船奉行所跡「服部屋敷」 | 八丈島観光協会blog

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服部屋敷入り口 樫立

徳川幕府献上絹(黄八丈)御用船の船預かり船奉行であった
服部家の屋敷跡であり、庭園にそそり立つ八百年の大蘇鉄は、
その昔、遠く南国より流人の仕役として移植せしもの、
屋敷にめぐる玉石垣は、流人近藤富蔵が設計し、
海岸より流人が1ヶづつ背負い上げて築いたものといはれ、
往年の服部家の繁栄の程を偲ばせ、
八丈唯一の流人史跡として有名です。
服部家は、源頼義次男、加茂川二郎義綱の末流であるとも云はれ、
財力が豊かばかりでなく、流人の世話は云うに及ばず、
島民にも漢方薬等を無料で与え、常に島の発展にも心を砕き、
島民に尊敬された由。 (服部屋敷パンフレットより)

文化財ウイーク中に、樫立の地踊りを見るために服部屋敷を訪ねた。
見事な玉石垣は、看板のところで一度左へ折れ曲がり、
正面からは中が見えない造りになっているが、これは昔、
武家屋敷が敵から攻め込まれづらくするために使った門の造りで、
その家の格式の高さや勢力を現す造りでもあるそうです。

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入り口の看板には、パンフとはちょっと違ったニュアンスで、
服部家が没落した悲哀のようなことも書かれてある。

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金毘羅神社跡

服部屋敷の敷地内にある金毘羅様を移した跡を祭ってあるお社。
元々はここに金毘羅神社があり、その後別の場所へ移されたそうだ。

昔、服部家の船が遭難して四国まで流されたことがあり、
しかし命が助かったことを四国の金毘羅神社に感謝、お参りして、
こちらへも金毘羅神社を建てるお許しをいただいて戻ってきたとか。

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服部屋敷庭園

現在は、服部家の遠縁に当たる家がこちらを買い取り管理されている。
きれいに手入れされた亜熱帯植物の庭園。

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こちらがパンフにも書かれてある樹齢800年以上といわれている大蘇鉄。
植樹の記録はないが、同屋敷に植えられた別の蘇鉄との比較から推定とのこと。

しかしすごい!写真では伝わらないこの大蘇鉄の迫力をぜひ傍でご覧あれ!
服部家の繁栄も衰退もこの蘇鉄が全部見てきたからなの?
八丈島の歴史を語りかけるようにパワーを浴びせかけてくる大蘇鉄。
傍らに座り、ずっと蘇鉄の話を聴いていたい気分になります。

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現在の郷土芸能を見せる建物の入り口脇の蘇鉄。
これだってずいぶん立派だが、こちらは植樹時期がわかっている。
樹齢約300年。服部家にお嫁に来た方の生家からの贈り物で、
当時は陸路でこれを運ぶ手段がなく、船をまわして海から運んだそうです。

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服部屋敷の蘇鉄の木は、大きな赤い実をつけていた。
八丈島の昔は、家にある蘇鉄の大きさがその家の繁栄の象徴だったのですね。

■服部屋敷関連リンク
*八丈服部屋敷(八丈島総合ポータルサイト)
*服部屋敷(八丈島観光協会HP/歴史・伝統文化)

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