうでした 笑それに、問題はまだまだ山積みですけどね。知的障害の子は目にする機会は多いボクですが行動を共にするのはあまりありません。今日も、いろんな症状の子がいました。もちろん、それぞれ就学状況も違います。常にしゃべっている子、全然しゃべらない子、言われた通りにできない子、一人一人違います。それを一般的には障害と呼ぶんですがボクから言わせれば、誰が決めたの?って思います。それって個性なんじゃないかって。確かにマイノリティな存在ではありますが、人間的な魅力や才能には全く関係ないんじゃないかな、と・・・可能性は無限にあると思うんですよ。(-_-)
今日は早めの更新。土曜日なのでいつも通りプールへ・・・道すがら、明日は大学生くん達と一緒なので何か小さなお礼でも用意しなくちゃだなぁなんて考えてました。そう、明日からマジに泳がないといけないんです。 (^_^;)そんなこんなで受付を済ませて靴ぬいで、「さぁ、いこーって・・・あれ?」「あれれ」また、あの男の子が押してます。「どこから現れた?」みたいな感じでしたが・・・多分、通路の途中にある2階からの階段をおりてきたんでしょう。「あ、ありがと・・」今回はそれだけ言って、彼にそのまま押してもらいました。目的のロッカールームは突き当たって右。曲がり角で彼が言いました。「曲がるよ」「曲がるよー」でもなく「曲がるよ!」でもなく「曲がるよ」です。2度目だから慣れたのかな?ボクもつい「うん」友達みたいな感じ・・・そして、その突き当たりがロッカールーム。押し引きのドアですが、入るときは押して入るので一人で楽には入れるんですが、彼はドアを開けてそのまま中まで押してくれました。「ありがと。もう大丈夫だよ」それに対して何も言わず、電気のスイッチまでいれてぴゅーって出て行きました。やっぱり、今回もしばらくそのまま考えちゃいました。で! 「あ!名前聞くの忘れたー」でも、そのくらい、いい気分だったんです。これで今日の話は終わり。 (^_^)来週も会えるかな?ん!ひょっとして今日は待っていた?時間はいつもと一緒だし、もっと前から彼はこっちを見てたのかな?来週はなにか喜びそうなもの買って持っていこう。